夜が堕ちてきた、抗うように月が昇る。
贖罪月(ギルティムーン)』室町時代から語り継がれている数千年に一度、夜空に浮かび全ての罪を奪い去る月。
そんな月すら、私の目には霞んで映ってしまう。

月和(るな)、呼び出しちゃってごめんね」

「大丈夫、急に電話が来て驚いたけど……」

 数千年の奇跡を共にする相手に、彼は私を選んだ。
理由はわからない、電波越しに『一緒に綺麗な月をみたい』と告げられたから。
疑うこともなく外へ出て、辿り着いた殺風景な空き地のベンチに並んでいる。

「だよね、でもこの月は月和と一緒にみたかったんだ」

一夜(いちや)でもそんなこと言うんだね」

「どうして?普通に言うことだと思うけど」

「だって私、一夜と付き合ってるわけじゃないよ?」

「付き合ってないと一緒にいたいって言っちゃダメなの?」

「そういうこと、女の子に安易に言わないほうがいいよ」

 彼は私より一つ年上で、その歳月の差が私には酷く大人っぽくみえた。
中学の頃からの仲で、お互いを友達だと思っていたけれど本当の私はそれほど器用に割り切れていなかった。
すこし大人な彼に、惹かれていた。

「安易に言ってるつもりはないよ」

「そういう言葉は恋人だけに言うものなんだよ」

「そういうものなのかな」

「そういうものなの」

 彼の口から白い息が(こぼ)れる。
私と彼を刺す月の光は白い、淀みのない純白の月光。
この世界だけにふたりきりだと都合のいい錯覚に陥ってしまうほど、美しい空間に溺れてしまいそうになる。

「月和は彼氏とかできた?」

「もしかしてだけど……馬鹿にしてる?」

「そんなつもりはないけど……気になるじゃん、中学からずっと一緒なんだし」

「私の好きな人、知ってるよね……?」

「それは前の話でしょ?」

「……一夜に答えられるわけないじゃん」

「素直な女子の方がモテるらしいよ、クラスのやつが言ってた」

「素直になっても報われないことってあるらしいよ、ちょっと前の私が感じてた」

「そのことは反省してる」

「大丈夫、私も吹っ切れてるから。未練がましい女にはなりたくなくて」

 三ヶ月前、私の中にある彼への想いは散った。
その日も月が綺麗な日だった、そんな夜空の主役すら背景と化してしまうほどの想いは月の光に飽和して溶けた。
なんとなく、結ばれる縁だと期待していた当時の私に恥ずかしさが刺さる。
そして今も、その想いが私の中に隠れていることにもどかしさが襲う。

「俺、卒業するまでには彼女できるかな」

「一夜の隣に可愛い彼女がいるの、想像できないかも」

「生意気な後輩ですこと」

「もうすこし可愛げがあった方がいい?」

「そっちの方がモテるよ」

「モテたところで得することなんてないよ、きっと損もしないだろうけど」

「小難しい人間ですこと」

「『ですこと』気に入りすぎだよ」

「あっバレた」

「でも私、一夜のこと『先輩』って意識してみたことないかもしれない」

「確かに、俺も月和のこと『後輩』って思って接したことない」

「そうだよね、なんとなく感じてた」

「俺、月和から『一夜先輩』って呼ばれたことないかも」

「だって先輩らしくないじゃん」

「本当に生意気なやつだよ」

 素直になれない、言葉にできない。
本当はずっと、誰よりも、彼のことが大人っぽくみえていたこと。その背中に届くように『一夜先輩』と呼び留めてみたかったこと。
猫を被っていたとしても、可愛らしく、後輩らしく、甘えて可愛がられてみたかったこと。
校則の厳しい学校でもバレづらいスクールメイクを夜な夜な探っていたことも、いつか聴いた『ロングが好き』という彼の言葉に沿って毛先をすこし巻いていたことも、全て彼に向けたものだったということすら、伝わらずに散ってしまいたくはなかった。

