「僕は、僕は……」

 胸につっかえる絶望という名の黒い塊が、癌細胞みたいに膨らんで、もうどうにも手の施しようがなかった。僕が、絶望の癌に苛まれながら向かった先は、昼間は真夏の太陽が照りつける海だ。それが、昨日——というか、今日の夜中のこと。
 だんだんと記憶が明確になってきて、前後の自分の行動がはっきりと思い出された。

「僕は、あの海に歩いて行って——」

 夜の海は、昼間海水浴客で溢れる輝かしい海とは打って変わってどす黒く、眺めるだけで不安に足を絡め取られそうになった。水平線なんてどこにあるのかさっぱり分からない。ただ月明かりだけが水面に反射して、絶望の淵にある僕の最期に、花を添えてくれているみたいだった。
 波打ち際は足首ほどしか水位がないのですっと歩くことができた。でも、水がふくらはぎを通り越し、膝を覆い、お腹の下あたりまで迫ってきた頃には、もがいてももがいても明るい未来に進むことのできない僕の人生を体現するように、進みが悪くなっていた。
 つい数ヶ月前までは、あんなにも未来は輝かしい光で満ちていたのに。
 燦々と輝く夏の太陽みたいに、全力で、僕の命は燃えていたというのに。
 今となってはもう、月明かりに少しばかり心が慰められて涙が止まらないほど、未来へと続く道が黒く塗りつぶされていた。
 やがてその道はプッツリと途切れ、僕は自分の足で前に進むことを諦めてしまっていた。
 歩けなくなった僕は、身体を海に浮かせてぼんやりと月を眺める。
 最期に見た景色が、孤独の海で見る月で良かった。
 そう思うことでしか、僕のどうしようもない人生の終わりを、納得させることができなかったのだ。

「僕は、死んだのか——?」

 ようやく理解が追いついてきて、頭を抑える。
 僕は確かに昨日、真夏の夜の海に身を沈めた。最後に見た月の明るさが、今でも記憶にこびりついている。でも、本当に死んだのだとすれば、どうして僕は今こんな草原で息をしているのだろう。
 当然の疑問が頭の中で渦を巻き、これはやっぱり夢なのか、はたまたここがいわゆる天国というやつなのか、と状況を飲み込めないでいるうちに、頭の中で知らない声が響いた。

——ようやくお目覚めですね、真田春樹さん。

 突然聞こえた女の人とも、男の人とも分からない声に、僕は自分の身体が震えるのを感じた。

「だ、誰だっ」

 咄嗟に周りをぐるっと見回してみるも、ここは何もない草原で、誰の姿も見えない。そんなことは分かっているはずなのに、この奇妙な現象を理解するにはそうせずにはいられなかった。

——わたしは、あなたの死後の案内人です。お気軽に、“案内人さん”と呼んでいただいて結構ですよ。

 どこか柔かな響きを持ったその声は、昨夜自ら命を絶った僕の薄ら暗い状況とは裏腹にとても澄んでいて、爽やかな朝に冴え渡る朝日のようだった。