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坂木は、深々と畑の両親に頭を下げる。自らの監督不行届だとそう言った。言葉にしてしまえば、自分の教師としてのプライドや培ってきたものが崩れ去るような気持ちになったが、今はそんなことを気にしている状況ではない。
音代は病室の外でなされている坂木たちのやりとりを横目に、畑がいる部屋の扉に手をかけた。
無理を言ってついてきたわけではない。
坂木に頼まれたのだ。
「もし、音楽で追い詰められたのなら、音代先生に畑さんのことお願いしたいです」と。
ガラリと扉をあけると、畑は自らの包帯が巻かれた右足と右手を虚な目で見ていた。
そして入ってきた音代にゆっくりと目を向ける。
「だれ」
掠れた声でそう言った畑に、音代は「音楽の先生だ」と返事をする。
お互いが初対面のため、少しぎこちない雰囲気が流れる。音楽の先生だということも知られていないのか、自分は。と少し落胆したが、芸術科目を音楽にしていない中には、音代のことを知らない生徒もいるにはいる。
最初こそ、イケメンだとチヤホヤされていたが今やただの変人音楽教師だとレッテルを貼られていた。
「なんで音楽の先生がここに?」
「少し気になってな」
「座っていいか」と畑にたずねると「はい」と小さな声で返事が返ってくる。
おそらく両親が先ほどまで座っていたのだろう、2個の丸椅子の1つを少しベッドに近寄らせ、腰を下ろした音代。
「大丈夫か?」
「はい」
無理矢理、自らの口角をあげへらりと笑ってみせた畑。初対面の先生相手に気をつかっているのは音代にも伝わってくる。
「つらいだろうが、飛び降りた時の状況が知りたくて来たんだ。教えてほしい」
そう言った瞬間、畑は苦しそうに口をきゅっと結ぶ。そして首を横に振った。
「正確に、忠実に、音をききとらないと責められたのか」
その音代の言葉に、畑の目が開かれる。
「なんで」
声が震えていた。
「坂木先生からある程度の話はきいた。飛び降りた日も、そのことで部員に責められたのか?」
その問いに、畑はゆっくりと首を横に振り、言いづらそうに何度か震える息で呼吸をして、涙目で音代をみる。
「私が、やるって言ったんです。彼女たちは提案をしてくれただけで」
「何を提案された」
その1日を思い出すように目を閉じた畑の目から雫が落ちる。
「どうしてもできない曲が何曲かあって、その曲を繰り返し何度も何度もきいて、耳に覚えさせたらいいって」
「布と結束バンドは」
「池尻さんが、音に集中するために視界を遮った方がいいって、あと、結束バンドは、」
ひゅ、と畑の息が荒くなる。
音代は言葉をせかさないように「ゆっくりでいい」と畑に声をかける。
「やりたくなくなったら、やめてもいいけど、逃げちゃったら、一生上達しないって言われて、それで、自分で言ったんです。
逃げないようにしてほしいって」
なぜ、そこまで。と音代は言いそうになったが堪えた。
頭から布を被り、ヘッドホンから音楽をループ再生させる。
一生上達しない。その言葉が彼女を縛り付けたのかもしれない。
だが、このやり方は、と、音代は畑の言葉に耳を傾けながら自らの手をぎゅっと握る。
音代の考えがやはり当たっていた。
提案した部員は、この危うさを知っていたのだろうか。
「部室に1人になって、ずっとその状態で聴いていました、時間も分からないし、いつまでこうやっていればいいんだろうって思って、なんだか、訳がわかなくなって
結局、逃げました」
ーーー逃げた。それは飛び降りることで耳から入ってくるそれを強制的にシャットダウンさせた、ということだ。
「たかがこんなことで、って思いますよね」
「いや、思わない。その状況はいじめなんかよりももっとひどい、拷問だ」
畑は、自らの行動を逃げだと思っているが、音代にはそうは思えない。精神的においやり、飛び降りるようにもっていかれた。
「君が飛び降りた後に、CDプレイヤーの中身が抜き取られていたが、心当たりはあるか?」
「え、いや、特にない、ですけど、あの、気になることが1つあって」
「なんだ」
「途中で部室に入ってきた人はいました。3曲をリピート再生してたんですが、それをとめられて、一曲を繰り返し再生させられました」
「部員の仕業か?」
「それが、視界は遮られていたので誰かは分からなかったんですが、一度曲を止められた時にその人鼻歌を歌ってて。
その時すでに私、ちょっとおかしくなっちゃってて、なんとか違う音を耳に入れたい一心でその鼻歌をきいていたんです」
「どんな歌だ」
「タイトルは分からないんですが」と畑は、少し恥ずかしそうに瞳を泳がせながら、掠れ声でその曲を歌ってみせる。
音代はしばらくきいて「分かった」と返事をした。
その曲は、今流行りの曲ではなくクラシックであった。
「つらいことを思い出させてすまなかった」
音代のその言葉に、畑は「いえ」と伝った涙を左手で拭って笑う。
「池尻さんたちは、責めないでください。私が足を引っ張ったのが悪いので」
「だが、」
「どちらにしても、この手じゃベースはしばらく弾けません。ちょっとほっとしてるんですよ、もう音楽もききたくないし、やりたくないって気持ちにもなってるし、私には向いてなかったんです」
こんなことをされて、嫌いにならないわけはなかったと音代は理解している。だがこうもはっきり言われてしまうと音代は解せなかった。
狭い世界で音楽を見て欲しくなかった。