「あなたあと三日しか生きられませんよ」
真面目な顔をして、アドバイスをしても、何言っているんだコイツ、とか不気味な顔や怪訝そうな顔をしてスルーされてしまう。こちらは親切心で言っているにも関わらず、世の中はせちがない。動物に対しても、三日を切ると予言が的中したことは幼少期から何度もある。しかし、予想が的中すると称賛どころか、なんとも不気味な存在として扱われてきた。仕舞いには、死神少女というあだ名までつけられてしまい、不吉な存在というポジションが確立されてしまった。何とも世の中は理不尽だ。こちらは殺そうと思ったり殺しているわけではない。なのに、私が殺したかのような冷ややかな目。そんな視線には慣れた。私は見えたことを伝えているだけなのに……。でも、少しでも関わりがある人が死ぬのならば、悔いを残さずに最期までを全うしてほしい。その気持ちは世間でウザいと思われるようになった今でも、持ち合わせていた。
見た目が派手で素行が不良な樹杏玲斗。大学内で、この人も私同様浮いた存在だ。
私の場合は真面目で地味だけれど、死神少女と不気味がられて違う意味で浮いた存在だ。
見た目も真逆にも関わらず、私達は浮いているという共通点があった。
「マジで!? 俺の命は三日かぁ。だったら、最高の死に際を求めてみたいな。お前、協力しろ!」
強引な命令口調。私とは違った意味で恐れられている存在だけあって、逆らうという選択肢はなかった。ただ、彼から死への恐怖心や私に対する不気味な気持ちは感じられず、死への前向きな気持ちが感じ取れた。
「私の言葉を信じるの?」
「お前は有名な死神少女だってことは大学内でも有名だからな」
この人にまで私の死神伝説が知られていたなんて……。愕然とする。
「死は怖くないの?」
「後悔したくないから、最高の生き方をして死にてーだろ。つまり最高の死に際を求めたいってことだ。どうせこの地球上の人間は遅かれ早かれ全員死ぬわけだしさ」
彼の言っていることはなるほどと思えるような、納得できるような言葉が並ぶ。今まで会った中で一番ポジティブな死確定者だ。今まで、数字が見えるとそれが三日ルールで増えたことはない。毎日、数字が減って最期にゼロになる。人間も犬も鳥も基本生物全般に当てはまる。逆に三日以上生きることが確定していれば数字は見えない。幸か不幸かなぜか三日から私には見えてしまう。お別れの日がわかってしまう。さびしい能力だが、さびしい思いをすることはない。なぜならば、私の心は閉じきってしまい、人を愛することができなくなってしまった。小学生の頃、おばあちゃんが死んだときは本当に何とかしようともがき苦しんだ。でも、どうにもならなかった。その時悟った。私は無力で何もできない人間だと。自分の思いで人の死をコントロールなんてできないのだと。小学生時代は生き物の死を的中させてしまい悪目立ちしてしまった。だからなるべくは目立たないようにしてきた。しかし、大学で占い研究会に入った時に、想像以上に広まってしまったらしい。
もっと早くから数字が見えたらいいのかと言っても、死を知ることが早くなるので、解決策はない。ある意味三日だから私は耐えられるのかもしれない。全くもって、いらない能力が備わったものだ。
「三日は短いようで長いよな。俺、一度死んでるから」
「は?」
この人は、またまた予測不可能な言葉を発する。
「こう見えて、昔は天才ピアニストなんて言われていたんだ。将来有望な少年だって雑誌にも取り上げられたり、コンテストで優勝したりしてたんだぜ」
「あなたが?」
目の前にいるチャラそうな男とピアニスト。なんて不釣り合いな言葉だろうか。意外すぎて、言葉が出ない。ピアニストと言えば、髪型はきっちりセットしていて、ネクタイをちゃんと絞めてしわのないワイシャツを着ている印象が強い。この人は真逆だ。
「物心ついたときには、ピアノがオモチャみたいな感じでさ。うち、音楽家一家なんだよ。事故で指に怪我をして、ピアニストになるには正確な演奏は難しくなった。プロになれない俺なんて家族は見向きもしなくなった」
自分の手をさみしそうに見つめる玲斗。今、怪我をしていなかったら、目の前にいる少年は全然違った人間になっていたのかもしれない。違う人生を歩んでいたのかもしれない。
「ピアノは弾けないの?」
「弾けるけど、プロにはなれないってこと。我が家にしてみたらプロの音楽家になれない人間はいらない人間なんだ。大学は全然違う学部に進学したんだけどさ」
「なにそれ、なんかムカつく。ひどすぎるよ」
「両親が一流のピアニストなんだ。こんな髪型に校則違反だらけの見た目も恥晒しって言われてる。もし、怪我をしていなかったら、音大に入学してたから、この大学には来てなかったな」
