入道雲がもうもうと空に立ち上っている。
肌にまとわりつくような暑さが、普段は鬱陶しく感じられるけれど、海で遊ぶ約束をしている今日に限ってはちょうど良いと思われた。
待ち合わせをしている「七浜」へは、電車で一時間ほど揺られて行く必要があった。しかし駅から出るとすぐに目の前に海が広がっていて、交通のアクセスの良さに驚かされる。
「春樹、やっほ」
七浜に着くと、理沙が元気よく声をかけてくれた。隣には夏海も龍介もいるが、二人とも小さく手を振るだけで、なんだか気まずそうにしている。どうしたんだろう。僕の顔にホコリでもついているのだろうか。
「こんにちは」
夏海はワンテンポ遅れて僕に挨拶をしてくれた。それにつられるかのように、龍介も、「うっす」といつもよりは低い声で告げた。
「みんな、遅れてごめん」
「いやいや、遠かったし、仕方ないよ。春樹は七浜、初めてでしょう」
「うん。それにしても広いな。ここならたくさん泳げそうだ」
僕の感想に理沙がにっこりと頬を綻ばせる。
先週の花火大会の日、僕はほとんど理沙と一緒にいた。理由は単純で、人混みの中で龍介と夏海のことを見失ってしまったからだ。
理沙は僕と二人きりでも祭りを楽しんでくれていた様子だったから、ほっとした。それと同時に、夏海たちのことがずっと気になっていて、今日は二人に久しぶりに会えたような心地がした。
「さっそく泳ぎに行こうよ! 私、ずっと早く水に浸かりたくてうずうずしてるの」
夏海が持ち前の明るさで僕たちを海へと誘う。
先ほどまでなんとなく気まずそうにしていた彼女だったが、いつも通りの天真爛漫さが戻ってきて僕は安心した。夏海がしゃべらないと、みんなの調子が狂うのだ。
それに……と、僕はゴールデンウィークにカラオケに行った帰り、夏海と手を繋いだ日のことを思い出す。
夏海とあんなことがあってからというもの、僕は夏海のことを無意識のうちに目で追ってしまっていた。現実では友達すらいなかった僕が、女の子と手を繋いだことなんてもちろんなかった。初々しいやりとりに、不覚にも胸が詰まるような想いがした。
以来、夏海とは二人きりで話す時間が増えたものの、関係が進展したかと言われればそういうことはない。
まあ、僕なんて現実でもモテないフツメンの男だったからな……。
夏海の方も、僕のことをなんとなく意識してくれている——ということは、分かっているのだが、それが好きというはっきりとした感情に育っているのかは不明だ。僕も、彼女にはっきりと気持ちを伝えられないほど、自分の気持ちに無自覚だった。
「あーあっちいなっ。もう俺から行っちゃうぜ?」
龍介が突然声を上げてTシャツを脱ぎ始める。女子たちが「え!?」と龍介から目を逸そうとするが、龍介の行動はすばやく、さっと水着姿になると海に飛び込んだ。
ぱしゃん、と水飛沫がはじけて龍介が海の水に一瞬沈んだようだった。しかしすぐに「ぷはー!」とビールを飲んだおっさんのような声を上げる。よっぽど気持ち良いんだろう。その様子を見ていた理沙と夏海が慌てて岩陰に行き、服を脱いで中に着ていた水着姿を披露する。夏海は水色、理沙は黒いビキニでどちらも似合っていた。あまり直視できない僕は、遠くから二人が海の方へと駆けていく様子を見ていた。
「わー気持ちいい!」
理沙と夏海が互いに水を掛け合う。
そこに龍介も便乗して、三人でバシャバシャと音を立てながら海を堪能している。
「春樹も来てよ!」
理沙がそう叫ぶ。
僕は、一歩砂浜を踏み締めて進む。
頭の中で、かつての記憶が蘇る。
夏の夜の海で、足首が少しずつ水に浸かっていったこと。
誰もいない黒い海が、僕の絶望ごと掬い取っていったこと。
空に浮かぶ月だけが、僕の最期の瞬間を見守ってくれていたこと。
海面に反射する月明かりが反射して、恐ろしいほどに美しかったこと。
どの記憶も鮮明で、色褪せることなく記憶の真ん中にこびりついている。僕が生前、最後に見た景色は夏の夜の海だから。
夏海に、夏休みにみんなで海に行きたいと言われた時は、正直戸惑った。
僕はもともと海が好きだ。でも、自分が死を迎える場所になった海に、もう一度近づくことなんてできるのだろうか?
懐疑的な思いから、海に行くのはやめようと言おうかと思ったのだが、夏海のきらきらとした瞳を見ていると、どうしても、彼女の思いを否定することはできなかった。
昼間の明るい海だし、きっと大丈夫だ。
夏海たちだっているんだから。
僕はもう、現実で自ら命を絶った僕ではない。
そう自分に言い聞かせて海に行くことを承諾したのだ。
「春樹?」
龍介も、僕がなかなかやってこないのを訝しく思ったのか、どうしたんだ、と目で訴えかけてくる。
僕はその目に射すくめられ、はっと我に返った。
そうだ。早くみんなの元に行かないと。
服を脱いで海パン姿になった僕は、いそいそと海辺へと向かった。
やがて水が足首に浸ると、思ったより冷たくてびっくりする。でもやっぱり、あの夏の夜とは違う。燦々と照りつける太陽で、背中が焼けるように暑いのだ。僕はたまらなくなって、そのまま海へとダイブした。
「うわっ!」
突然思いきった行動に出た僕に、龍介が驚きの声を上げる。潮水が顔にかかって、僕はしばらくケホケホとむせていた。
「もう、何してるのよ。びっくりするじゃない」
理沙も小言を言いながら、僕が海に飛び込んだことに安心したのか、水をかけてきた。
ようやく揃った四人で、海の中ではしゃぎながら水をかけたり、海の中で鬼ごっこをしたりと、夏のイベントを思い切り楽しんだ。