「…こんにちは」
「あ、仄花ちゃん。こんにちは」
灯輝さんが、こちらを心配そうに見つめた。けれど、何も言わなかった。
「今日は、何を描いてるんですか?」
「今日も昨日の続き。でも、今日中に終わるかな」
よく観察していないと描けないような、どこまでも奥行きのあるこの絵は、ずっと見ていられた。
しばらく沈黙が続いたが、私はどうしても訊きたいことがあり、口を開いた。
「あの、灯輝さん。邪魔でなければ、少し訊きたいことがあって…」
「いいよ。何?」
「…この桜、知っていますか?」
私は、つい昨日撮った写真を見せる。灯輝さんは、作業している手を止め、写真に集中する。
「私、入学式の時に、この桜の名前を卒業生に教えてもらったんですけど…。どうしてもその名前が思い出せなくて、ずっと探しているんです。とても綺麗だったんですけど、満開の時に写真を撮ることを忘れていて。灯輝さんなら植物好きそうだし、わかるかもしれないって思って…」
灯輝さんはうーんと考えて、こう言った。
「さすがにこの一枚の写真からは、俺も植物博士なわけじゃないし、わからない。でも、成長の様子を見ればわかるかもだから、そのまま何日かに一回、写真を撮ってくれるといいな」
やった…!!と、心の中で私は飛び跳ねていた。ありがとうございます、必ず撮りますと言って頭を下げると、わかんない、もしだよ?もし、と、灯輝さんが保険をかけて言った。
「…元気そうでよかった」
そう言って、灯輝さんは微笑んだ。
「え、私がどうかしましたか?」
「ううん。なんか、今日ちょっと元気ないかなって思ったんだ。でも、笑ったから」
すると、カナのことが頭に浮かぶ。
「…ちょっと、クラスでほんの少しのトラブルがあっただけです。大丈夫」
「…本当に?」
ズキリと、急に心が痛んだ。本当かどうか言われると、断言できない。
「…はい。もう慣れてるので。お気になさらず」
せめて、この時だけはカナのことを考えてしまいたくなかった。と同時に、自分のことなのにはっきり言えない、醜い自分が情けなくなった。こんな時に、メガネをかけておいてよかったと思った。
「…俺が、どうにか言ってなんとかなることじゃないっていうのは、よくわかってる。けど、無理に励ますのも、俺は嫌いだから」
無理しないでね。すぐ相談してね。できることが少しでもあるなら言ってね。そんなありきたりな言葉だと思っていた。
「仄花ちゃんの、何かを追いかけるその気持ちがあるなら、俺は見守っているね」
けれど、灯輝さんは、私自身ががんばることに応援してくれた。
「見守る」という言葉の力強さを、思い知らされた。
その日、翼が生えたような、どこまでも羽ばたけるくらいの心強さの存在を知った。