これも何かの縁だろうか。同じ中学に同じ大学の生徒として存在するのも確率からいったらかなり低いだろう。
たしかに、明るい茶髪に染めた髪。ところどころ金髪メッシュになっている。でも、敢えてこんな雰囲気を作り出したのは彼の家族なのかもしれない。自宅に居場所がなくて、やりたいことがないお金持ちの息子。お金持ちじゃないけれど、私の見た目は暗い、不気味と言われ、浮いているし、変な能力のせいで家族にすら避けられ、自宅に居場所がないのも同じだ。見た目の派手さは正反対なのに何かが同じなのかもしれない。
「もしかしたら、数字が何かで増えるかもしれないよ」
「別にいいって。うちはリサイタルで両親が長期不在なことも多いし、自由に過ごすよ」
「ねぇ、保育科の人たちが使っている音楽室のピアノ借りて何か弾いてよ。聴いてみたい!」
「今は天才ピアニストじゃないけど、いいのか?」
「いいに決まってるよ! 玲斗くんの演奏を純粋に聴いてみたいから!」
「ずっとちゃんと練習してないから、あんまり指動かないと思う。でも、聴きたいって言われたらやっぱり弾きたくなるもんだな。ピアニスト魂がうずくぜ!」
「最高の死に際ってどんな感じを想像してるの?」
三日しか生きられない人に向かって聞くことじゃないけれど、彼は前向きで悲壮感が全然なかった。だから、つい聞いてしまった。
「ゲームして、スマホして、うまいもの食べて、好きをやり尽くすつもりだったんだ。でも、ピアノで誰かの心に俺の音色を届けて感動させるのも悪くないな」
どこか得意げな感じは玲斗らしい。
「あなたの好きは、元々はゲームやスマホじゃなくてピアノを弾くことだったんじゃないの?」
一瞬目が合う。多分正解だろう。天才って言われてたくらいだから、おもちゃだったんだから、好きなのはピアノを弾くこと。でも、敢えてそれをしていないから、後悔が残っているのかもしれない。
「プロになれなくても、一流のピアニストになれなくても、弾きたいように弾くのも悪くない。音色で誰かの心を揺さぶって死ぬのも悪くないかもな。ってカッコつけ過ぎか」
自分自身の頭を叩くような素振りをする。
「おいしい食べ物を食べたり、美しい景色を見たいと私なら思うな。最高の幸せな基準は人それぞれかもしれないけどね」
「それ、最高の三日にふさわしい! 採用な! 案外普通の毎日が最高なのかもしれないな」
どこまでも前向きで不思議な人。最期まで楽しさを追及する人。人間じゃなかったら、きっと行き方を選択することは難しいと思う。人間だから生き方を選ぶことができるのかもしれない。
「最高に死ぬために、俺のピアノを聴け。怪我はしたけれど、その辺の奴よりずっとうまいのは保証する」
自信家で高飛車で上から目線の人。
でも、誰よりも繊細で完璧主義だからピアノを弾くことを辞めてしまったのかもしれない。
練習自由となっている音楽室には誰もいなくて、誰かに弾いてほしいかのように待っているグランドピアノが一台ある。普段は保育科などの学生が主に使っている。漆黒に光るその楽器は夕陽を浴びて漆黒の輝きを放つ。
グランドピアノに向かって彼はペットを撫でるかのように優しく微笑む。意外な表情。きっとピアノを弾くきっかけがほしかったのかもしれない。
私は彼のように今まで何かに打ち込んだこともない。だから、失うものはなにもなかった。
「お前は先が長いんだから、何か打ち込めるものを見つけろ」
相変わらずの命令口調。でも、思いやりが感じられる。
彼がピアノに触れるとまるで共鳴するかのように音楽が奏でられる。
一音奏でるだけで、音が弾ける。音が生きる。音を楽しむと書いて音楽という言葉通りだ。プロの演奏なんて聞いたことないし、クラシックに詳しいわけでもない。私自身ピアノなんて弾いたこともなかった。彼の指は怪我をしていたとは思えない。力強さがあって、どこかで聞いたことがあるクラシックの曲が奏でられる。どうしてこんなに弾けるのに、今まで弾かなかったのだろう。
「こんなに上手なのにプロになれないの?」
「一流のピアニストにはなれないってことだ」
「趣味で弾けばいいのに」
その言葉に手が止まる。もしかして、趣味で弾くなんて選択肢を考えたこともなかったのだろうか? 趣味という概念がないという思考を押し付けてくる家族なのだろうか。かわいそうな人だな。
夕陽の光であふれた彼の姿は、神々しくてまぶしくて、まるで別世界の人みたいだった。
きれいな髪の毛だなと思う。先程まで軽蔑していたのに不思議ときれいに見えて撫でたくなる。
サラサラしたストレートの茶色い髪の毛はとても美しく、愛らしい。
黄金色の部分は神々しい光を放っていた。
ピアノを弾いている姿は、今までみたこともないくらい美しく綺麗だった。
弾く姿勢も指の動きも。全てが完璧な印象だった。
