あれから十年の月日が流れた。

 娘は少しずつ我の元に来なくなり、最近は全く顔を見せなくなってしまった。

 その理由は明白。我が違った未来を、娘に見せてしまったからだ。

 あの日見た未来は、娘は交際中の男と婚姻を結び、子宝に恵まれ、仕事にも励み、美しく輝いている姿だった。
 しかしあの娘の現在は、あの男と別れ、仕事も辞め、全てを失ってしまっていた。

 神の我が見せる未来に誤りなどあるはずがない。
 だから未来が変わった理由は未だ判明せず、どうして良いのか、分からずにいた。

 あの娘に会いたくても、我は身動きなど出来ぬ身。そしてなんとかしようにも、どうにも出来ない。原因が分からないのだから……。

 そんな時、娘が久方ぶりに私に会いに来てくれた。
 その表情は正気がなく、痩せ細り、以前の輝きはなかった。

『……未来が外れて悪かった……。お前を苦しめる事になった……』

「いえ、神様。あなたの力は正しいです。……私が愚かでした……」

『どうゆう事だ?』

 この娘の言う意味が分からなかった。


「……あれから私は、いい気になりました。今を適当に過ごしても約束された未来がある。そう思い、努力を怠りました。仕事は度重なる失敗から愛想を尽かされ居場所を失くし、そして彼も私に愛想が尽きたと言い離れていきました。全て、私の怠慢です」

 娘から話を聞いても、やはり分からなかった。
 娘の怠慢のせいで未来が変わる? 運命など変わるはずないのに……。

 しかし、その疑念は娘の話を聞く内に払拭(ふっしょく)していった。


「……あの時見た十年後は、私が頑張って得た未来でした。彼とは仕事で約束守れなくても謝り、埋め合わせをし、真剣に向き合っていたから結婚の未来があったのだと思います。仕事は、彼との約束を守れない事があるぐらい必死に向き合って頑張っていたから、がむしゃらに頑張って来たから失敗しても周りの人は見離さずにいてくれたのだと思います。適当な事して、失敗を繰り返したら見放されて当然。全て自業自得です。」

 そう言い娘は泣き出す。
 戻って来ない過去を後悔している悲痛な声だった。

 我には不思議だった。この世の成り立ちも崩壊も、生き物の生き死にも、人間の人生も初めから運命によって決まっている。それなのに、自らの行いを責め悔いるなんて……。

 しかし、人間とは弱い生き物だと聞いた事がある。弱いから争い、相手を責め立て、そして自分に甘くなる。あれほど謙虚だった娘でさえも……。

 分かっている未来の為に、誰が努力を重ね、相手に気遣いをするのだろう? 慢心してしまうのは当然ではないだろうか?

 未来は分からないから頑張れる。分からないから悩み苦しむ。我が愚かだと思っていた苦悩の時間は、その人間が成長出来る大切な時間だった……。

 そんな事に気付かなかった我こそ慢心していたのだと痛感した。


『……悪かった……』

 我はこの娘に謝罪するしかない。この娘を助ける事は、我の消滅を意味する事だから……。


 すると娘は座り込み、頭を下げた。

「……神様……。お願いします! あの子達は生まれてくる未来にしてもらえませんか! 勿論、私の子供にして欲しいなんて言いません! どこかの幸せな夫婦の子供として……! お願いします!」

 その娘の発言で、ようやく気付いた。
 男と婚姻を結ばなかった事により運命が変わり、二つの命がこの世に生を受けることが出来なかった事実を……。

 娘は自分の事ではなく、遠目で一度だけ見た子供を気にかけていた。
 確かにこの娘の子だが、変わってしまった未来の方では子供を身籠るどころか、この手に抱いた事もない。それなのに、何故これほどの情があるのだろうか?


