「想から放課後に寄り道したいなんて珍しいな」

 揶揄うように、それでもどこか僕を心配するように神楽が振り向いて呟く。
いつもと何も変わらない帰り道、いつもなら曲がる角を曲がらずに進む神楽の背を追いかける。

「そういう気分だったの、神楽しか話す相手いないんだから悪いけど付き合ってもらいたくて」

「ちゃんと思い返してみれば想が俺以外のやつと一緒にいるところあんまりみないかも……想って意外と人脈狭い?」

「意外じゃないでしょ。そもそも僕は積極的に人と関わるタイプじゃないし、人脈なんてあってないようなものだよ」

「現役高校生がそんな悲しいこと言うなよ。あとちょっとでも社交的になれば友達なんてすぐできるのに」

「神楽みたいに人との距離感詰めるの得意じゃないんだよ」

「人脈とかは正直どうでもいいけどさ。それにしても『寄り道』って言い方、想って変なところで可愛さ出してくるよな、あざといキャラでも狙ってる?」

「そんなことあるわけだろ『寄り道』くらい普通に誰だって使う言葉だよ」

 彼女を家へ招いた日から、気づけば数週間が経っていた。
朝席へつけば彼女が隣に座っているし、当たり前のように笑って挨拶をしてくれる。神楽や白石との会話にも積極的に参加するようになって彼女自身の明るさを感じる回数も増えた。
ただ僕の中にはずっと、晴らすことのできない靄がかかっている。

「ちょっと時間はかかるけどさ、想が嫌じゃなければバスに乗って新しくできたカフェにでも行かない?」

「いいね、どこの駅の近く?」

「名前は忘れちゃったけど……想が通ってた中学校のすぐ近くだよ」

「なんとなくわかった、じゃあ今日はそこにしようか」

 タイミングよく停車したバスに乗る、下校ラッシュを過ぎたバスの乗客は少なく一番後ろの座席へ腰掛ける。
荷物を肩から下ろして隣を向くと、神楽が窓の外の遠くの方を見つめていた。

「ねぇ神楽」

「ん?」

「どうしてバスに乗るなんて提案したの?」

「どうしてって……どうして?」

「神楽バス酔い酷い方じゃなかったけ、提案してくるなんて何かあったのかなって思って」

「何かあったのは想の方なんじゃないの?」

「えっ」

「あんまり俺の目を甘くみないほうがいいぞ。毎日仕事で家にいないお母さんの代わりに妹と弟を一人で世話してるんだ。周りの人の違和感に気づくことは得意なんだよ」

 大切なことを伝える時に、照れ隠しでぶっきらぼうな口調になるのは神楽の可愛らしい癖。
バスの小窓を少し開けながら、いくらスマートフォンの通知が鳴っても画面を見ずにひたすら遠くの方を眺めている。

「神楽」

「ん?」

「ありがとう」

「こちらこそ、あと強引な言葉しか思いつかなくてごめん」

ー*ー*ー*ー*ー

「店内結構混んでるね」

「オープンしたばっかりだし評判もいいらしいよ、長めに予約は取ってあるから時間は気にしなくて大丈夫」

「神楽って人のこと喜ばせるの得意だよな」

「そうかな……よくわかんないけど、そうだとしたら寧々のおかげかもな」

 邦楽が響く店内は、パンケーキとカフェオレの甘い匂いがした。
子供連れの賑やかな声と、テラス席で微笑むカップルの雰囲気、そんな中でもいつもと変わらない神楽の安心感。

「最近体調とかはどうなの」

「夜はあんまり眠れないかも、でもそれ以外は大丈夫だよ」

「やっぱり眠れてないんだな、前まで想が授業中に居眠りすることなんてなかったから後の席から見てて変だなって思ってたんだよ」

「えっ嘘、僕寝てる?」

「見てる限り結構な頻度で寝落ちしてる、それで赤点取らないことがすごいよ」

 神楽も僕も、そこそこ成績はいい。
無断欠席の多い神楽は一時期進級できるか危うくなったけれど、家庭の事情を考慮され予定通りの卒業が確定している。
ただ三年間皆勤賞の僕は、よく授業態度を指摘される。今回の居眠りも教師の目に余れば、大学の推薦枠から外されてしまうかもしれない。漠然と突然の危機感に襲われる。