ピアニストになっていたら――もしもの世界線が私の中を渦巻く。無意味なことなのに。
「もし、この能力が、誰かを救うとか怪我を直すとかそういう能力になればよかったのに」
今更ながら嘆く。
「じゃあ、誰かを救える仕事に就けばいいんじゃね?」
「あぁ、そうか……」
今までなりたいものなんてなかったけれど、ぼんやりとやりたいことが見えてきた。彼と出会えたからかもしれない。心を揺さぶる美しい音色にいつの間にか涙が流れる。これを感動というのだろうか。
「俺の音色に感動したか。俺に惚れるなよ」
樹杏玲斗らしいな。なんだか笑える。
「美味しいものを食べて、美しい景色を見るっていう計画を今から決行するぞ。金はあるから、うまい飯食いに行こう。美しい夜景でも見て帰るか。明日になったらあと二日ってことだから、やりたいことはやっておかねーとな」
「乗った!!」
陰キャな私が陽キャみたいなことをするのは至極新鮮だった。
憧れていた生活。誰かと食事をしたり、一緒に帰ったり、出かけたり。
訪れたのはどんな高級な料亭かと思っていたら、下町のラーメン屋だった。
美しいピアニストとラーメン屋というのも正直アンバランスだけど、樹杏玲斗らしいと思った。
「ここの中華は世界一といっていいくらいうまいんだ。ラーメンとチャーハンと餃子、注文するぞ。明日も、一押しの飯を食える場所に連れて行くからさ。食え、俺のおごりだ」
「明日も?」
一緒でいいの? その言葉に心躍る。
出されたラーメンは透き通るような色合いで、黄金色に見えた。シンプルなラーメンなんだけれど、コクがあってすごくおいしい。チェーン店ではないから、ここの店でしか食べることもできない味だろう。餃子はもちもちのぷりぷりという表現が一番しっくりくる。外側の皮はもちもちしていて、中にはぎっしり肉が詰まっている。おおぶりな餃子だ。チャーハンは、脂っこくないのに艶があって、卵がたっぷりだ。こんなにおいしいお店が近くにあったなんて灯台下暗しとでも言おうか。また来たいな。でも、彼と来ることはもう無理だろうと思う。せつない気持ちというのをはじめて痛感する。
その後、夜景がきれいに見える公園に行き、ベンチに座って、ただ町を一望する。こんなにきれいな夜景がこんなに近くにあったんだ。彼がいなかったら、気づくことなく毎日が過ぎていただろう。こんな私に友達ができた。でも、あと二日しか一緒にいることはできない友達。って勝手に友達と思ってるだけなんだけれど。でも、今すごく楽しいんだよね。一人より二人って言うじゃない?
町を自分たちのものにしたような優越感を抱きながらその日は帰宅する。居場所のない家だ。おばあちゃんが亡くなり、母親しか保護者と呼べる人はいない。でも、その母親は私に関心がない。ネグレクトというやつだろう。おばあちゃんが残してくれた貯金でなんとか大学に進学した。
二日目はやっぱり玲斗のピアノを音楽室で聴かせてもらう。
「やっぱりこのピアノじゃいい音がでない。ろくに調律もしていないんだろうな。今日は俺の家に来い!! 今の俺が最大限弾けるピアノを聴かせてやるよ」
笑顔でいっぱいの彼はあと二日しか生きられないことを普通に受け入れていた。今までそんな人はいなかった。子どもの時に、知らない人に寿命を告げると嫌な顔をされた。怖がる人間しか見たことはなかった。でも、精一杯今を生きようとしている。この人ならば、もしかしたら、もっと生きられるのかもしれない。そんな淡い期待を抱く。
今から死に向かうはずの彼は普通に大学に来て、ピアノを奏でる。案外最期を前にしても、変わらない生活を送ることが最善なのかもしれない。初めて友達の家に行くという出来事にわくわくしている自分がいた。
「あなたは、私のことを不気味だとか思わないの? だって死神少女だよ」
「むしろ、かっこいいって。だって、予言者じゃん。未来を予知できる能力なんて普通はないからな。死神ってのは、悪意のあるあだ名であって、お前の本来の能力の意味とは違うような気がする」
「そんなことを言われたのは初めてだよ」
嬉しい言葉のプレゼント。彼が私に残した言葉は多分一生忘れない。
人には一生忘れられない言葉がある。きっとそれだ。
三十分弱は歩いただろうか。森の茂みに近い広い大きな屋敷がある。
いかにもお金持ちの家っていう感じの外観だ。私の語彙が少ないから、こんな表現しかできないのだけれど、アニメなんかに出てくる緑の中の大きなきれいなお屋敷だった。
一階入ってすぐの部屋に大きなグランドピアノがある。見たことがない金色が刻まれた文字。きっと高級なブランドのピアノなのかもしれない。光沢が違う。手入れが行き届いていて、一音一音の音色も学校のとは別格だった。
「弾いてみる?」
「私、ピアノなんて弾けないよ」
「指で押すだけでも面白いって」
