保育園時代から小二くらいまでは、どちらかといえば「陰」の人間だった。
保育園では仲間外れにされることなんてざらにあったし、一人には慣れていたから。
小学校にあがってから二年はある程度の人と時々話すだけで、図書室にいくことが多かったと思う。
でも、周りの子達を見てある日思ってしまった。
一人はつまんないな、と。
三年生にあがると、急に何かに感化されたかのように積極的になった。
一人のつまらなさを埋めるためだったんだと思う。
それに、積極的に中心になれば自分を守り続けられる、と考えたんだと思う。
そうしたら、今度は取り繕った“強さ”が染み付いて離れなくなってしまった。
学校でそれを演じ続けることで外での自分を守ることができたけど、逆に内の自分を追い込んだ。
もともと泣き虫だったのに、それに拍車がかかったように些細なことで泣きそうになる。
本当は弱い自分を隠すことで、弱い自分を追い込んだ。
みんな、私を頼ってくれた。褒めてくれた。
嬉しいけど、ちょっとモヤモヤもした。
本当の自分じゃない自分が評価されていたから、なにか切り離して見てるところが多々あった。
そんなときでさえも「冷静だね」とか「大人っぽいね」とか、誰も責めてくれなかった。
学校ではクラスの中心の『陽』に徹し、家ではたくさん泣いた。
学校で取り繕っているストレスが涙にかわってあふれでた。
私の中の弱さに気付いてほしかった。
“強い”
そんな認識をされたまま、私は五年生になった。
『陰』に戻ろうとしても、こびりついた『陽』がそうさせてはくれなかった。
ノリにはノリで返したし、冗談には突っ込みで返した。
そうすれば、外では人気者だった。
必死で人気者を演じた。
よく喧嘩をする親だったから いつも身を強張らせていた。
あの人の怒った声が聞こえると、耳を塞ぎ、背中を壁に預けて座り込んで泣いていた。
怖かったし、苦しかったし。
すごく言語化しづらい感情が頭の中をぐるぐるしてて心臓が締め付けられたみたいに痛かった。
事が動いたのは小六の後半。
よく一緒にいるグループの子達と一対多数で喧嘩をした。
他のグループの子達に話しかけられたら、笑って誤魔化していた。
「大丈夫だよ。心配しないで」
そう言って誤魔化した。
私が相手に不満を持っていなかったこともあってか、誰も彼女らの悪口は言わなかった。
彼女らが怒った原因は、私の態度。
“強く”演じてたのが、裏目に出過ぎちゃったみたいだった。
最初は大丈夫だと思ってた。
こんな喧嘩、すぐに終わるって信じてた。
でも、終わらなかった。
彼女らは一切口をきいてくれないし、メモを渡してきたと思ったら“貴方”なんて他人行儀。
それでも、一人には慣れてるつもりだった。
そう信じたかったけど、そうじゃなかった。
私の心は悲鳴をあげていて、ずっと心臓が締め付けられたみたいに痛かった。
学校に行くのがすごく憂鬱だった。
だから、逃げた。
漫画や小説みたいに屋上が解放されてるわけでもないから、屋上に続く階段に。
いつも薄暗くて、ちょっと埃臭くて、でも嫌いじゃなかった。
一人になれる空間だったから。
給食の時間手前にそこに逃げ込んだ私にわざわざ給食を持ってきてくれた子がいて、その子には今でも感謝しかない。
お節介だなんて、全然思ってないから。
担任の先生も話しにきてくれて、最初は嫌だな、て思った。
だって、大人は全然助けてくれない。
聞くだけだったから。
でも、その先生もすごく親身になって話してくれて、途中からは泣いちゃった。
それに、私の弱さを受け止めてくれた。
その時の先生のおかげで、私は今、教師になるという夢を追って勉学に取り組めている。
本当に、感謝しかない。
先生がいたから立ち直れた。
先生は仲直りの仲介役もやってくれたし、本当に私の自慢の恩師。
中学生になってから、もう1年も経つんだと思うと、時の流れの早さを実感した。
今も“強い”キャラは変わらないし、これから変えられる自信もないけど、小学生の時よりはずっとずっと楽な気持ちで過ごせてる。
今のクラスの子達もみんなきっと、私のことを“強い”って思っているんだろうけど、本当は私の弱さを知ってほしい。
時間はかかるかもしれないけど、友達、クラスメイト、とちゃんと自分を開いていきたい。
ずっと閉じっぱなしだった心のドアを開けて、ちゃんと伝えたい。
ずっと、ずっと言えなかったけど、家族にも友達にも先生にも、
