吹き始めた秋風が、まだむし暑い九月の終わりに、少しだけ秋の気配を予感させてくれた。頭上に広がる空は高く澄んでいて、夏とは違う、神聖な空気が漂っていることを思い知らせてくれる。
あれから四日が経って、私は今、学校の屋上に立っている。
ディーン高校の屋上は常日頃から施錠されていない。ここでは生徒の安全を守らなければならないという規律が存在しないのだ。だから私は、難なく屋上へと降り立った。
理沙ちゃんから春樹くんの話を聞いてから、自宅でひとり、私は悶々と考えていた。NPCの母親が、時折私に「晩ご飯の時間よ」と声をかけてきたけれど、それすらも断って、私は必死に頭を動かしていた。
その間、学校もずっと欠席していた。
ディーン高校では、欠席の回数で進学ができなくなるというシステムはない。どんなに休みがちでも時間が経てば進級できる。しかし、だからと言って実際に欠席ばかりする人はいない。なぜならこの世界に住まう高校生たちはみな、青春時代を謳歌することでしか、癒されない傷があるからだ。
だから、私が病気でもないのに三日間も欠席したのは異例の出来事だろう。でもそんなことはいま、どうでもいい。今後のことなど、気にならなくなる決断をしてしまったから。
「ふう」
数日の間、根詰めすぎて頭がおかしくなりそうだった。
肺が新鮮な空気を求めて息を吐いて、再び吸う。生きているという感覚が、もうすぐ失われることが、信じられなかった。
春樹くんの声を取り戻したい。
私はやっぱり、春樹くんにもう一度夢を見せてあげたい。
たとえ私と一緒にいられなくても、彼が人生をかけたアーティストという夢を、この世界でも取り戻してほしかった。
春樹くんにとって大切なものが私だというのなら、私は喜んで命を差し出す。
私がこの三日間、必死に考えてたどり着いた答えはこれだった。
私がいなくなること。
春樹くんが、もう二度と手に入らない状態になること。
ただ彼から離れるだけじゃ、たぶん意味がない。案内人が言っていたように、本気で彼の声を取り戻すには、私が「消滅」するしかないのだ。
この世界から退場する唯一の方法は、自ら命を絶つこと。
最初に案内人から言われた言葉が、頭の中で何度も反芻された。
「春樹くん。私の夢を応援してくれて、ありがとう」
屋上でひとり、天高い空に向かって私は呟いた。学校の先生になりたいと私が打ち明けた時、彼は「素敵な夢だ」と言ってくれた。私は、成績が悪くて、この間だって、英語の授業で解答を間違えて大恥をかいてしまったけれど。春樹くんのあの言葉のおかげで、たとえ今勉強ができなくても、夢のために努力しようと思えた。
「叶わなくなっちゃったけど、それでも嬉しかったよ」
だからね、もう後悔はないんだ。
私はこの空に向かって、さよならを言うよ。
屋上の端には、柵が設置されているのが普通だと思うけれど、ディーン高校にはその柵すらついていない。
私は屋上の縁の部分に立ち、今にも吸い寄せられそうな澄み渡る空を仰いだ。
さあ、早く。
ここから飛び降りて、彼の声を取り戻そう。
喜んで、くれるだろうか。
……それとも、声を上げて泣いてくれるだろか。
「どっちでもいいや……」
春樹くんの未来が明るいものになるようにと想いを馳せながら、私は右足を宙に浮かせた。その時だ。
「夏海やめろ!」
「わっ!?」
突然背後から名前を呼ばれて、私はバランスを崩しそうになりながら、右足を地面に着地させる。声の主の足音が、ダッダッダっと近づいてきて、私を後ろから羽交い締めにして床に倒れ込んだ。私は、その人の身体の上に乗っかるようにして倒れたので衝撃は少ない。でも、下敷きになった彼のことを考え、咄嗟に跳ね起きた。