手招きされるまま、ただ指で押してみる。鍵盤は思ったよりも重い。
「ピアニストって案外指に力がないとなれない仕事なんだね」
「そうそう。グランドピアノはさ、アップライトとか電子ピアノとは全然鍵盤の重さが違うんだ。だから、ずっと指を鍛えてきた」
愛しそうに指を見つめる玲斗。
「演奏力は努力の賜物かぁ」
「俺の場合は天才だから」
やっぱりいつも自信家で弱さを見せない人。とても強い人だと思えた。
部屋にはたくさんのコンクールの賞状や盾があった。彼の両親のものもあるけれど、玲斗のものがとてもたくさんあることに驚く。この人、本当にピアニストだったんだ。それも天才的なプロになるはずだった人。
「俺が中学生の時に、事故にあって、指を怪我したんだ。子猫が車にひかれそうになったのを助けたというかっこいい理由なんだけどな」
「嘘? 本当に子猫を助けて怪我する人がいるんだ?」
「ここにいる。実は俺、すげー善人だから」
見た目は悪人面なのに、実は善人。こんな人いるんだ。今まで陰口を言うような人たちは一見いい人そうな人ばかりだった。でも、本当の心根は悪い人。そんな現実に疲れていた。この能力もいらないと思っていた。でも、未来を予知できてかっこいいなんて言われる日が来るなんて、嬉しいな。
彼の音色に包まれる。素敵な時間はあっという間に過ぎる。
「今日は特別な場所に連れていくよ。ついて来い」
いつも予想の斜め上を行く人だな。今日は何があるのだろう。
森の奥に連れていかれる。月明かりがきれいだ。月光ってこんなにきれいだったんだ。
大きな屋敷が建っている。
「ここは、実は孤児院。俺の両親が寄付して設立したんだ。親を亡くしたり、何らかの理由があって育てられない大人が子どもを預ける場所。何歳まででも利用したければしてもいいから。俺の権限で大変なときは、ここを頼ってよ」
「私の家のこと知ってたの?」
「まあ、噂って嫌でも耳に入ってくるからさ。ここの施設長を紹介するよ。かあさんって呼ばれてるんだ」
インターフォンを押すと、明るい雰囲気のかあさんっていう感じの女性が出てきた。
「こんばんは。よかったら今日はここに泊っていかない? 夕食もあるし」
事前に訪問することを伝えていたのか準備万端の状態で中に通される。洋風の外観は施設という印象とは程遠く、明るい子どもたちの声が響いていた。
「ここのピアノも樹杏夫妻が寄付してくれたのよ」
「ここのピアノも昔から俺が弾いてるんだ。最近は弾いてないけどな」
「今でもプロを目指せるくらいのレベルなのにね。また聴きたいわ」
かあさんが言う。玲斗にとっては、本当の母親より母親しているのがこの人で、きっと心の支えになってるのだろうか。温かい食事はどんなレストランよりもおいしくて、笑顔と会話と温かな空間が食事を美味しくしているような気がする。初めて料理に感謝する。隣に玲人がいる。なんだか温かくて心地いい。施設の子どもたちもいい子ばかりだ。
「兄ちゃんの彼女か?」
そんなことストレートに聞く? 絶対に違うんだけどね。でも、それって他の女子を連れてきたことがないってことだよね。
「想像に任せるよ」
「私みたいな根暗な地味女子が彼女なんて、誤解させたらなんだか悪いよ」
「お前、前髪あげると意外ときれいな顔してるよな」
顔を隠すためになるべく長めに伸ばしていた前髪を玲斗が上げる。初めて人に褒められる。こんなに嬉しいことはないよ。思わず赤面する。みせたくないおでこや瞳をじっと見られる。恥ずかしい。
「もし、俺がいなくなってから困ったら、ここのかあさんを頼れ。この人は実質的な俺のかあさんだから。かあさん、この子のことを頼むよ」
「あいよ、任せときな」
その言葉にはとても大きな信頼感と包容力があった。
その日は施設に泊まることにした。
展望台があって、望遠鏡があって、玲斗の家は凄い経済力なんだなと尊敬する。
いつの間にか夜中十二時を過ぎていた。
「俺はあと一日しか生きられないんだろ」
「そんなことはわからないよ」
わかってる。数字が一になっている。つまり、あと一日だ。やっぱり増えるなんて方法は見つけられない。私はたくさんのことを玲斗から得たのに、彼に何もしてあげられない。辛いよ。涙が流れる。
「俺は、お前に会えたことがとても良かった。死ぬことがわかっていたら、もっとこうやっていたのにって思うだろ。死ぬことがわからない人間にはもっとこうすればよかったとか後悔しかないんだよ。だから、知っていたらもっと有意義に最期を迎えられたなって思うんだ」
あと一日とは言っても、今まで見てきた中では、夜中十二時を過ぎてすぐに死んだ者もいた。ぎりぎり翌日近くまで生きる者もいた。彼はどれに当てはまるのだろう。とてもとても怖くなる。じっと彼を見つめる。
あれ? 体が崩れてる?