「進学とかやばいかな……」

「想の成績なら大丈夫だろ、推薦でも一般でも受かるって」

「そうなるといいけどさ」

「……俺もそろそろ本気で勉強しないとやばいかも」

「そういえば今日は帰る時間遅くなって大丈夫なの?弟さんとか妹さんのことあると思うし」

「今日は二人とも宿泊野外活動で家に帰ってこないんだよね。門限はないから何時になっても大丈夫、バスの時間と想に合わせるよ」

「それなら良かった、ありがとう」

 時計の針は、既に七を指している。
普段なら家に帰って、朝方に帰宅する母親の食事の支度をしているところ。

「ちょっと早いかもしれないけど、本題に入ってもいい?」

「本題?」

「想と楪さんのこと、想が悩んでて俺が力になれそうなことは悔しいけどそれくらいしかないからさ」

「悩んでるのかな……そんなに深刻なことじゃないような気もするけど、わからないことが多いんだよね」

「じゃあそれを一つずつわかっていこうよ、そうじゃないと想も楪さんも先に進めないだろうからさ」

 神楽の言っていることに間違いはないような気がした。
それは神楽が白石と長く付き合っているからという安直な事実からではなくて、僕自身が探していた解決策を奇妙な程に汲み取って言葉にしてくれたからだと思う。

「この間、僕の家に招いた時から叶愛にどう接することが正解かよくわからなくなっててさ」

「一応確認してもいい?」

「いいけど……何を?」

「想、順番は間違ってないよな。お互い気持ちが昂って、初デートで良からぬことを……とかはないよな、もしもそうならまた別の問題が……」

「それはない、言い切る」

「良かった、話を逸らして悪かった。もう少し詳しく聴かせてほしい」

「僕が叶愛のこと、どう思っているのか自分の中で曖昧になっちゃて」

「好きかどうかわからないってこと……?」

「そういうことなのかな」

 契約的に付き合った僕と彼女の本当の関係が、僕には正直わからない。
関係というより先に、お互いの本当の気持ちを僕達は知らないままでいる。
お詫びという理由で交際を持ちかけられたけれど一度断った僕へ彼女が向けた強引な表情も、言葉も僕の中で一つの謎として残っている。それにお詫びの手段なら付き合う以外の方法がいくらでもある。
彼女が条件付きで告白してきた理由も、今改めて考えるとわからない。

「想」

「ん?」

「好きとかの前にさ、想は楪さんのどんなところが素敵だと思う?」

「素敵……」

「外見でも内面でもなんでもいい、とにかく詳しく言葉にしてみてほしい」

 僕の中にある少ない彼女に関する情報からでもわかる、彼女の魅力。
彼女の転入から既に一ヶ月が経とうとしている。初めて彼女を見た時は、正直何の感情も湧かなかった。クラスメイトが一人増えたという事実を呑み込むだけだったけれど、席が隣になって、一緒に過ごす時間が必然的に増え始めた頃から、僕は彼女の何かに気づいていたのかもしれない。
クラスの異性とも、よく言葉を交わす白石とも違う。
彼女はきっと、僕が人生で出逢ってきた誰とも似ていない特例的な人物なのかもしれない。

