「音楽室のタンバリンがなくなった」
男は表情を変えないままそう言い放った。
集められた生徒たちは思う。神妙な面持ちでこの男は何を言っているのだろうと。
何人かが助けを求めるように教室の端で固まっている担任に目で助けを求めるが虚しくも、担任は静かに首を横ふり、黙って聞けと言葉なく生徒たちを諭す。
「このクラスは芸術の選択科目を全員音楽にしているな」
教卓の両端に手をおき、生徒たちを見渡し少しだけ口角をあげた男がそう言う。
「そして、昨日の最後の時間、音楽の授業はお前らだ」
「要するに、僕たちの誰かがタンバリンを盗んだと音代先生はそう言いたいんですね」
音代先生。そう呼ばれた男はここ晴葉高校の音楽教諭である。
厳密に言うと、2ヶ月前に産休にはいった音楽の先生の代理で来たということはほんどの生徒が知っている。
若く、スタイルがよく、端正な顔をしている音代は最初こそチヤホヤされていたがその無愛想さと冷たい雰囲気により少しずつ距離を置かれていっている最中である。
音代自身もそれに気づいてはいるが、そもそも教諭になりたいとは思っていなかったので生徒との距離などあまり気にしない。
タンバリン、またの名をタンブリンとも呼ばれているそれが音楽室には10個あるのを音代は知っている。それが昨日から1つ見つからない。
そして音代の圧に屈せず、立ち上がったのは音代が乗り込んだクラス2年1組の学級委員、橋田奏馬。
「僕たちを疑ってるんですか」
「そうだ、このクラスの誰かがタンバリンを盗んだ」
「僕たちの授業のあと吹奏楽が使っているはずですが」
「昨日吹奏楽は休みだ」
「たかがタンバリンだろ、早く部活に行かせろよ」
学級委員橋田のおかげで発言しやすい雰囲気になったのをいいことに1人の男子生徒がそう言い放つ。
そしてその後も、「まじそれ」「時間の無駄なんだけど」「はやく帰らせろよ」などと音代に向けての言葉が飛び交う。
ーーーたかがタンバリン。
それは音代のスイッチをおさせるのには十分な言葉であることは知り合って2ヶ月ほどの生徒には分からない。
「タンバリンとは」
音代の言葉で生徒たちは一瞬にして静まった。
タンバリン、普通の言葉なのに音代が言うと殺し屋の武器のような危なっかしいものにきこえる。
「タンバリンとは、世界最古の太鼓であり、音楽が音楽としてまだ成立していない時代からある古き楽器だ。もともと儀式や祭事で使われていた。国によって材質なども違っていたがリズムを奏でるものとして個々に進化していき今の形になった。そもそも、タンバリンを音楽として取り入れたのはヨーロッパでクラシック音楽が生まれてからであり、1787年モーツァルトによってはじめて音楽への仲間入りをする。その歴史があってこそ、教育で使われたり、ポップスで使われたり、お前らが馬鹿騒ぎするカラオケで使われたり色んな用途で使われるものになっていったんだ
バカにするなよ、タンバリンを」
「今息継ぎしてた?」女子生徒がボソリとそんなことを言った。
そして女の担任教師がようやく口を開き、「音代先生その辺で」と苦笑いでとめにはいる。
「立派な窃盗として、知り合いの警察に相談している」
「えぇ」
担任の声がひっくり返った。
何をしてくれているんだと顔を歪ませた担任。生徒は心の底から思った。
ーーーなぜ、自分たちは音楽を選択したのか。
芸術科目は美術、書道、音楽から好きなものが選べる。
1年の時から選べるそれは偶然にもこのクラスは全員が音楽を選んでいた。
文化祭の合唱は優勝が狙えるのではないかとみんなで喜んでいたのに。
ーーー音楽の先生がこんな変人だとは。
「音代先生、ひとまず教室を出ましょう。みんな、今日は解散です!」
音代の腕を引っ掴み、教室からひっぱりだす担任。引きずられながらも音代は言葉を放った。
「明日まで待ってやる、犯人は絶対に名乗り出ろ」
荒々しく教室の扉が閉まった。