「一夜はどんな人がタイプ?」

「可愛い子、あと優しい子がいい」

「浅すぎるよ、もうちょっと詳しく聴きたい」

「どんなふうに詳しく?」

「可愛い子って、容姿?それとも性格?」

「性格が可愛いって何?」

「思ったことを正直に言っちゃうとか、感情が顔に出やすいとか……」

「月和、それ月和のこと言ってない?」

「そんなことしないよ」

「今も、思ったこと顔に出てるよ」

「暗くて私の顔なんてよくみえてないでしょ……適当なこと言って動揺させないでよ」

「『思ったことを正直に言っちゃう』は、今の月和に足りてないのかもね」

(もてあそ)んでる?」

「そんなつもりはないよ、そんな意地悪なことはしない」

「で、教えてよ」

「え……?」

「一夜が好きな可愛いとか、優しいって何か」

「理想でいいんだよね、現実的じゃなくてもいい?」

「いいよ、なんでも聴きたいと思ってるから」

「顔が可愛い子は有無を言わさず『可愛いな』って思うよ」

「……そうなんだ」

「でも、やっぱり根底が曲がってる人は好きにはならないかな」

「どういう意味?」

「陰湿な部分を目にしちゃったり、言葉遣いがあまりにも粗雑だったりすると『可愛い』で止まっちゃう」
 
「確かに、言われてみればそうだよね」

「優しさは、僕は上手く言葉にできないかもしれない」

「優しさ……」

「どこまでが本当の優しさかなんてわからないけど、なんとなく感じる『優しい』っていう感覚で好きになっていくんだと思う」

「なんか、一夜らしい答えだね」

「そうかな、それならいっか」

 中学校から、どちらかというと長い間近くにいても隣に並べないような、彼はそんな人。
彼は輪郭のない不思議な雰囲気を纏っている、私はそれにまんまと惹かれている。

「月和はその『優しい』を形にしたような人だと思うよ」

「私が……?」

「他に誰もいないよ」

「なんとなく、嬉しい。すごく」

 そして私は懲りずに弄ばれている。
この関係が好きなわけではない、でもこれ以上に離れてしまうのが怖いということは紛れもない事実だったりする。

「部活」

「え……?」

「部活で一番熱心なマネージャーは誰がなんと言おうと俺は月和だと思う」

「本当……?」

「嘘はつかないよ。二年半の間、辞めていった人もいるけどさ月和は本当にまっすぐプレイヤーのそばにいてくれたと思う」

 彼を追いかけるために、私は男子バレー部のマネージャーに就いた。
彼の輝いている姿を、数メートル先でみていられる数時間が私の青春だったから。

「月和だって、本当はプレイヤーで在り続けたかった気持ちもあったと思うし」

「どうして……?」

「中学まで、エースだったじゃん。さすがの俺でも覚えてるよ」

「覚えててくれたんだ……」

「勝手にライバル視してたから」

「……え」

「体育館の隣のコートでバレーしてる月和のことみると、なんか悔しくなってたんだ」

「そんなこと初めて知ったよ」

「月和が覚えてるかはわからないけどさ」

「……どんなこと?」

「練習試合が被った時の前日、一緒に作戦会議したの覚えてるかな」

「うん、もちろん」

「あの時の月和がすごい生き生きしててさ」

「……」

「試合中は俺らの学年の部員に揉まれて萎縮してる感じもあったけど……試合のことを考えてる時は誰よりも楽しそうに話してくれたから」

「そうだね、一夜とバレーのことを話してる時が一番私らしかった時間だと思う」

「だから、高校になってもその関係が続くんだろうなって俺は思ってた」

「それは……」

「だから新入生から届いた入部届をみてマネージャー希望に月和の名前があった時は正直驚いた」

「なんとなくね、私には厳しいのかなって思ったんだ」

「厳しい……?」

「プレイヤーとしてバレーに向き合うこと、ちょっと好きじゃなくなっちゃいそうで」

「全部の気持ちをわかることは俺にはできないけど、受け止めはするよ」

「だから、裏側からバレーを味わいたかったんだ」

「……」

「私は、バレーが好きで、コートで輝いているプレイヤーを近くでみていたいって思うようになったの」

「月和のすごいところがいくつかあってさ」

「すごいところ……?」

「そう、すごいところ。一つは、誰よりも早く朝練の体育館に来るところ」

「……気づいてたの?」

