2日目(日曜日)
椿の花はまだ残っていた。

昨日は風が強かったから不安だったけどそれほど散っていないみたいだ。

采音のちょっとしたジョークなのはわかっているけどもしかしたらという思いが僕の中にあったのだろう。

あの花が散るまでは采音は生きていてくれるという希望が。



「いやぁ〜昨日も寒かったけど今日はその数倍は寒いね」
「夜中にすごく雪降ったからね。なんで今日の行き先ここにしちゃったのさ」

昨日、采音と別れてベットに入ったあと。
外では風が次第に強まり雪が降ったようで僕らの足元には数cmの雪が積もっている。

僕達は今日は昨日行った商店街とは真逆の方向にある大きな公園に来ていた。

その公園は椿が有名で昨日の椿の話から采音が1回行ってみたいと言って今日の目的地となった。

「また今度って先延ばしにしたら私たちの場合ぽっくり逝ってる可能性があるんだから思った時に行っておかないと」
「なんて不謹慎な」
「あれだよあれ、思い立ったが吉日ってやつ」

僕の前を歩く采音は右手の人差し指をあげ宙を指す。

「後ろ向いて歩いてると転けるぞ」
「大丈夫、大丈夫。……あっ」
「おいっ……!」

案の定、采音は凍った地面で足を滑らせ、助けに入った僕も巻き添えを食らう。
倒れた先には雪が積もっていたとはいえ普通に痛かった。

采音を助けに入った僕の上に采音が倒れ込む形になっていて顔を上げると采音の顔がすぐ近くにあり咄嗟に顔を逸らした。

采音もそれに気づいて僕が顔を逸らすと急いで顔を離して体を起こす。

「ホントになにしてんの……」
「あはは。ごめんね」

手を合わせて可愛く謝っているが僕は許さないぞ。
僕は雪まみれで手を合わせている采音に向かってカメラのシャッターを切った。

「あぁ!待って待って今撮った!?」
「仕返し」
「ちょっと、これじゃ私が可愛子ぶってるみたいじゃない」
「実際可愛子ぶってたじゃないか」
「それは……そういう空気だったじゃん」
「どんな空気だよ」
「でも可愛かったでしょ?」
「その自信はどこから来てるんだ……」

