「りゅ、龍介、どうして!?」
私の身体を抱き止めて、私が空へと昇っていくのを阻止したのは、紛れもなく龍介だった。
「どうしてじゃねえよ! 久しぶりにお前が学校に来たと思ったら、様子がおかしいから気になってたんだっ。大体、春樹もあの日からおかしくなっちまってよお……! どうして、って聞きたいのは俺の方だ。春樹の声が失われたのも、春樹が夏海を避けるようになったのも、俺と理沙と、お前たちと、四人でいられなくなったのも全部、なんでなんだよおっ!」
悔しそうにそう叫ぶ龍介が、顔をくしゃくしゃに歪めながら床に拳を打ちつけた。彼の握り拳が赤く擦れて血が滲んでいる。
「やめて、そんなことしたら龍介が痛いよ……」
私は、龍介の手を握って、彼が床を殴るのを止めようとした。
「……こんなの、こんぐらい、痛くも痒くもねえよ。それよりも、俺はお前がいなくなった未来の方が、ずっと痛い……」
「龍介……」
胸に押し寄せる罪悪感が、私の心をどろどろに黒く塗りつぶしていく。あんなに青かったはずの空まで、灰色に曇っていた。
「俺、やっぱりお前が好きなんだ。俺が花火大会の日に夏海に告白しなければ、夏海が動揺して春樹に余計な心配をかけさえしなければ……春樹は夏海に打ち明け話をすることもなくて。声だって、そのままだったかもしれないのに。そう思うのに、まだお前のことが好きだ。まったく最低な野郎だな、俺は……」
ぽつり。
雨粒が頬に当たる。
今日は、天気予報で晴れだって聞いていたのに、どうして今更雨なんか。
「俺はさ、夏海と同じ、この世に生まれてこられなかった人間なんだ」
どくん、どくん。
雨が落ちる音に合わせて、私の心臓が大きく鳴った。
私と龍介の正体は、彼が言った通り、現実世界に生まれ落ちることのできなかった魂だ。
誰にも打ち明けたことはない。ディーン高校に生きる人間の半分は私たちと同じ、生まれてこられなかった人たち。残りの半分は、春樹くんたちと同じ、現実世界に絶望して自ら命を絶った人たちだった。
「俺の母さんは四十歳で、不妊治療をしていたんだ。何年も治療してようやく授かった命が俺だった。でも結局流れてしまって……。まあ、流れること自体はよくあることらしいな。でもその後、母さんはやっぱり子供が諦められなくてまた治療に専念して、もう一度子供ができたんだ。それが、俺の弟。いや、俺は生まれていないんだから、弟でもねえかあ」
龍介は灰色の空を見上げて、ははっと力無く笑う。
龍介の無念が、どっと私の胸に押し寄せる。まるで自分のことのように感じられるその寂しさに、ずきんと胸が疼いた。
私も、同じだから分かるよ。
龍介の気持ち、たぶん私が一番分かってあげられる。生まれてきたかったのに、生まれてくることができなかった悔しい気持ち。生まれることができたのに、自ら命を絶った人たちと分かり合えない苦しみ。
私が一番、感じていることだ——。
でも……私はやっぱり、ダメなの。
自分が生まれてくることのできなかった魂であることも、春樹くんや理沙ちゃんが自ら命を絶ったことも、全部忘れてしまうくらい、彼のことが好きなんだ。
「龍介……つらい、よね。つらかったね。私たちずっと、誰にも愛されないのかなって、思ってたよね。現世に生まれることのできなかった命だから、誰かに愛してもらいたいって願ってたよね。ねえ、龍介」
龍介の目が大きく見開かれる。その瞳の奥にある痛みが、私の胸の痛みと溶けて、ひとつになった。
「私はこの世界で、龍介や、みんなに好きになってもらえて、すごく……幸せだって思えた。
現実では生まれてこられなかった命だったけれど、ここで、この世界で、みんなの魂と触れ合うことができて、愛されることができて、本当に良かった。龍介は最低なんかじゃない。だってこんなにも私を、幸せな気持ちにさせてくれたんだから」
「夏海——」
たぶん龍介がいなかったら、私は本当の意味で孤独だっただろう。
言葉にしなくても、自分と同じ寂しさを抱えた人が近くにいてくれる。その事実に、私はこんなにも救われていたんだな……。
「だから、ありがとう。たくさん、ありがとう。そして、ごめんね」
龍介が、息をのむのが分かった。
「いくな、いくなよ……俺を置いて、いかないでくれ」
龍介が、涙を噛み締めながらうめく声が、ずしんと響いた。
私は、この場で空に飛び立つことができない。
自分を好きになってくれた人の前で、命を投げ出すことができなかった。
二度も龍介のことを振ることになって、少なからず罪悪感を覚える。でも、この気持ちは誰にも譲れない。私は春樹くんが好き。だから春樹くんの声を取り戻したいと思う。
本当に自分は、わがままで、最低な人間だと思う。
でも、どうか許してほしい。
私がこの世界で愛を知って、精一杯考えて出した答えだから。
ごめんね、龍介……。
雲の切れ間から、晴れの空が覗いていた。雨が降っているのに、一部分にだけ光が差し込んで空気が煌めいている。幻想的な光景に、私と龍介は互いの呼吸を確かめ合うようにして並んでいた。