真里は12個入りのいちご大福が入っている紙袋を片手にある場所へ向かった。
音代の手書きの地図とその扉を交互にみる。

ーーーー「知り合いに色々頼んである。少しやっかいな人だがいちご大福を持っていけばなんとかなるから」

と音代から本当に大丈夫か?と思うようなアドバイスをきき、真里は変な緊張感をもとに言われた場所へ向かった。
震える人差し指でチャイムを鳴らす。
しばらくの沈黙の後、黒いインターホンから不機嫌そうな「誰?」という女性の声が聞こえた。

「あ、初めまして、えっと、音代先生からここに行くように言われて、」

そこまで言って言葉を止めた。なぜなら扉の鍵がガチャリと開く音が聞こえたからだ。
そして扉が開くが、まだチェーンがついており狭い隙間からショートボブの髪が台風の中走ったのかというくらい乱れている女性が顔を覗かせた。
思わず、「え」と真里の口から小さな声が漏れた。

「それ、なに」

隙間からのぞかせた手が真里の持っている紙袋にむく。真里は紙袋を持ち上げた。

「いちご大福です」

そう言った瞬間扉が閉まり、チェーンを外す音がする。そして再び開いた。安堵の息を吐く真里。
音代もなかなかの変人だが、この女性も大概かもしれない。類は友を呼ぶというやつだろうか、と音代に言ったら怒られそうなことを思いながら、真里は軽く頭をさげる。

「先にブツをよこして」

ブツ、とは。
ポカン、としている真里の手から紙袋を奪い取った女。「ああ、す、すいません」と離れていくいちご大福を目で追った真里。
いちご大福をブツと危なっかしい言い方をする人がこの世にいるのだろうか。なんなんだこの人。本当に関わっていい人なのだろうか。
扉と外の境界線を踏み越えられない真里に、女はタンクトップと短パン姿で紙袋をあさりながら、「入りな」と真里に促す。

「お、おじゃま、します」

一歩そこに踏み入れた。玄関先で靴を脱ごうとすれば、

「ここ、一応スタジオだから土足でいいよ。ま、わたし住んでるみたいなもんだけど」

そう言ってすでにいちご大福を一口食べている女。女は裸足であった。
ますます困惑しながら真里は返事をして中へ進む。
マンションの一室のようなイメージだったが、入ってみるとあらゆる機材や楽器が部屋中に蔓延り、奥にはよくアイドルやアーティストがレコーディングしている部屋のような空間が広がっている。

「わあ」

本格的なそこに自分のような素人が足を踏み入れていいとは思えず、気が引けるような気持ちになるが社会科見学のような気分であたりを見渡す好奇心も少なからず真里の心をくすぐった。
ーーーどうしよう、何一つ、分からない。
あれから、歌詞やメロディなど間宮の協力を得ながらなんとか完成はさせていたもののまだ未知は多い。

「で、なんだっけ、素人なんでしょ自分」

あたりに散らばった紙をたちを足で蹴散らしながら歩く女にそうきかれ、「はい」と小さな声で返事をする。

「なんでわたしがこんな小娘のために楽譜つくってデモ音源つくらないといけないのかさっぱりだけど」

くるりと踵を返して、真里の顔をまじまじと見つめる。

「しかも、バズりたいとか、世間に発信したいとかそういうんじゃないんでしょ?」

「はい」

「そこんとこ、音代からちゃんと話聞いてなんだけど、あんた何のために曲作りたいの?」

それで納得しないと、協力はしない。とそう言われているような気がした。
ぎゅっと拳を握る。

「幼馴染がもうすぐ部活の大会で、頑張ってほしくて」

「へえ」

女の瞳に色がなくなった。

「案外つまんないわね。音代はなんでこんな子に力貸そうと思ったんだろ」

いちご大福をもう一つつまみあげ、大口をあけて頬張る。
つまらない、そう言われてしまったことにしばし固まった真里。そして、いちご大福は存外高かったのにそんなにほいほい口の中に納めないでほしいと色々な感情が渦巻いていく。

「お姉さんは、恋とかしたことないんですか」

その問いかけに女はいちご大福で汚れた口周りを手の甲で拭い、ふ、と笑った。

「あまり知らない相手に教えたいとは思えないけどね、なに、幼馴染のことが好きなの?」

「はい」

「あら、即答」

ソファに座った女が、自分の隣をポンポンと叩く。

「まあ、座れば?」

そう言われ、下に転がるチラシや描き途中と思われる楽譜たちを踏まないようによけながら女の隣に腰を下ろした。しばらくの沈黙の後、真里はぎこちなく口を開いた。

「お姉さんは」

「そのお姉さんってのやめてよ、飛田のぞみって名前があんだけど。音代から何も聞いてないの?」

「すいません、えっと、飛田さん」

音代からは作曲に強い暇人、と本人に伝えるには憚れる紹介しか受けておらずひとまず謝っておくことしかできない。

「ったく、わたしも暇じゃないんだけどなあ」

そして暇人ではなかった。

「すいません」

こんな感じなら、せめて音代についてきてほしかったと少し音代を恨んだ。
だが、これは大好きな幼馴染を振り向かせるために与えられたミッションである。
ソファに沈んでいるお尻を浮かせて、飛田に向き直る真里。

