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放課後の音楽室。音代が座っている前に九条が椅子を持ってきて腰を下ろした。
いつになく真剣な顔だった。
「この写真見てほしい」
「なんだ」
九条から差し出されたスマホの中の写真。以前にもこんなことがあったな、と音代はふと思った。認知症になってしまった祖母の記憶を取り戻そうと音代に相談を持ちかけた時のことである。以前差し出された写真には祖母と幼い頃の九条がうつっていたが今回は違った。
「この前、相原さんの曲をこのメンバーでレコーディングしたのは音代先生も知ってるだろ」
「ああ」
個性も性格もバラバラのメンバーが集まり、1つの曲を作り上げた時の写真である。レコーディング部屋でみんなで記念写真を撮ったものだった。真里のことがあってこのメンバーでよく集まるようになったと九条は言う。最近まで一匹オオカミのような雰囲気があった九条も少し柔らかくなったように感じる。
「間宮さんなんだけど、俺が思うにあの自殺の曲を歌ってる人だと思うんだよ」
音代は顔を顰める。そして考え込むように顎に手を添えた。確かに、否定する言葉が見つからない。間宮の声は聞いたことがなく、歌わないのに音楽の授業を受けていた。そしてどことなく少し前の音代に似ているところがある。
「この動画と、写真の間宮さんの手の甲見てほしいんだけど」
九条が画面をスライドさせてみせたのは、自殺の曲の映像。ギターを抱え薄暗い部屋で歌っている女の手元を指差した。
「ほら、ここにほくろあるだろ」
九条はそう言って動画を止め、女の手をアップにする。
右手の甲に確かにほくろがあることを確認した音代。頷けば、九条はもう一度先ほど見せた写真に画面を戻した。
そしてしゃがんで写真に映る間宮の膝に置かれた右手の甲をアップにした。
「これ、同じ場所にほくろがある」
確かにそうだが。と音代は写真を眺めながら考え込む。それだけで断言していいものだろうか。
それに、この件は橋田も絡んでいる。橋田と間宮は同じクラスではあるか話したことがあるような仲なんだろうか。坂木に聞いてみるべきかどうかも悩み始める音代。
「なんで同じ学校の生徒がこれを歌っていると分かったんだ」
「え、あー、それは、最初に音代先生が俺にこのことを相談した時、なんか身近で起きてることみたいに話すから、もしかしたらそうなのかなって思っただけ」
「なるほどな」
決定打になったのは先日の神城とのやりとりの中ではあったがそれは上手くはぐらかした九条。動揺は分かりやすかったものの音代は深くきかなかった。
九条はほっと息を吐いた。そしてあまり納得のいっていない音代を見つめる。
「ほくろだけだと間宮さんって断言はできないよな、歌声も聞いたことないし」
そう言って、九条は自殺の曲の映像に再び画面を戻した。九条がもっているそれは拡散されているSNSの映像を画面録画しているものであった。
「名前もRemiって間宮さんの名前にかすってもないし」
映像の投稿者の名前はRemi。この学校にはその名前はいなかった。音代はその文字をじっと見つめて、小さな声で数回「レミ」と言葉を放った。
間宮仁穂とレミ。脳内でぐるぐるとまわる。
そして音代はばっと立ち上がる。
「どうしたんだ、先生」
「かすってるぞ」
「え?」
「名前の共通点が分かった」
音代はチョークを持ち黒板にカタカナで「ドレミファソラシド」と書いていく。
そしてその下に「ハニホヘトイロハ」と書き終え、両手を数回叩いて九条の方に振り返った。
「ドレミファソラシド、とはイタリア語だ。一般的に音名はこの並びで覚えられているが、日本の表記にするとこれになる」
「ハニホヘトイロハ?」
「そう」
九条がたどたどしく読んだその音名。音代は頷きもう一度黒板に向き直る。ドレミファソラシドの並びの下にハニホヘトイロハが綺麗に並んでいる。
音楽にほとんど無知な九条は、ドレミファソラシド以外に音名に呼び方があることを知らなかったため、「ほええ」と間抜けな声が口からもれる。