「気づいてるよ、ほとんど二番目に来るの俺だから体育館に月和しかいなかったら『一番に来てくれたんだな』って気づく」

「それが、すごいの……?」

「一年生のうちはさ、なんとなく最初に来て練習環境を整える風潮があるけど……月和は二年生になっても一番に来てくれてるでしょ?」

「それは……」

「それで負担の大きいことからしていく、後から来た一年生に負担の少ない仕事が残るように気を配ってる」

「そんなところまで、みててくれたんだね」

「気づくよ、俺がストレッチしてる間ずっと体育館内を走り回ってるから。一生懸命さは誰よりも俺が感じてると思う」

「やっぱり嫌いになってほしくないんだよね、バレーが好きで入部してきてくれたはずだからさ」

「それは、月和が苦しさを味わったから?」

「そうなのかな……そうなのかもしれないね」

「月和からは本当に伝わってくるよ、繊細な優しさが」

「……一人でも、ちゃんと伝わってて嬉しいよ」

「すごいところ、まだあるんだけど伝えていい?」

「ちょっと恥ずかしいけど……聴けたら嬉しいな」

「誰よりも、人のことをみてるんだよね。月和は」

「人のこと?」

「マネージャーがミスをした時。いつも無かったことのように振る舞って、影響のないように庇うのは月和だったから」

「え……」

「今年の夏季大会、俺達の代の引退試合の時に足りなかった分の昼食を買ってきてくれたの、月和だよね」

「……どうして一夜が知ってるの?」

「いつも後輩が審判の時に反対側に待機してるはずの月和がいなかったから、珍しいなって思って」

「本当に、一夜はよく気づいてくれるね」

「それくらい頑張ってくれてるからだよ、プレイヤーの怪我に一番早く気づくのもいつも月和だったし」

「それは、やっぱり好きだって思えたからかな」

「え……?」

「一夜の代の先輩も、一つ下の後輩も、もちろん同級生も。入部してきてくれたマネージャーの子達もみんな本当に素敵な人達だったから。だから私はあの場所で頑張りたいって思えたんだと思う」

「俺達はそんな月和に力をもらってたんだよ」

「そっか、私がマネージャーになった意味が今になってついてきた気がする」

「月和の青春の一部が後悔で終わらなくてよかった」

 二年間半、私はその背中を追いかけた。
触れられるわけもない、隣を歩けるわけもない存在を追いかけ続ける時間が好きだった。
可愛らしい後輩にも、か弱いヒロインのような女の子になれなかったけれど、私は全ての瞬間で『好き』を追い続けられた。
だから私の青春に、後悔はない。
たとえ、この関係が二度と戻れないほどに崩れてしまったとしても。

「先輩」

「え……」

「一夜先輩」

「月和……どうして急に、先輩なんて呼び方……」

「先輩だから、先輩って呼んでるの」

 贖罪月、それは全ての罪を奪い去る月。
どんな悪人が背負う重罪も、揺れた恋心への後悔も、本当の気持ちを偽った過去も、その人にとっての『罪』を奪い去ってくれる月。
白い光を浴びて、私の純粋すぎる不純な気持ちも、全て奪い去ってほしい。

「ねぇ、一夜先輩」

「……ん?」

「聴きたいことがあるんだけど……いい?」

「いいよ、そんなに改まらなくて」

「なんで私を夏祭りに誘ったの?」

「夏祭り……?」

「今年の夏、誘ってくれたじゃん」

「それは……月和といる時間が好きだから」

「……本音が聴きたいんだけど」

「この後に及んで嘘はつかないよ、本当にそう思ったから誘ったの」

「先輩は、私の浴衣姿をみて、何を思ったんですか」

「……よく似合ってると思った、可愛かったよ」

「私、また期待しちゃいますよ」

「いいよ、何に期待するかはわからないけど」

「夏祭り、先輩と一緒にいられたこと幸せだった」

「……中学の時にも部活のメンツで何回か一緒に行ってたよ」

「それとは話が違うよ」

「……」

「何週間も前から、一緒に行こうって誘ってくれて浴衣を一緒に選んでくれたこと、先輩はどういうつもりだったかわからないけど……私はすごく嬉しかったから」

 今の私に怖いものはない。
ただ彼に想っていることの全てを伝えて、ふたりの関係が終わってしまったら綺麗に割り切る。
全てを月のせいにして、白い光のせいにして、私は彼に我儘を押し付ける。
今の私の世界には、その月すらみえなくなってしまっているけれど。