不思議な現象だ。見たこともない現象だ。彼の体がクッキーが砕けるようにほろほろと目の前で破壊される。
そんな死に方見たことない。何で? どうして? 視線で彼に問いかける。
「本当は、俺、既に死んでたんだよ。でも、なぜかお前にはあと三日生きると映ったらしい。その能力のおかげで肉体が死んでも、精神は三日程度ならば生きていられたのかもな。実際、生きていた時より、生きてる感じがする三日だった。俺は今、幸せだ。最高の最期をありがとな」
笑顔で消える玲斗。
彼はたしかに生きていた。でも、本当は死んでいた? 理解が追い付かない。
不思議で最高の三日間。人生で最も濃い三日間。絶対に忘れないよ。
全然見た目がタイプじゃなかったし、性格も苦手だと思ってた。食わず嫌いみたいなものかもしれない。もし、私に能力がなければ話すこともなかった。だから、初めて能力に感謝する。さびしいけれど、彼が奏でた音色は確かに私の心を揺さぶった。それは事実だった。私の今後の人生が変わるきっかけを与えてくれた。やり残したことがあって、不意打ちの死を迎えた彼は私という能力者に接することで、三日だけ、魂だけが生きていたのかもしれない。
その日の朝に死んだほうの体は発見された。警察が捜査した結果、子猫を助けるために森の崖から転落したらしいと後に知った。本当の彼の肉体は森の中にあったらしい。
後になって考えてみると――多分、その気持ちは恋だったのかもしれない。恋に時間なんて関係ないのだから。
真面目な顔をして、アドバイスをしても、何言っているんだコイツ、とか不気味な顔や怪訝そうな顔をしてスルーされてしまう。こちらは親切心で言っているにも関わらず、世の中はせちがない。動物に対しても、三日を切ると予言が的中したことは幼少期から何度もある。しかし、予想が的中すると称賛どころか、なんとも不気味な存在として扱われてきた。仕舞いには、死神少女というあだ名までつけられてしまい、不吉な存在というポジションが確立されてしまった。何とも世の中は理不尽だ。こちらは殺そうと思ったり殺しているわけではない。なのに、私が殺したかのような冷ややかな目。そんな視線には慣れた。私は見えたことを伝えているだけなのに……。でも、少しでも関わりがある人が死ぬのならば、悔いを残さずに最期までを全うしてほしい。その気持ちは世間でウザいと思われるようになった今でも、持ち合わせていた。
見た目が派手で素行が不良な樹杏玲斗。大学内で、この人も私同様浮いた存在だ。
私の場合は真面目で地味だけれど、死神少女と不気味がられて違う意味で浮いた存在だ。
見た目も真逆にも関わらず、私達は浮いているという共通点があった。
「マジで!? 俺の命は三日かぁ。だったら、最高の死に際を求めてみたいな。お前、協力しろ!」
強引な命令口調。私とは違った意味で恐れられている存在だけあって、逆らうという選択肢はなかった。ただ、彼から死への恐怖心や私に対する不気味な気持ちは感じられず、死への前向きな気持ちが感じ取れた。
「私の言葉を信じるの?」
「お前は有名な死神少女だってことは大学内でも有名だからな」
この人にまで私の死神伝説が知られていたなんて……。愕然とする。
「死は怖くないの?」
「後悔したくないから、最高の生き方をして死にてーだろ。つまり最高の死に際を求めたいってことだ。どうせこの地球上の人間は遅かれ早かれ全員死ぬわけだしさ」
彼の言っていることはなるほどと思えるような、納得できるような言葉が並ぶ。今まで会った中で一番ポジティブな死確定者だ。今まで、数字が見えるとそれが三日ルールで増えたことはない。毎日、数字が減って最期にゼロになる。人間も犬も鳥も基本生物全般に当てはまる。逆に三日以上生きることが確定していれば数字は見えない。幸か不幸かなぜか三日から私には見えてしまう。お別れの日がわかってしまう。さびしい能力だが、さびしい思いをすることはない。なぜならば、私の心は閉じきってしまい、人を愛することができなくなってしまった。小学生の頃、おばあちゃんが死んだときは本当に何とかしようともがき苦しんだ。でも、どうにもならなかった。その時悟った。私は無力で何もできない人間だと。自分の思いで人の死をコントロールなんてできないのだと。小学生時代は生き物の死を的中させてしまい悪目立ちしてしまった。だからなるべくは目立たないようにしてきた。しかし、大学で占い研究会に入った時に、想像以上に広まってしまったらしい。
もっと早くから数字が見えたらいいのかと言っても、死を知ることが早くなるので、解決策はない。ある意味三日だから私は耐えられるのかもしれない。全くもって、いらない能力が備わったものだ。
「三日は短いようで長いよな。俺、一度死んでるから」
「は?」
この人は、またまた予測不可能な言葉を発する。
「こう見えて、昔は天才ピアニストなんて言われていたんだ。将来有望な少年だって雑誌にも取り上げられたり、コンテストで優勝したりしてたんだぜ」
「あなたが?」
目の前にいるチャラそうな男とピアニスト。なんて不釣り合いな言葉だろうか。意外すぎて、言葉が出ない。ピアニストと言えば、髪型はきっちりセットしていて、ネクタイをちゃんと絞めてしわのないワイシャツを着ている印象が強い。この人は真逆だ。
「物心ついたときには、ピアノがオモチャみたいな感じでさ。うち、音楽家一家なんだよ。事故で指に怪我をして、ピアニストになるには正確な演奏は難しくなった。プロになれない俺なんて家族は見向きもしなくなった」