『本当は知ってほしかった。この、弱さを。』
保育園では仲間外れにされることなんてざらにあったし、一人には慣れていたから。
小学校にあがってから二年はある程度の人と時々話すだけで、図書室にいくことが多かったと思う。
でも、周りの子達を見てある日思ってしまった。
一人はつまんないな、と。
三年生にあがると、急に何かに感化されたかのように積極的になった。
一人のつまらなさを埋めるためだったんだと思う。
それに、積極的に中心になれば自分を守り続けられる、と考えたんだと思う。
そうしたら、今度は取り繕った“強さ”が染み付いて離れなくなってしまった。
学校でそれを演じ続けることで外での自分を守ることができたけど、逆に内の自分を追い込んだ。
もともと泣き虫だったのに、それに拍車がかかったように些細なことで泣きそうになる。
本当は弱い自分を隠すことで、弱い自分を追い込んだ。
みんな、私を頼ってくれた。褒めてくれた。
嬉しいけど、ちょっとモヤモヤもした。
本当の自分じゃない自分が評価されていたから、なにか切り離して見てるところが多々あった。
そんなときでさえも「冷静だね」とか「大人っぽいね」とか、誰も責めてくれなかった。
学校ではクラスの中心の『陽』に徹し、家ではたくさん泣いた。
学校で取り繕っているストレスが涙にかわってあふれでた。
私の中の弱さに気付いてほしかった。
“強い”
そんな認識をされたまま、私は五年生になった。
『陰』に戻ろうとしても、こびりついた『陽』がそうさせてはくれなかった。
ノリにはノリで返したし、冗談には突っ込みで返した。
そうすれば、外では人気者だった。
必死で人気者を演じた。
よく喧嘩をする親だったから いつも身を強張らせていた。
あの人の怒った声が聞こえると、耳を塞ぎ、背中を壁に預けて座り込んで泣いていた。
怖かったし、苦しかったし。
すごく言語化しづらい感情が頭の中をぐるぐるしてて心臓が締め付けられたみたいに痛かった。
事が動いたのは小六の後半。
よく一緒にいるグループの子達と一対多数で喧嘩をした。
他のグループの子達に話しかけられたら、笑って誤魔化していた。
「大丈夫だよ。心配しないで」
そう言って誤魔化した。
私が相手に不満を持っていなかったこともあってか、誰も彼女らの悪口は言わなかった。
彼女らが怒った原因は、私の態度。
“強く”演じてたのが、裏目に出過ぎちゃったみたいだった。
最初は大丈夫だと思ってた。
こんな喧嘩、すぐに終わるって信じてた。
でも、終わらなかった。
彼女らは一切口をきいてくれないし、メモを渡してきたと思ったら“貴方”なんて他人行儀。
それでも、一人には慣れてるつもりだった。
そう信じたかったけど、そうじゃなかった。
私の心は悲鳴をあげていて、ずっと心臓が締め付けられたみたいに痛かった。
学校に行くのがすごく憂鬱だった。
だから、逃げた。
漫画や小説みたいに屋上が解放されてるわけでもないから、屋上に続く階段に。
いつも薄暗くて、ちょっと埃臭くて、でも嫌いじゃなかった。
一人になれる空間だったから。
給食の時間手前にそこに逃げ込んだ私にわざわざ給食を持ってきてくれた子がいて、その子には今でも感謝しかない。
お節介だなんて、全然思ってないから。
担任の先生も話しにきてくれて、最初は嫌だな、て思った。
だって、大人は全然助けてくれない。
聞くだけだったから。
でも、その先生もすごく親身になって話してくれて、途中からは泣いちゃった。
それに、私の弱さを受け止めてくれた。
その時の先生のおかげで、私は今、教師になるという夢を追って勉学に取り組めている。
本当に、感謝しかない。
先生がいたから立ち直れた。
先生は仲直りの仲介役もやってくれたし、本当に私の自慢の恩師。
中学生になってから、もう1年も経つんだと思うと、時の流れの早さを実感した。
今も“強い”キャラは変わらないし、これから変えられる自信もないけど、小学生の時よりはずっとずっと楽な気持ちで過ごせてる。
今のクラスの子達もみんなきっと、私のことを“強い”って思っているんだろうけど、本当は私の弱さを知ってほしい。
時間はかかるかもしれないけど、友達、クラスメイト、とちゃんと自分を開いていきたい。
ずっと閉じっぱなしだった心のドアを開けて、ちゃんと伝えたい。
ずっと、ずっと言えなかったけど、家族にも友達にも先生にも、
『本当は知ってほしかった。この、弱さを。』