「素敵なところか……」

「どんなに些細なことでもいい、これに正解とかはないからさ。想が思ったこと教えてほしいんだ」

「素直に感じたことを表情に出すところ」

「例えば?」

「この間僕の家に来た時に、修学旅行の写真を見せたんだけどすごく楽しそうに笑ってたんだよ。でもちょっと悲しい話をすると、すごく寂しそうな顔をするんだ」

「そうなんだ……他にはある?」

「話し上手で盛り上げ上手なところかな」

「全然俺の中の楪さんのイメージにはないけど、想が言うならきっとそうなんだろうな」

「たまに休み時間二人になるとさ、ちょっとした雑談でも終わりが見えなくなるくらい話が盛り上がるんだよね。言葉遣いも上手でさ」

「楪さんにそんな一面が……まだあったりする?」

「物怖じしないところかな」

「それも詳しく聴きたいかも」

「高校三年生の夏休み明けに転校してくるってさ、結構怖いことだと思うんだよね。人間関係とか進路とかで周りがある程度固まった状態に独りで入ってくるって怖いじゃん」

「確かに、俺だったら絶対嫌だな」

「でも叶愛は怯えずに自己紹介もしてたし、同性の白石だけじゃなくて僕とか神楽にも話しかけたりしててさ。人付き合いが上手とかもあると思うけど、飛び込んでくる勇気がすごいなって僕は思うんだよね」

「言われてみればそうだよな、まだあるなら聴くよ」

「言い始めたらキリがないのかもしれないけど、たぶん全部に共通してることがあってさ」

「共通してること……?」

「僕が持ってないものを彼女は持ってる」

「想が持ってないってどういう意味?」

「神楽の言葉を借りるなら」

「うん」

「僕が持ってない『素敵』を彼女は持ってるってこと」

 我ながら気恥ずかしい台詞を発してしまったと赤面する顔を誤魔化す。
コップに注がれたカフェオレを味わう間も無く流し込んだ。きっと茶化されてしまうような言葉をどうにか取り消せないかと必死に言い訳を考える。

「想」

「何……」

「想、楪さんのこと大好きじゃん」

「え……」

「自分で言うのも嫌だけど俺なんて最初の理由が一目惚れだからさ、それだけ自分の彼女の内面の素敵さを言葉にできるってすごいことだと思う」

「でも……」

「じゃあ次は違う質問ね」

「うん」

「寧々の素敵なところ、想は答えられる?」

「それ、僕が答えていいの?」

「いいから言ってみてよ」

「白石は……社交的で、誰とでも仲良くできて、明るいとか」

「それ全部言い換えてるだけで言ってること一緒じゃん」

「神楽は言える?白石の素敵なところ」

「誰とでもすぐに話ができて、ちょっとがさつなところもあるけど字は絶対に丁寧で、意外と授業を真面目に受けてて、授業を真面目に聴いてるのにテストの点数は低くて、目標にまっすぐで、好きになった人のことをずっと一途に想ってくれるところ」

「白石のこと、語りきれないほど愛してるんだな」

「そう思うだろ?これ、今の想と全く一緒だよ」

「……」

「大丈夫、想はちゃんと楪さん自身をみれてるよ」

 全てを見透かされているような助言に安心しながらも、やっぱり少し照れ臭かった。
神楽は僕と彼女の本当の関係を知らないけれど、知らないからこそ僕の本当の気持ちを暴いたのだと思う。
この気持ちは僕の片想いかもしれないけれど、心のどこかで彼女も僕と同じような気持ちになっていてほしいと願ってしまった。

「想」

「……何?」

「素敵な人に出逢えてよかったな、改めておめでとう」

 僕が避け続けていた『大切』をこの身体の全てで感じたくなった。
心から相手を信じて、まっすぐな言葉を素直に受け取って『友達』と思いたい。惹かれた何かを素敵だと思い、実るかわからない恋をしてみたい。そして誰かを愛することを覚えたい。

「神楽に相談したいことがあってさ」

「何でも聴くよ」

「二週間後、叶愛の誕生日なんだけど……僕、何から準備すればいいかわからなくてさ」

「そういう話題を待ってたよ、楽しくなってきた」

「神楽にしか訊けないからさ、なるべく詳しく伝授してほしい……!」

「大体の予定とかは決めてる?」

「大体の予定?」

「渡すプレゼントの内容とか場所とか時間とか」

「恥ずかしながら何も……」

「……まじか、でも大丈夫。今日は相談役にもう一人、頼もしすぎる人を呼んでるんだよ」

「えっ」

「大丈夫!今こっちに来たから二人が今まで何を話していたか、私はほぼ知らないから!」

 仕切りの外から飛び出してきたのはエプロン姿の白石。
普段腰あたりまで綺麗に巻かれた髪が低めの位置で一つに結ばれている、その様子から来客としてこのカフェにいるわけではないということは一目でわかる。