「じゃあ、質問を変えます」

「……はい」

「文化祭、どうして一緒に回ろうって誘ってくれたの?」

「それは、偶然……」

「偶然、私にクラス出店当番の時間を訊いて、同じ時間にしてくれたんですか?」

「……それは、違う、ごめん嘘ついた」

「聴かなかったことにしてあげます」

「……ありがとう」

「俺は今年で卒業しちゃうから、今年が最後の文化祭だったんだよね」

「そうだね」

「卒業したら、ここから離れることになるっていうことは月和もわかるよね」

「寂しいけど、理解してるよ」

「最後に月和と思い出をつくりたかったんだ」

「え……」

「変な言い方かもしれないし、上手く言葉にできないかもしれないけど、聴いてくれると嬉しいな」

「ちゃんと聴くよ、受け止めたいと思ってるから」

「中学の頃、部活の関係もあって距離が近かったと思うんだよね」

「そうだね」

「今より上下関係も厳しくなくてさ、休み時間も話ができたりして、お互いに余裕もあったと思う」

「懐かしくなってくるね……」

「高校生になってから、そういうことが減っていくような気がしてさ」

「学校すら違う一年もあったからね」

「そうなんだよね。それに恋愛関係の噂も激しくなってさ、なかなか会いにいくのも厳しかったじゃん」

「そうだね……話してるだけで付き合ってるって言われるようなことも珍しくなかったよね」

「だから、ちょっと、本当にすこしだけ気づかれないように月和のことを避けてた時期があったんだ」

「……なんとなく、気づいてたよ」

「嘘……」

「本当だよ、どんどん一夜だけ大人になって、置いていかれちゃうような感覚だった」

「だから、そのままにしたくなかったんだ」

「……」

「月和は大切な後輩、友達、時間を共にした相手として、流されるように距離だけ離れていくことが俺自身、すごく嫌だったから」

 後輩、友達、時間を共にした相手。
その中に『好きな人』を指す言葉は無かった、期待してしまった数秒前の私を消し去りたい。

「私は嬉しかったよ」

「え……」

「どんな理由だったとしても、時間を合わせてくれて最後の文化祭をすこしでもいい、私と過ごしてくれたことが心の底から嬉しかったんだ」

「俺も嬉しかった、久しぶりに余計なことを考えないで話ができた気がして」

「中学校の頃みたい、って思った?」

「正解、その日はずっとそう思ってた」

 その日は楽しかった。
帰り道に車に轢かれても納得してしまうほど、幸福感に溢れていた瞬間の連続だった。
臨時設営されたフォトスポットでチェキを撮ったり、触れてしまいそうな距離でお化け屋敷に挑んだり、共通の友人が結成した文化祭限定バンドのライブでタオルを回したり。
なんというかそう、カップルらしいことに溢れた一日だった。
その一ヶ月後、私が彼の彼女になる可能性が絶たれる。

「ねぇ、先輩」

「何?」

「いや、やっぱり……ねぇ、一夜」

「違和感あったよね」

「違うよ」

「え……」

「一夜のこと、私は誰よりも先輩だって思ってる。先輩なんて域じゃないよ、気づいたら遠くにいっちゃう大人みたいな存在だった」

「……月和がそんなふうに思ってたなんて、知らなかったよ」

「隠してたの、知られちゃったら足を引っ張っちゃうような気がして」

「足を引っ張る……?」

「一夜は優しいから、私に歩幅を合わせてくれるのかなって思っちゃったから」

「ごめんね」

「謝る必要ないよ、だから私はここからの話は一夜って呼ぶ。先輩なんかじゃない、一夜っていう一人の人間に向けて私は話をしたい」

 この関係が途切れてしまったとしたら、私と彼が繋がっている未来はない。
部活を引退した彼と学校で顔をあわせることもなくなり、疎遠になっていく、再会の予定はなんとなく立てないような気がする。
それでも私は伝えたかった、知りたかった。

