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「でも、僕の夢は長くは続かなかったんだ」

 揺れる海面を眺めながら、僕は夏海に向かってそう吐いた。
 彼女が息を呑む音が聞こえたような気がする。

「その後、どうなったの……?」

 だだっ広い海の中に、僕たちは置き去りにされた。

 *

 まるで、広い海を悠々自適に泳いでいるかのように、居心地の良い日々だった。
 目が回るほど忙しく過ぎ去っていく時間も、テレビ出演後にエゴサーチをして、「Harukiの歌が最高だった」という褒め文句を探す時間も、僕が求めていた人生そのものだったと思う。忙しすぎて、体調を崩すこともままあったが、自分の選んだ歌手という道で生き残ることができるのなら、ちょっとやそっとの体調不良は気にならなかった。
 そうして僕は、Harukiとしてファンの求める歌を歌い続けてきた。あらゆる番組の出演を勝ち取り、足繁く東京へ通った。
 けれど、そんな心地の良い日々は長くは続かなかった。
 2回目の高校三年生の一学期、期末テストが終わった頃のこと。
 僕は主要五科目のうち、三科目で赤点を取った。今まで歌手活動に傾注していたせいで、勉強をおろそかにしていた自覚はあった。でも、赤点を取ったのは初めてだ。
 さすがに今回は手を抜きすぎたと思う。
 母さんに見つかったら、きっと大目玉をくらうだろう。
 内心焦りつつ、帰ってきた答案用紙を小さく畳んで、鞄の中にそっとしまおうとした、その時だ。

「うわ、真田のやつ、三科目赤点取ってやんの!」

 僕の手から答案用紙がすり抜け、頭上からは大声で叫ぶクラスメイトの声が降ってきた。

「みなさ〜ん、こちらが“天才高校生歌手・Haruki”くんでえーす!」

 ケラケラという笑い声と共に、スマホのカメラを向けてきたのは、僕から答案用紙を奪った張本人ではない。また別の男子生徒が、僕に分かるように動画を回していた。

「あれえ、天才高校生歌手が赤点取ってる! しかも三科目も! びっくりしませんか? これじゃ、ただ歌を歌って好きなことだけしてる、怠惰な男ですよw」

 名前も覚えていない年下のクラスメイトが、悪意に満ちた声色でスマホに言葉のナイフを吹きかけるのを聞いて、背筋がぞっと震え上がった。
 なんとなく、彼がただの動画ではなく、LIVE動画を撮影しているのだと分かり、さらに寒気が増す。

「みんなコメントありがとう! そうだよねえ。Harukiのこと見損なったよね? もう彼のために無駄金を費やすのはやめようぜw じゃないと、学校で落ちこぼれくんになっちゃうからさ」

 撮影者の言葉に、周囲にいた何人かのクラスメイトが、ケタケタと腹を抱えて笑った。
 耳まで真っ赤になった僕は、ただ俯くことしかできない。
 顔を上げたら、真正面からクラスメイトたちの悪意を受けてしまう。それがひどく怖かった。
 LIVE動画撮影が終わり、放心状態で固まっていた僕に、誰かがバケツの水をぶっかけた。

「うわあ」

 という女子たちの哀れみの声が、僕の心をより一層冷たくする。

 勉強をせず、度々学校を休んで歌手活動をしている僕のことを、よく思っていないクラスメイトがいることは分かっていた。
 でも、僕はそういう人たちのことを、自分とは関係のない人たちなのだと思って、無視していたのだ。そのツケが今、回ってきたみたいで視界がぐにゃりと歪んだ。
 それが涙だと気づいた時にはもう、例のLIVE動画が全世界に拡散されてしまっていた。