「わたしに、作曲を教えてください」

「お願いします」と頭を下げた。
飛田はそれを横目に3個目のいちご大福を食う。

「じゃ、きかせてよ、作ってきてんでしょ?」

差し出された手。指先が大福の粉で汚れている。
真里は少し戸惑いながら、録音した音楽をきかせるためにその画面を表示させ、手のひらにおく。

「ほんとに、素人なんで、あの本当にすいません」

「こっちが聴く前に謝んないでよね」

「すいません」

「うざ、なんなのまじで最近の若いもんは」

お局上司みたい。という言葉は飲みこんだ。
飛田の指先が再生ボタンをおす。
間宮のピアノによって始まった曲。しばらくすると真里の歌声がそこに響いた。
間宮の協力によってやっとこさ仕上げた曲であった。
聡太の大会まであと1週間あまり、それまでに完成させないといけない。
3分ほどの音楽が終わり、スマホが真里の手元に戻ってきた。

「どう、ですか」

飛田の表情はよめない。
少し考えるように目を瞑って自分の膝を抱える。

「メロディは悪くないんじゃない?今どきの流行の進行をうまく盛り込んでると思う。

あんたの力だけじゃないでしょ 音代に協力してもらった?あいつまだ作曲やる気あんのかな」

「音代先生はしないってきっぱり断られちゃって。そのピアノ弾いてる子がコード?とか教えてくれて」

「ふーん」

「音代じゃないのか」とぼそりとつぶやいた後、飛田は少しメロディを口ずさみそして眉を顰める。

「歌詞、あんたが考えたの?」

「そうですけど」

「全然ダメね。本気でかいた?これ」

ばっさり。刀で切り付けられたようだった。
自分なりに必死に考えてメロディにあうようにつくったつもりだったのに。と真里は顔を地面に向ける。
素人ということを考慮してほしいものだが、真里は本気でかいた?という問いかけに即答はできなかった。

「今流行りだもんね、変に曲げて遠回しに気持ちを伝える歌詞。小難しい言葉並べて解釈は相手に任せるやり方」

「そういうつもりは」

「あんたさ、これ本当に幼馴染にきかせたくて作ってんの?自己満でやってない?」

ぐさりぐさりと容赦ない言葉が真里の意欲を削っていく。
向いていない、やめておけ、素人が曲を作るとやっぱりダメだとはっきり言われたらすぐに折れそうなところまできている。
ーーー帰りたい。

「音楽ができる、できないの話じゃないよ」

「え」

「この曲を送る相手が明確になってんでしょ?あたしたちみたいに売れる曲をつくろうとしなくていい。こんなに簡単なことないっしょ」

そう話している間にもいちご大福がどんどん減っていく。真里はいちご大福が飛田の口に収まっていく様子を眺めながら飛田の言葉に耳を傾ける。
そういえば、と、音代にも同じようなことを言われたことを思い出した真里。抽象的すぎてあまりピンとこない。送る相手が明確だからこそ、寄り添うのが難しいのに。

だから、幼馴染が聴いていた曲たちを何度も聴きいい歌詞があれば自分なりに落とし込んだ。真里自身の気持ちを代弁して欲しかったからだ。
自らの気持ちを伝えられるほどの語彙力があると思えなかったからだ。

「幼馴染にこの曲を聴いてどうなってほしいの」

「いつも、大会前に聴いている音楽みたいに、彼のルーティンの一部になりたい」

「あとは」

「この曲で勝つぞって奮い立つような」

「あとは」

「あとは、」

ーーー1番、あなたを応援しているのはわたしだよって。
言葉に詰まった真里の肩に手がのる。

「自分の気持ちを伝えるのはエゴじゃないよ」

「え、」

「幼馴染が前を向けるように、幼馴染が前を向けそうな取り繕った言葉を並べるのが大事だと思ってんだろうけど、あんた自身の言葉をかかないと感情って伝わらないよ」

「わたし自身の言葉?」

「幼馴染ならあんでしょ、色々昔から培ってきた感情の数々が。この曲はあんた1人で作り上げるもんじゃないだからその幼馴染にもしっかり協力してもらいな」

飛田はそう言って笑う。
飛田の手が真里の肩を撫でる。

「歌声、いいもん待ってるよあんた。安心して突き進みな」

「ありがとうございます。あの、手についた大福の粉、私の肩で拭くのやめてもらっていいですか?」

「ありゃバレた」とケラケラ笑う飛田に真里はなんともいえない顔になる。
肩についた粉を片手で払っていると、機材が並べられているデスクの上にあるスマホが音をたてた。

「ごめん、電話だわ」

「忙しい時にすいません、電話、どうぞ」

立ち上がった飛田は声をワントーンあげ、その電話に出る。

「あーはいはい、分かってますよ、締め切りまでにはなんとか仕上げますんで!ドラマのタイアップの曲ですよね!はいはいはいはい」

早口で並べられた「はい」の多さに驚きながらも、やはりすごい人なのだと真里はまばたきを繰り返す。

「音代先生って何者なんだろう」

真里はそんなひとりごとをつぶやく。
こんなにすごい人と知り合いとは、と床に散らばった五線譜たちに瞳を落とす。それらもなにか貴重なものに思えてきて足をぴたりとそろえた。
協力してくれている人がすごすぎて、怖気付けはじめているがここまできたら最後までやるしかない。と腹をくくる。
楽器を弾いてくれる人たちも音代があつめると言ったが、プロだったらどうしようとふと思った真里。
あとで高額な請求をされたら、と不安に思う。
いちご大福何個分だろうか。
だが、音代もあくまで先生である。
生徒にそこまでの大金はださせないだろう。
という脳内会議で結論に至り、ひとまず今は曲を仕上げることに集中することに決めた真里。
よし、と立ち上がった。

次来ることを拒否されないように使わないであろうチラシを拾い上げ、そこにマジックパンで文字を書く。
電話をしている飛田にチラシの裏をみせた。

『また来ます』

飛田の顔が少し曇る。電話中だからか声はワントーン高いままだ。
飛田が首を横に振るまえに真里は背を向けた。