「これは、忘れないでいてくれていたら嬉しいんだけどね」

「きっと忘れてないよ、ちゃんと覚えてるはず」
 
「私が一夜に、想いを伝えた日のこと。覚えてくれてる……?」

「そんな大切なこと、忘れるわけないよ」

「その時の一夜が告げた答え、覚えてる……?」

「忘れられない」

「その答えの真意を、私はずっと知りたかったんだ」

「真意……」

「話せることだけでいい、すこしの嘘があってもいいから、一夜の答えの深いところを知りたくて」

「最初にひとつだけ、月和に伝えたおきたいことがあるんだ」

「聴かせてほしいな」

「俺は、月和が気持ちを伝えてくれたこと、本当に嬉しかったよ」

「……またそうやって私を無責任に嬉しくさせるんですね」

「そうだね、すごく無責任だったね」

「否定しないんですね」

「しないよ、そこまで卑怯になっちゃダメな気がする」

「……一夜らしいね」

「それじゃあ話そうかな、俺が出した答えの真理」

 彼の目は静かだった。
思い出す。中学の頃、大会で負けた次の日の放課後はふたりでよく体育館へ行った。
そして誰もいない体育館の真ん中で大会の一日の思い出話をした。
相手チームの癖強いプレイヤーの話、監督からの差し入れの話、バス移動中の裏話。
そんな娯楽的な会話の後、不意に現実が襲う瞬間がある。
『敗北』という結果が脳を埋める瞬間、その瞬間が来た時の目と、彼の今の目が重なる。
妙に重い、芯に暗さがある、何か記憶を掘り起こしているような静かな目。

「月和の隣にいることに、自信がなかったんだ」

「自信……?」

「噂が流れてたんだよね、俺と月和が付き合ってるって」

「え……」

「文化祭とか、夏祭りとか、一緒にいるところを何人かにみられててさ。歳下に手を出してるってすごい揶揄(からか)われちゃって」

「それは……ごめん、私も配慮が足りない部分があったと思う」

「月和は悪くない、それに俺……月和への答えを誤魔化したから」

「それは……」

「月和の本当の想いに、適当な理由を並べたような言葉を返してしまったこと、本当に申し訳ないことをした……」

「私はもうその時の答えは受け入れてるから大丈夫だよ」

「ありがとう、本当に」

「こちらこそ、伝えてくれてありがとうって思ってるよ」

「だからすごく身勝手だけど、噂が収まるまでは距離を置くことにしたんだ」

「……」

「何も伝えないまま離れてしまったことは本当にごめん、でも噂がおおきくなったら次に傷つくのは月和だと思ったから」

「だから、わざと好きじゃないふりをしたの……?」

「今更こんなこと言っても信じてもらえないと思うけど、信じてくれなくてもいいから真っ直ぐ聴いてくれたら嬉しいな」

 信じるか疑うか以前に不思議な感情に揺られている。
彼の言葉が、私の脳を反復する。
『好きじゃないふりをした』その裏の言葉が『ふり』じゃない気持ちが、私への本心なのか。そんな淡すぎる期待が私を襲う。

「月和」

「……何、一夜」

「俺達、月をみに来たのに全然月の話してないね」

「あっ……言われてみれば確かに……」

「贖罪月だっけ、確か」

「そうだよ。全ての罪を奪い去ると、室町時代から言い伝えられている月」

「全ての罪か……」

「言い伝えだけどね、一夜は信じるタイプ?」

「信じちゃうかな……そんなに昔から、永い間信じ継がれてきたんだからそれなりに根拠もありそうだし」

「私もそう思う、深い意味はわからないけど特別だよね」

「そうだね、月も、月から溢れる光も、空気も、時間も全てが特別に思える。吸っている空気すらこの世界のものじゃないみたい、数億の人間が信じてきた光を経由した神聖なもののように感じる」

「そこに、私達はいるんだよ。きっと生きている間では二度と目にすることができない特別を感じてる」

 そんな言葉を並べるけれど、私はきっと特別など感じていない。
綺麗だと思う、美しくて神聖で、きっと二度とみることができないということもわかっている。それでも私の気持ちが揺れているのは、月のせいではない。

