しかしいくら僕たちにとって、SNSでの活動が新しい試みだったとはいえ、YouTubeもTikTokもブルーオーシャンではなかった。自分たちと同じように考えて、デビュー前にファンを増やそうとするアーティストはたくさんいた。
 そんな激戦区で僕たちが生き残るために、ファンの意見をとことん反映させることにこだわった。
 視聴者が求めていたのは、“上手い歌”だけじゃないことが分かった。
 最初はフォロワー数も二桁ほどだったバンドが、成長していく様子を見たいという欲求があることに気がついた僕たちは、歌の制作風景から練習風景まで、余すことなく見せた。さらに、メンバーのパーソナリティも公開し、歌とは関係なく、それぞれの個性を見せるような動画もアップした。
 曲に関して、僕たちはロックな曲調のものを演奏することがほとんどだったが、意外にもバラードを聞きたいという要求が多かった。
 ドラマーの言う通り、曲調と雰囲気をガラッと変えてみたり、編成を変えてみたりもした。今の若者はタイムパフォーマンスを意識するというので、AメロもBメロもサビのような盛り上がりを見せる、まったく新しい曲をつくった。視聴者の要求に一つずつ答えていくうちに、ファンは少しずつ増えていった。とても骨の折れる作業で、自分たちの求めていた音楽とはまったく違うものが出来上がっていくことに不安や寂しさも覚えたが、ファンが増えていくことは純粋に嬉しかったし、僕の中で欠けていた心の空洞が、満たされていく心地がした。

「春樹、お前、一人で歌ってみるのはどうだ?」

 ドラマーが僕にそう告げたのは、新曲をつくり、そのお披露目動画をアップした日の夜だった。伸びていく再生数と、増えるフォロワーの数に、目を奪われた。今までこれほどまでに世間に注目されたことがなかったので、メンバー全員で歓喜した。音楽ユニット『SEAOSO N』のYouTubeの登録者数は三十万人を超えていた。

「一人で?」

 本当はその日、全員でご飯にいくつもりだったのだが、他の二人は用事が入り、家に帰っていった。そのため、僕とドラマーの二人きりで食事をしていたところだ。

「ああ。最近、コメントでよく見かけるんだよ。『ボーカルの春樹さんの声を、もっと聞きたい』『一人で歌って欲しい』って。俺たちもさ、はっきり言ってここまで人気が出たのは春樹の歌が上手いからだと思ってる。だから、思い切ってお前は独立してみるものアリかなって。もちろん、俺たちとの活動も続けてくれたら嬉しい。お互い相乗効果で有名になれるぞ。どうだ?」

 ドラマーの目は、いちグループメンバーとしてではなく、完全にプロデューサーとしてのそれだった。僕は、自然にゴクリと生唾を飲み込む。
 僕が一人で歌うなんて、そんなの到底無理だ。
 そう言おうと思ったのに、頭では別の答えが、泉の底から水が湧き上がるように迫り上がってくる。
 やりたい。
 一人で、歌いたい。
 決してバンドで歌うのが嫌なわけではない。でも、自分の可能性を広げられるチャンスがあるのなら、手を伸ばして掴んでみたかった。たとえそれでダメでも、僕には帰る場所がある。仲間がいる。だから、何も怖いものなんかない——。
 何より、僕を勉強で縛り付けようとする両親を、ぎゃふんと言わせてみたかった。

「決まりだな」

 僕が何も答えないのを見て、ドラマーはそれを肯定の意だと受け取ったらしい。実際図星だったのだから、彼に言うことは何もなかった。

「よし。じゃあ明日から、お前はシングルデビューしろ。曲も、できるだけお前が作れ。難しければもちろん俺たちも協力する。でも、その分グループでも頑張ってもらうからな」

「分かった。ありがとう」

 かくして僕は、その翌日から高校生シンガーソングライター『Haruki』として活動を開始した。
 曲作りに関してはバンド時代からやっていたので苦ではなかった。むしろ、今まで『SEASON』には合わないと思って諦めていたバラード曲も作曲し、のびのびと歌うことができた。
『Haruki』個人のYouTubeとTikTokアカウントを登録すると、一ヶ月でフォロワーの数は爆発的に増えた。もともと『SEASON』をフォローしてくれていた人が大半を占めたが、中には新規のファンも多かった。バンドには興味がなくても、シングルの歌手を好む人もいるからだ。
 毎日が楽しくて、夢のようだった。
 YouTubeのチャンネル登録者数と、TikTokのフォロワーの数が百万人を超えた。
 テレビ局から声がかかり、地上波デビューを果たした。
 それからは、あれよあれよと出演番組が増え、多忙を極めた。僕は、次第に『SEASON』での活動に参加できなくなったが、メンバーは誰一人として僕を責めなかった。「春樹のおかげで俺たちも食べていけるようになったんだ」と言われると、胸をつまるような思いがした。
 もちろん、学校へはほとんど行けなくなっていた。
 僕は留年が確定し、両親からは大激怒を食らった。
 それでも夢を追うことを諦めなかった。
 僕は、これから歌手として、立派に生きていくんだ。
 ファンに愛されて、求められて、自分の信じる芸術を、日本中に届けたい。
 あまりにも単純な夢だけれど、今の僕には叶えられる。
 本気でそう信じていた。