『……子供もだが、お主はこれからどうするつもりだ?』

「私……? 私なんて……、自業自得だから……」


 娘の泣き腫らした目に正気(せいき)はなかった。心など読まなくても分かる。最期に会いにきてくれたのだと……。

 私は、娘の元交際相手が現在どうしているかを知っている。
 他の女子(おなご)との婚姻には至っておらず、交際している相手も居ない。……それなら問題ない。少なくても倫理的には。


 だから……。


『……次は過去に連れて行ってやる。人生をやり直してこい!』

「え? いや、私なんて……」

 また、自信の無い娘に戻ってしまっていた。
 だから我は、突き放すと決めた。


『他人に甘えるな! 穢れのない命を取り戻したいならお主がその腹を痛めて産め! お主が責任持って育てろ!』

「神様……」


『二つの命を取り戻したのだろう? だから、我と出会う前に時間を戻す! だからそう願え!』


 ……我は消滅の道を選んだ。今からする事は、神の掟を破る事だから……。


 しかし、この娘にその事実は言わない。そんな事を知ったら心から願わないだろうから。


『さあ、願え。分かっていると思うが、我は人間が心より願わなければ叶える事は出来ぬからな?」

「はい……」

 娘は頷き、黙り込む。

 本当に人生をやり直して良いのか悩んでいる心が読める。


『……お主の子供はいくつだった?』

「え?あ、二歳半でした……」


『名は? 何だっけな?』

一花(いちか)です」


『大声で泣いていたな?』

「公園で靴脱いで『帰らない』と叫んで、渉も私も手を焼いていましたね……。イヤイヤ期と言って、一番手がかかる時期みたいです」


『あんな、じゃじゃ馬、育てたいのか?』

「……はい」

 そう言った娘は頷き、溢れてきた涙を拭う。


『二人目も女だったな? あの男は、『絶対次は男が欲しい』と言っていたくせに、いざ生まれたら娘二人で良かったと()かす。全く、単純な男だ』

 すると、我の話を聞いた娘は笑う。


「神様、どうしてそんな事知っているのですか?」

『そんなの、我が神だからだ』

「会話まで分かるのですか?」


『お主と一緒に未来を見たからに決まっている』

「見に行った十年後は妊娠三ヶ月でした。出産時には行ってません」


……そうだった。どうしてもその後が見たくて娘が帰った後、一人で見に行ったのだった。
 なんたる失言。


『悪かった……』

「神様が謝らないで下さいよ!……そっか、あの子もちゃんと生まれて来れたんだ。女の子かぁ。一花は妹が欲しいと言ってたから喜んで……」

 娘の涙は頬をつたう。
 それが月明かりで光り、それは美しく、そして儚かった。

 今話しているのは、実在しなかった未来の話。この娘が握るはずだった小さな手も、腹を優しく摩る存在もない。


『このままでは本当に二つの命は戻って来ぬぞ? それで良いのか?』

「……本当によろしいのですか? 神様に迷惑とかかけるのでは?」


『……我は神だ。こんな簡単な願いぐらい聞いてやる』

「また……、会えますよね? 話、出来ますよね?」


『……勿論だ、次はあの男を連れて来い」

「はい!」


 どうやら娘は信じたようだ。


 我は、何千年の歴史の中で、初めて人間に偽りを申した。
 せめて、それだけは守りたかったのに……。全く、自身の不甲斐なさに、ことごとく呆れる。


『さあ、願いを聞こう』


「……お願いします。私を十年前に連れて行って下さい。今度こそ懸命に生きます!」


『……その願い受け入れた。次はやり直す事は出来ない。分かっているな?』


「はい! ありがとうございます!」

『では十年前に行こう。……悪かったな。辛い記憶は消すから、許してくれ……』


「え?……待って下さい!」

 娘は我に、もう一つの願いを言った。

 我は反対したが、娘は聞き入れない。だから、我が折れた。


『分かった……。茨の道だが、お主が望むなら……。人生は全てお主次第。全力で生きろ……美咲』


 我は最後の力を使い、消滅した。