自分の手をさみしそうに見つめる玲斗。今、怪我をしていなかったら、目の前にいる少年は全然違った人間になっていたのかもしれない。違う人生を歩んでいたのかもしれない。
「ピアノは弾けないの?」
「弾けるけど、プロにはなれないってこと。我が家にしてみたらプロの音楽家になれない人間はいらない人間なんだ。大学は全然違う学部に進学したんだけどさ」
「なにそれ、なんかムカつく。ひどすぎるよ」
「両親が一流のピアニストなんだ。こんな髪型に校則違反だらけの見た目も恥晒しって言われてる。もし、怪我をしていなかったら、音大に入学してたから、この大学には来てなかったな」
これも何かの縁だろうか。同じ中学に同じ大学の生徒として存在するのも確率からいったらかなり低いだろう。
たしかに、明るい茶髪に染めた髪。ところどころ金髪メッシュになっている。でも、敢えてこんな雰囲気を作り出したのは彼の家族なのかもしれない。自宅に居場所がなくて、やりたいことがないお金持ちの息子。お金持ちじゃないけれど、私の見た目は暗い、不気味と言われ、浮いているし、変な能力のせいで家族にすら避けられ、自宅に居場所がないのも同じだ。見た目の派手さは正反対なのに何かが同じなのかもしれない。
「もしかしたら、数字が何かで増えるかもしれないよ」
「別にいいって。うちはリサイタルで両親が長期不在なことも多いし、自由に過ごすよ」
「ねぇ、保育科の人たちが使っている音楽室のピアノ借りて何か弾いてよ。聴いてみたい!」
「今は天才ピアニストじゃないけど、いいのか?」
「いいに決まってるよ! 玲斗くんの演奏を純粋に聴いてみたいから!」
「ずっとちゃんと練習してないから、あんまり指動かないと思う。でも、聴きたいって言われたらやっぱり弾きたくなるもんだな。ピアニスト魂がうずくぜ!」
「最高の死に際ってどんな感じを想像してるの?」
三日しか生きられない人に向かって聞くことじゃないけれど、彼は前向きで悲壮感が全然なかった。だから、つい聞いてしまった。
「ゲームして、スマホして、うまいもの食べて、好きをやり尽くすつもりだったんだ。でも、ピアノで誰かの心に俺の音色を届けて感動させるのも悪くないな」
どこか得意げな感じは玲斗らしい。
「あなたの好きは、元々はゲームやスマホじゃなくてピアノを弾くことだったんじゃないの?」
一瞬目が合う。多分正解だろう。天才って言われてたくらいだから、おもちゃだったんだから、好きなのはピアノを弾くこと。でも、敢えてそれをしていないから、後悔が残っているのかもしれない。
「プロになれなくても、一流のピアニストになれなくても、弾きたいように弾くのも悪くない。音色で誰かの心を揺さぶって死ぬのも悪くないかもな。ってカッコつけ過ぎか」
自分自身の頭を叩くような素振りをする。
「おいしい食べ物を食べたり、美しい景色を見たいと私なら思うな。最高の幸せな基準は人それぞれかもしれないけどね」
「それ、最高の三日にふさわしい! 採用な! 案外普通の毎日が最高なのかもしれないな」
どこまでも前向きで不思議な人。最期まで楽しさを追及する人。人間じゃなかったら、きっと行き方を選択することは難しいと思う。人間だから生き方を選ぶことができるのかもしれない。
「最高に死ぬために、俺のピアノを聴け。怪我はしたけれど、その辺の奴よりずっとうまいのは保証する」
自信家で高飛車で上から目線の人。
でも、誰よりも繊細で完璧主義だからピアノを弾くことを辞めてしまったのかもしれない。
練習自由となっている音楽室には誰もいなくて、誰かに弾いてほしいかのように待っているグランドピアノが一台ある。普段は保育科などの学生が主に使っている。漆黒に光るその楽器は夕陽を浴びて漆黒の輝きを放つ。
グランドピアノに向かって彼はペットを撫でるかのように優しく微笑む。意外な表情。きっとピアノを弾くきっかけがほしかったのかもしれない。
私は彼のように今まで何かに打ち込んだこともない。だから、失うものはなにもなかった。
「お前は先が長いんだから、何か打ち込めるものを見つけろ」
相変わらずの命令口調。でも、思いやりが感じられる。
彼がピアノに触れるとまるで共鳴するかのように音楽が奏でられる。
一音奏でるだけで、音が弾ける。音が生きる。音を楽しむと書いて音楽という言葉通りだ。プロの演奏なんて聞いたことないし、クラシックに詳しいわけでもない。私自身ピアノなんて弾いたこともなかった。彼の指は怪我をしていたとは思えない。力強さがあって、どこかで聞いたことがあるクラシックの曲が奏でられる。どうしてこんなに弾けるのに、今まで弾かなかったのだろう。
「こんなに上手なのにプロになれないの?」
「一流のピアニストにはなれないってことだ」
「趣味で弾けばいいのに」
その言葉に手が止まる。もしかして、趣味で弾くなんて選択肢を考えたこともなかったのだろうか? 趣味という概念がないという思考を押し付けてくる家族なのだろうか。かわいそうな人だな。
夕陽の光であふれた彼の姿は、神々しくてまぶしくて、まるで別世界の人みたいだった。
きれいな髪の毛だなと思う。先程まで軽蔑していたのに不思議ときれいに見えて撫でたくなる。
サラサラしたストレートの茶色い髪の毛はとても美しく、愛らしい。
黄金色の部分は神々しい光を放っていた。
ピアノを弾いている姿は、今までみたこともないくらい美しく綺麗だった。
弾く姿勢も指の動きも。全てが完璧な印象だった。
ピアニストになっていたら――もしもの世界線が私の中を渦巻く。無意味なことなのに。