「ねぇ、月和」

「どうしたの?」

「もし月和が贖罪月だったとしたらの話、してもいい?」

「急だね、よくわからないけど……いいよ」

「じゃあ、月和が贖罪月だったとして」

「……うん」

「俺がもし世界中から後ろ指を刺されるような罪を犯して、その罰を背負っていたら、その罰を奪い去ってくれる?」

「それは、一夜が一夜だってことを私は知ってる?」

「知らないよ、だって月だもん」

「設定に忠実だね」

「その方が深い話ができるよ」

「そっか」

「それで、月和はどうする?」

「奪い去るよ、だってそれが贖罪月の使命だから」

「もし、俺が俺だってわかってたら……月和はどうするの?」

「奪い去ってない、これは絶対」

「え……どうして?」

「一夜はそんな月に縋らなくても、一夜自身で罪を消し去れるから」

「月和の言葉だね」

「私は嘘なんてつかないならね」

「そうだね、月和は嘘なんてつかないね」

「一夜は嘘つきなの?」

「嘘つきって言えたら、これまでついた嘘も無かったことにできるかな」

「それは私にはわからないよ、ちょっとわかりたくもないし」

「きっと月和が月なら、無かったことにしてくれる気がする」

「無かったことにしちゃうよ、きっと一夜がどんな罪を犯したとしても月の光にあやかって消し去ってしまうと思う。それが月に頼るほどの罪なのだとしたら」

 数千年の奇跡を、私が月ならきっと彼のために使ってしまう。
彼のために昇って、彼のために光って、彼のために夜を照らす。
そして全て『月のせい』にする。その時、本当に罪を背負うべきは私自身になってしまうのかもしれない。
きっと私はその罪すら、快く受け入れてしまうと思う。

「一夜は?」

「え?」

「一夜が贖罪月だったとして、私が罪を背負っていたらどうする?」

「月和を月和だって認識していなかったとしても、無条件に奪い去ると思うよ」

「それはどうして?」

「奪い去らなかったら、それが罪になってしまいそうだから」

「どういう意味……?」

「月としても使命を果たさないことが罪とされても、誰も俺自身の罪を奪ってくれないから。背負ったままは息苦しいでしょ」

「……どこまでも自己都合なロマンチストなんだね」

「月和」

「何?」

「月和のこと、ずっと好きだった」

「それ、今言っちゃうんだ」

「今更だって思われちゃうけど、今夜じゃないと許されないような気がして」

「それは、今夜が贖罪月だから?」

「そうなのかもしれない、俺にとってあの時の答えに罪悪感が残ってるから……今夜なら、それすら塗り替えられるかなって思って」

「そっか……だから私を呼び出してくれたんだ」

「ずっと、ちゃんと伝える勇気なくて。でも今夜の月和にとっての主役はきっと、贖罪月だよね」

「え……」

「ずっと好きだったじゃん、天体とか宇宙とか、よく俺に話してくれたでしょ?」

「それはそうだけど……」

「だから僕の言葉なんて(かす)んでしまうと思うけど、それでも聴いてほしかったんだ」

 夜が堕ちて、月が昇った。
綺麗だと思った、部屋の窓からみる白い光は言葉に表せないほど美しかった。
そんな月すらも、数千年の奇跡すらも、彼からの着信から先ではみえなくなってしまった。
私は確かに月をみている。
月を視界に入れて、月の光の下を歩いていたけれど、私がみているのはきっと隣にいる彼だけだった。

「一夜」

「……ん?」

「私にとっての今夜の月は、他でもない一夜だよ」

「それって……そんなこと言われたら勘違いした意味で捉えちゃいそうだよ」

「その意味でいいよ、きっと勘違いじゃないから」

「どっちが先輩なんだろうね、俺達」

「どういう意味?」

「本当のことを言葉にすることも、器用に気持ちを飼い慣らせることも月和の方が上手だから」

「私はまだ幼いよ、一夜はちゃんと先輩だよ。私はそんなに罪深い言葉を残せる人間になれてないから」

「罪深いか……」

「そうだよ、気持ちを振り回されるってわかってるのに嫌いになれないから。今日だって、月のせいにして想いを伝えちゃう一夜のこと嫌いになれなかったし」

「そのことについては、本当にごめんね」

「いいよ、私はきっとそういうところが好きだから」

「え……」

「すぐには隣に並べないような、指先すら触れられないような、そんな一夜に惹かれていたんだと思う」

「これから先はさ」

「これから先……?」

「隣にいてくれないかな、傷つけることもきっとあるけど月和に隣にいてほしいんだ」

「私、離れる気ないからね」

「……ずっと隣にいてくれる?」

「生きいてる間……次にこの月をみるまで、私は一夜の隣を離れないから」

 その瞬間、私は初めて月をみた。
彼の罪も、私の罪も、全てこの月に(さら)われてしまうのなら、それはあまりにも悲しすぎるような気がした。
これまでの想い出が全て奪われてしまうみたいで、だから私達はその罪すら抱きしめていようと思う。
贖罪月の光に抗うこと、それが新しい罪になってしまうのかもしれない。
それならその罪は、数千年後の贖罪月に奪い去ってもらいたい。
私と彼は今、永すぎる罪を背負うことを誓ったのだから。