ハンカチタオルを取り出して顔やら服やらを拭いていると采音の顔のメイクが取れていることに気づいた。

僕が気づいたのに気がついたのか采音は「ちょっとトイレ行ってくる」と足はやに去っていってしまった。

仕方ないと僕はそこにあったベンチに1人で座ることにしたがベンチが冷たすぎて一度座るのを躊躇ってから座った。

采音はきっとすぐに帰ってくるはずだ。

采音のメイクは僕の憶測になるがおそらくオシャレのためじゃない。

ナチュラルメイクだし、よく分からないけど目の上にあるキラキラのやつとかのせてないし。

それでもメイクしてるのはおそらく自分の肌色を隠すためだ。

しばらく日に当たっていなくて、病人特有の血色のない白過ぎる肌を隠すためのメイク。

実際、僕も肌は白いし、血色もあまり良くない。
その僕よりも体調の悪い采音はきっと昨日だってメイクでその血色のない肌を隠していたはずだ。

幸い、昨日と同様僕の方の調子は良好のようで今のところは公園を一日歩いていても大丈夫だ。

「ごめんごめんお待たせ」
「ううん。それじゃあ行こっか」

戻ってきた采音の顔色はさっきからすれ違う普通の人たちの肌色と何ら代わりのない血色をしていた。



噴水やらテニスコートやらを横切り、少し歩いた先には目的の椿は視界一面に広がっていて、椿の上には昨日降った雪が積もっていた。

木の下に積もる雪と椿の紅がちょうど対比していてまるで美術作品のようだ。

それを見た采音は「やっぱり私たちは運がいいね」と満足そうである。

「ほら、晴慈。写真撮ろうよ」

采音は椿の木々に駆け寄りほら、こっち。と手招きしている。

「すみません。カメラのシャッターだけ切ってもらってもいいですか?」

今回は僕が通行人のランニング中だった女性に写真のお願いをしてから采音に駆け寄る。

「行きますよー!はいっチーズ」

パシャッ。と軽い音が数回した後、僕らは女性にお礼を言って写真を確認する。

「うん。いい感じに撮れてるね」
「やっぱり雪と椿の相性がいいよね!」
と、采音は大喜びである。

「でも、ホントに椿の花が全部散る前で良かったね」

昨日の風で全部散っていてもおかしくなかったのに。

病院にある椿もまだ半数以上は残っていて朝起きて少しほっとしたのを覚えている。

あの花が散るまでは采音が生き延びるなんてことは無いとわかっているのに。

そんなものに縋ってしまう程僕は追い込まれているのだろうか?

「晴慈。椿は『散る』んじゃなくて『落ちる』って表現するんだよ」
「何そのまめしばみたいな豆知識」
「椿は綺麗な花のままの状態でポトッと落ちるから『散る』って表現じゃなくて『落ちる』って表現するんだって」

采音は雪の上に落ちていた綺麗な花のままの椿の花を手に取って僕に見せる。

「その様子から昔の人達は椿が落ちるのを見ると人の死を連想してたみたい。なんだか私たちにピッタリだと思わない?」

笑えない皮肉を少し悲しそうな顔で言ったが僕は何も言ってあげることができなかった。

「私ね。この椿みたいに死にたい。綺麗なままで。晴慈との楽しかった思い出をいっぱい抱えたまま死にたいって思ってる」

……昨日。采音は僕となら恋人になってもいいと言ったけど、正直な話僕も同じことを思っている。

なんなら僕は采音のことが好きなのかもしれない。

だけど、僕らは恋人にはなれない。

お互いの人生を。感情を。縛ることになるから。

どちらかが先に死んでしまった後、同じく余命が少ない相手が自分のことを考えているせいで悲しみにくれた日々にさせない為に。

「写真をいっぱい撮る旅をしようっていう提案は私からしたけど、2つ理由があるの。どれも晴慈にしかできないこと」
「……それは?」
「晴慈にお願いがある」

采音は僕の方へ向き直り真剣な顔をした。

「それは僕にできること?」
「もちろん」
「なら、全力で手伝うよ」
「ありがとう。晴慈ならそう言ってくれると思った」

そして采音は僕に向かって作り物の笑顔を貼り付けて言った。

「晴慈には私の遺影を撮って欲しいの」

やっぱり采音は死をそう遠くない未来にあることを感じているのだと僕は痛感してしまった。

自分の体のことは自分が一番よく分かる。
それは僕も身に染みて感じている。

だからこそ、この言葉には様々な思いによる重みがあった。

采音のその無理に作ったような笑顔から死にたくないという思いがひしひしと伝わってくる。

僕だってそうだ。死にたくない。

でも、覚悟しろと病気の症状が酷くなればなるほどそう急かされるように言われている気がしている。

否が応でも僕らは死というものに向き合って覚悟しなければいけない。

けど、17歳の僕らにはそれはまだあまりに早すぎて覚悟なんて決めきれず、絶望を彷徨い続けている。

「……本当に僕が撮った写真でいいの?」
「晴慈が撮ってくれた写真がいいの」
「じゃあ、撮るよ。最高の一枚を。采音のために」
「ありがとう」

そう言った采音の表情はさっきとは違う本物の笑顔で僕はカメラを構えた。

最高の1枚にするならこういう笑顔でなくては。
そう思ったから。

僕は紅い椿と白い雪と黒い長髪をなびかせる笑顔の采音の風景にシャッターを切った。

「そういえばもう一個の理由は?」
「うーん。ないしょ!」

彼女はそう言ってもう一度クシャッと笑って見せた。