「つまりこの並びで見てみると、間宮の下の名前はここになる」
ニホ。間宮の下の名前であった。そこに音代が赤いチョークで丸をつけた。
そしてその上に書いてあるイタリア表記の音名にチョークを向けた。
そこでやっと九条も気づき、「あ」と声をもらす。
「レミ、だ!」
「そうだ」
「すげえ!」
ちょっとした謎解きをした気分になり、テンションがあがった九条に音代は小さく笑いながら椅子に戻った。手のほくろ、それから名前。間宮とこの歌っている少女は同一人物であると納得するには十分だった。
「だが、間宮はこれをどう思ってるか、だな」
音代はそう言って画面に瞳を落とす。
「間宮さんは望まない形で有名になってること、苦しんでると俺は思う」
低くつまるような声。少しだが一緒にいた九条だからこそ分かることだった。間宮の人柄や性格が少しずつみえてきている今だからこそ九条は素直に間宮をかばいたくなる。
「間宮さんは、この曲を歌ってるのが自分だってバレたくないから声を出さないんじゃない。
自分の歌声で人が死んでしまっていることが苦しいんだよきっと」
音代がもう誰も傷つけたくないと音楽から離れたように、間宮も自分の歌でもう誰かを傷つけたくないと自分を責めて声を出さなくなってしまったのかもしれないと音代も感じた。
そして、歯止めが効かなくなったそれは瞬く間に広まり、自殺の曲だと騒がれてしまっている。
だが、それは1人の男による仕組まれた音楽であったことは音代、そして先日の神城との話で九条も知っていた。
「これからどうする、先生」
「ひとまず、拡散をとめないといけないが、こういうのはきりがないんだろう」
「みんなが飽きるまで待ってると、犠牲者がどんどん増えていくしなんとかしないと」
音代は少し前から気になっていたことを口に出した。
「この曲はまだ完成していないんじゃないか」
「え?」
「秒数も短いし、終わりがすっきりしない音で終わっている」
「俺そういうのよくわかんねぇけど、そうなの?」
「これを拡散させた人物は、飽きが来る前にもう一回話題をつくる可能性がある。そして、それが」
九条は、音代の言葉に「あ」と思いついたように言葉をもらした。
「まさか、この曲のフルをつくること?」
「そうだ」
そしてまた自殺を促す曲として拡散させるつもりなのかもしれない。
完成させるには、間宮の協力が必要になるということはもう動き始めている可能性があった。
「音代先生、俺1つ提案があるんだ」
「なんだ」
「これさ、最近協力させてもらった相原さんのことからヒントもらってんだけど、相原さんは幼馴染のいつも聴いてる曲に嫉妬して、その曲を超えようとして曲を作っただろ?
要は元々ある曲よりインパクトのある新しい曲をつくるか、この曲が完成していないなら完成させてイメージを覆すものをつくって、拡散させればいいじゃないか」
音代は首を傾げる。つまり、どういうことなのだろうか。
「まだフルができてないならラッキーじゃん。間宮さんも協力させてこの曲の続きを作る方でいこうぜ」
「だがそれを自殺の曲じゃないように拡散させるのは難しいんじゃないか。元のイメージがこびりついてる」
「人が死んだ事実があるなら、救う事実をつくればいい。みんなにフルを聴いてもらってこれは希望の歌だ、誰も死なないって分からせればいいんだ」
「どうやって」
「もうすぐ、文化祭があるだろ。俺たち2学年は合唱が出し物になる。この曲を披露して拡散させればいい。人も集まるしそこでみんなでぶちかませばいいんじゃね」
音代は驚いた。その発想はなかったからだ。
拡散をとめる、ではなく、塗りかえる。ずっと曇り空だった空に少しずつだが光が見えてきていた。
そして九条の金髪がいつもより少し神々しくみえる。
こいつ、なかなかやるなとその頭をなでてやりたくなるがぐっとおさえた。
だが、自分の殻に閉じこもっている間宮をそこまで協力させるということの難しさや、この件におそらく大きく関わっている橋田がどんな動きをするかが気がかりであった。
「九条、俺も協力する」
「おう、頑張ろうぜ、先生」
2人の拳がこつん、と重なった。