「白石、うちの高校は原則バイト禁止だろ……?よくバレないな」

「違うよ……ここは私の両親が開いた店なの!だからその手伝いをしてるだけで一切お金は貰ってない!」

「だから神楽が知ってたのか」

「オープンする時の荷物運びを手伝って、オープンしてからもたまに来てるんだよね」

「そうそう、律はこの店にとって頭が上がらない常連さんなの」

 いつもの調子で二人が笑みを交わす、その空間が僕にはいつもより和やかに感じられた。

「それで叶愛ちゃんの誕生日の話だっけ」

「そうそう、まだ何も決まってなくてさ……寧々の考えも聴きたくて」

「初デートで家に行ったなら……旅行とかがいいと思う」

「旅行か……」

「卒業したら予定を合わせることも難しくなるだろうし、一泊二日だけでもすごくいい思い出になると思うんだよね」

「楪さんは旅行苦手とかないかな」

「この間旅行することは好きって言ってたから、誘ったら喜ぶとは思うけど……」

「何か不安なことはある?私にできることなら最大限手伝うよ、女の子同士だからこそ話せることもあるだろうし」

「僕的には、ちょっと前に付き合い始めたカップルが二人だけで旅行って……下心的な意味で捉えられないか不安かな……」

「確かに、俺もまだ寧々と旅行したことないし……ちょっと怪しいかもね」

「白石はどう思う?」

「私は……場所によるかも」

「場所?」

「例えば王道の観光地を巡ってみるとか、宿泊先をホテルじゃなくて旅館にしてみるとか」

「なるほど……それなら叶愛も怖がらないかもね」

「きっと心配しなくても大丈夫だよ、想の普段の言動から不誠実さは一切感じられない。だからそもそも楪さんも怪しんだりしないと思う」

「私もそう思う、叶愛ちゃんなら喜んで誘いに乗ってくれると思うよ」

「それなら……よかった、ありがとう」

 二十一時、既に閉店時間を過ぎた店内は僅かに残った甘い匂いと調理場の音に包まれている。
恋人でいられる卒業までの間に、僕も彼女に最大限の楽しめることをプレゼントしたい。きっとその願いを叶えられる選択肢として旅行は相応しいものだと思う。

「誕生日としてサプライズにするなら行き先とかも決めておいた方がいいよね」

「確かに寧々の言う通りサプライズなら決めておかないと……想、何か候補とかある?」

「候補か……」

 家族旅行すら行ったことのない僕が最大限の記憶を辿る。
一泊二日、双方に負担のない金額で充実感の得られる場所……。

「修学旅行……」

「修学旅行?」

「僕達が行った修学旅行のコースを巡るんだよ!そうしたら旅行が終わった後もみんなで思い出に浸れるかなって思って、叶愛との共通の話題も増えるだろうし」

「何それめっちゃいいじゃん、律はどう?」

「俺もすごくいいと思う、でも楪さんが通っていた学校の修学旅行と行き先が一緒じゃないか事前に確認はした方がいいような気がする」

「叶愛、小学校からずっと修学旅行は欠席だったらしい」

「そんなにタイミング合わないことあるんだ……なら丁度いいじゃん!久遠君が叶愛ちゃんの初めての修学旅行、最高に楽しませてあげなよ」

「旅館とかは俺と寧々も調べるの手伝うし、協力できることはするから想も安心して大丈夫」

「神楽も白石も本当にありがとう、絶対いい思い出にしてくる」

「間違っても泣かせないでよ?私の叶愛ちゃんでもあるんだからね」

「心配しなくても大丈夫だよ、想ならきっと笑顔で帰ってくるはずだからさ」

 そんな期待を背負いながら、彼女との二日間を想像する。
彼女は隣で笑っていてくれるだろうか、そしてあわよくばみたこともないような表情をみせてくれるだろうか。
彼女にとっての恋人らしい特別を、僕は彼女に渡したい。