「もし、この能力が、誰かを救うとか怪我を直すとかそういう能力になればよかったのに」
今更ながら嘆く。
「じゃあ、誰かを救える仕事に就けばいいんじゃね?」
「あぁ、そうか……」
今までなりたいものなんてなかったけれど、ぼんやりとやりたいことが見えてきた。彼と出会えたからかもしれない。心を揺さぶる美しい音色にいつの間にか涙が流れる。これを感動というのだろうか。
「俺の音色に感動したか。俺に惚れるなよ」
樹杏玲斗らしいな。なんだか笑える。
「美味しいものを食べて、美しい景色を見るっていう計画を今から決行するぞ。金はあるから、うまい飯食いに行こう。美しい夜景でも見て帰るか。明日になったらあと二日ってことだから、やりたいことはやっておかねーとな」
「乗った!!」
陰キャな私が陽キャみたいなことをするのは至極新鮮だった。
憧れていた生活。誰かと食事をしたり、一緒に帰ったり、出かけたり。
訪れたのはどんな高級な料亭かと思っていたら、下町のラーメン屋だった。
美しいピアニストとラーメン屋というのも正直アンバランスだけど、樹杏玲斗らしいと思った。
「ここの中華は世界一といっていいくらいうまいんだ。ラーメンとチャーハンと餃子、注文するぞ。明日も、一押しの飯を食える場所に連れて行くからさ。食え、俺のおごりだ」
「明日も?」
一緒でいいの? その言葉に心躍る。
出されたラーメンは透き通るような色合いで、黄金色に見えた。シンプルなラーメンなんだけれど、コクがあってすごくおいしい。チェーン店ではないから、ここの店でしか食べることもできない味だろう。餃子はもちもちのぷりぷりという表現が一番しっくりくる。外側の皮はもちもちしていて、中にはぎっしり肉が詰まっている。おおぶりな餃子だ。チャーハンは、脂っこくないのに艶があって、卵がたっぷりだ。こんなにおいしいお店が近くにあったなんて灯台下暗しとでも言おうか。また来たいな。でも、彼と来ることはもう無理だろうと思う。せつない気持ちというのをはじめて痛感する。
その後、夜景がきれいに見える公園に行き、ベンチに座って、ただ町を一望する。こんなにきれいな夜景がこんなに近くにあったんだ。彼がいなかったら、気づくことなく毎日が過ぎていただろう。こんな私に友達ができた。でも、あと二日しか一緒にいることはできない友達。って勝手に友達と思ってるだけなんだけれど。でも、今すごく楽しいんだよね。一人より二人って言うじゃない?
町を自分たちのものにしたような優越感を抱きながらその日は帰宅する。居場所のない家だ。おばあちゃんが亡くなり、母親しか保護者と呼べる人はいない。でも、その母親は私に関心がない。ネグレクトというやつだろう。おばあちゃんが残してくれた貯金でなんとか大学に進学した。
二日目はやっぱり玲斗のピアノを音楽室で聴かせてもらう。
「やっぱりこのピアノじゃいい音がでない。ろくに調律もしていないんだろうな。今日は俺の家に来い!! 今の俺が最大限弾けるピアノを聴かせてやるよ」
笑顔でいっぱいの彼はあと二日しか生きられないことを普通に受け入れていた。今までそんな人はいなかった。子どもの時に、知らない人に寿命を告げると嫌な顔をされた。怖がる人間しか見たことはなかった。でも、精一杯今を生きようとしている。この人ならば、もしかしたら、もっと生きられるのかもしれない。そんな淡い期待を抱く。
今から死に向かうはずの彼は普通に大学に来て、ピアノを奏でる。案外最期を前にしても、変わらない生活を送ることが最善なのかもしれない。初めて友達の家に行くという出来事にわくわくしている自分がいた。
「あなたは、私のことを不気味だとか思わないの? だって死神少女だよ」
「むしろ、かっこいいって。だって、予言者じゃん。未来を予知できる能力なんて普通はないからな。死神ってのは、悪意のあるあだ名であって、お前の本来の能力の意味とは違うような気がする」
「そんなことを言われたのは初めてだよ」
嬉しい言葉のプレゼント。彼が私に残した言葉は多分一生忘れない。
人には一生忘れられない言葉がある。きっとそれだ。
三十分弱は歩いただろうか。森の茂みに近い広い大きな屋敷がある。
いかにもお金持ちの家っていう感じの外観だ。私の語彙が少ないから、こんな表現しかできないのだけれど、アニメなんかに出てくる緑の中の大きなきれいなお屋敷だった。
一階入ってすぐの部屋に大きなグランドピアノがある。見たことがない金色が刻まれた文字。きっと高級なブランドのピアノなのかもしれない。光沢が違う。手入れが行き届いていて、一音一音の音色も学校のとは別格だった。
「弾いてみる?」
「私、ピアノなんて弾けないよ」
「指で押すだけでも面白いって」
手招きされるまま、ただ指で押してみる。鍵盤は思ったよりも重い。
「ピアニストって案外指に力がないとなれない仕事なんだね」
「そうそう。グランドピアノはさ、アップライトとか電子ピアノとは全然鍵盤の重さが違うんだ。だから、ずっと指を鍛えてきた」
愛しそうに指を見つめる玲斗。
「演奏力は努力の賜物かぁ」
「俺の場合は天才だから」
やっぱりいつも自信家で弱さを見せない人。とても強い人だと思えた。
部屋にはたくさんのコンクールの賞状や盾があった。彼の両親のものもあるけれど、玲斗のものがとてもたくさんあることに驚く。この人、本当にピアニストだったんだ。それも天才的なプロになるはずだった人。
「俺が中学生の時に、事故にあって、指を怪我したんだ。子猫が車にひかれそうになったのを助けたというかっこいい理由なんだけどな」
「嘘? 本当に子猫を助けて怪我する人がいるんだ?」
「ここにいる。実は俺、すげー善人だから」
見た目は悪人面なのに、実は善人。こんな人いるんだ。今まで陰口を言うような人たちは一見いい人そうな人ばかりだった。でも、本当の心根は悪い人。そんな現実に疲れていた。この能力もいらないと思っていた。でも、未来を予知できてかっこいいなんて言われる日が来るなんて、嬉しいな。
彼の音色に包まれる。素敵な時間はあっという間に過ぎる。
「今日は特別な場所に連れていくよ。ついて来い」
いつも予想の斜め上を行く人だな。今日は何があるのだろう。
森の奥に連れていかれる。月明かりがきれいだ。月光ってこんなにきれいだったんだ。
大きな屋敷が建っている。
「ここは、実は孤児院。俺の両親が寄付して設立したんだ。親を亡くしたり、何らかの理由があって育てられない大人が子どもを預ける場所。何歳まででも利用したければしてもいいから。俺の権限で大変なときは、ここを頼ってよ」
「私の家のこと知ってたの?」
「まあ、噂って嫌でも耳に入ってくるからさ。ここの施設長を紹介するよ。かあさんって呼ばれてるんだ」
インターフォンを押すと、明るい雰囲気のかあさんっていう感じの女性が出てきた。
「こんばんは。よかったら今日はここに泊っていかない? 夕食もあるし」
事前に訪問することを伝えていたのか準備万端の状態で中に通される。洋風の外観は施設という印象とは程遠く、明るい子どもたちの声が響いていた。
「ここのピアノも樹杏夫妻が寄付してくれたのよ」
「ここのピアノも昔から俺が弾いてるんだ。最近は弾いてないけどな」
「今でもプロを目指せるくらいのレベルなのにね。また聴きたいわ」
かあさんが言う。玲斗にとっては、本当の母親より母親しているのがこの人で、きっと心の支えになってるのだろうか。温かい食事はどんなレストランよりもおいしくて、笑顔と会話と温かな空間が食事を美味しくしているような気がする。初めて料理に感謝する。隣に玲人がいる。なんだか温かくて心地いい。施設の子どもたちもいい子ばかりだ。
「兄ちゃんの彼女か?」
そんなことストレートに聞く? 絶対に違うんだけどね。でも、それって他の女子を連れてきたことがないってことだよね。
「想像に任せるよ」
「私みたいな根暗な地味女子が彼女なんて、誤解させたらなんだか悪いよ」
「お前、前髪あげると意外ときれいな顔してるよな」
顔を隠すためになるべく長めに伸ばしていた前髪を玲斗が上げる。初めて人に褒められる。こんなに嬉しいことはないよ。思わず赤面する。みせたくないおでこや瞳をじっと見られる。恥ずかしい。
「もし、俺がいなくなってから困ったら、ここのかあさんを頼れ。この人は実質的な俺のかあさんだから。かあさん、この子のことを頼むよ」
「あいよ、任せときな」
その言葉にはとても大きな信頼感と包容力があった。
その日は施設に泊まることにした。
展望台があって、望遠鏡があって、玲斗の家は凄い経済力なんだなと尊敬する。
いつの間にか夜中十二時を過ぎていた。
「俺はあと一日しか生きられないんだろ」
「そんなことはわからないよ」
わかってる。数字が一になっている。つまり、あと一日だ。やっぱり増えるなんて方法は見つけられない。私はたくさんのことを玲斗から得たのに、彼に何もしてあげられない。辛いよ。涙が流れる。
「俺は、お前に会えたことがとても良かった。死ぬことがわかっていたら、もっとこうやっていたのにって思うだろ。死ぬことがわからない人間にはもっとこうすればよかったとか後悔しかないんだよ。だから、知っていたらもっと有意義に最期を迎えられたなって思うんだ」
あと一日とは言っても、今まで見てきた中では、夜中十二時を過ぎてすぐに死んだ者もいた。ぎりぎり翌日近くまで生きる者もいた。彼はどれに当てはまるのだろう。とてもとても怖くなる。じっと彼を見つめる。
あれ? 体が崩れてる?
不思議な現象だ。見たこともない現象だ。彼の体がクッキーが砕けるようにほろほろと目の前で破壊される。
そんな死に方見たことない。何で? どうして? 視線で彼に問いかける。
「本当は、俺、既に死んでたんだよ。でも、なぜかお前にはあと三日生きると映ったらしい。その能力のおかげで肉体が死んでも、精神は三日程度ならば生きていられたのかもな。実際、生きていた時より、生きてる感じがする三日だった。俺は今、幸せだ。最高の最期をありがとな」
笑顔で消える玲斗。
彼はたしかに生きていた。でも、本当は死んでいた? 理解が追い付かない。
不思議で最高の三日間。人生で最も濃い三日間。絶対に忘れないよ。
全然見た目がタイプじゃなかったし、性格も苦手だと思ってた。食わず嫌いみたいなものかもしれない。もし、私に能力がなければ話すこともなかった。だから、初めて能力に感謝する。さびしいけれど、彼が奏でた音色は確かに私の心を揺さぶった。それは事実だった。私の今後の人生が変わるきっかけを与えてくれた。やり残したことがあって、不意打ちの死を迎えた彼は私という能力者に接することで、三日だけ、魂だけが生きていたのかもしれない。
その日の朝に死んだほうの体は発見された。警察が捜査した結果、子猫を助けるために森の崖から転落したらしいと後に知った。本当の彼の肉体は森の中にあったらしい。
後になって考えてみると――多分、その気持ちは恋だったのかもしれない。恋に時間なんて関係ないのだから。