瑞己くんは目をしばたたいた。
「夢、ですか」

 唐突な話だ。びっくりさせるのはわかっている。妄想だと思われてしまうかもしれない。
 でも、わたしは話を続けた。一度、口を開いてたら、もう最後まで打ち明けてしまいたかった。

「そう。運命の恋人たちの夢なの。途切れ途切れに見る夢なんだけど、つながった運命の物語だって、何となくわかる。それを文章で書き起こしたのが、わたしが唯一書き上げている小説で、わかば公演でやった舞台は、その一部をアレンジしたものなんだ」
「じゃあ、そよ先輩の見る夢では、明治時代の終わり頃の、両想いなのに死に別れてしまった二人みたいなストーリーが、ほかにもあるんですね?」
「うん。想い合っているのに結ばれないとか、早くに死に別れてしまうとか、そんな運命を背負った恋人たちが何度も生まれ変わって出会う夢。でも、生まれ変わっても、すれ違ってばかりで。そんな夢を、子供の頃から見てきたの」

 大叔母と友恵を除いては、ほかの誰にも、運命の恋人たちの夢を見ていると打ち明けたことはない。その夢をもとに小説を書いていると知っているのも、大叔母と友恵だけだ。
 登志也くんや真次郎くんを含む演劇部員には、この間の舞台の台本はわたしが書いた小説の一部からのアレンジだっていうところまでは教えてある。壮大な悲恋の夢を昔から見ているという話は、ちょっと言えない。

 それなのに、今ここで瑞己くんに全部打ち明けているのは、なぜ?
 自分でもわからないんだけど。
 でも、瑞己くんには話しておかなきゃいけない。何だか、そんな気がして。

 瑞己くんはまじめな表情で、少し首をかしげた。
「不思議な夢ですね」
「変な話でしょ? あまりにも非科学的だから、ガチガチに理系な登志也くんや真次郎くんには言えないんだ」
「登志くんは確かに、自分の目に見えるものしか信じないようなところがありますよね。でも、真くんは意外とロマンチストですよ。サンタクロースも小三の頃まで信じてたって言ってましたし」
「瑞己くんはどう? 確か、理系だよね。不思議なものって信じる?」

 友恵からの情報だ。瑞己くんはどの教科もよくできるけれど、二年に上がるときの文理の振り分けでは理系を選ぶつもりらしい。

「僕も理系科目のほうが好きですけど、だからと言って、不思議なことやものをまったく信じてないわけじゃないので。現代の科学では解き明かせない謎って、まだまだたくさんありますし」
「じゃあ、わたしがあの不思議な夢を見ることも、信じてくれる?」
「壊れものの予知夢のことも含めて、もちろん信じます。でも、ちょっと訊きたいんですけど」
「ん、何?」
「その運命の恋人の夢、そよ先輩が登場人物だったりしますか?」

 わたしはかぶりを振った。大叔母からも友恵からも訊かれた質問だ。

「ううん、わたし自身は出てこないよ。自分の前世かどうかも、全然ピンとこないんだよね。違うんじゃないかな、と思ってる。ただ、いちばん新しい時代の登場人物は、大叔母かもしれない」
「大おばっていうと、おばあさんの姉妹ですか?」
「うん、おばあちゃんの妹。ずっと独身で、自由に自立して生きた人。レディって感じでね、すごくカッコよくて、好きだったんだ。もう亡くなったんだけど。だからね、わたしが運命の恋人の生まれ変わりっていうのは、どうなんだろ?」
「大叔母さんと一緒に過ごした期間がありますもんね。生まれ変わりだったら、そこが重なることはなさそう」
「理屈で言えばね。まあ、こういう不思議な現象にどこまで理屈が通じるのかわからないけど」

 瑞己くんはまた首をかしげた。

「でも、そよ先輩が運命の恋の登場人物でないなら、なぜそんな夢を見るんでしょう?」
「身近な誰かに伝えるため、とか? 大叔母はその夢を見てなかったけど、わたしが夢の話をしたら心当たりがあったわけでしょ。同じように、ほかにもいるのかも。運命の恋人の片割れが」

 思いつきのままに言葉にしてみながら、もしかして、と頭にひらめいた。
 もしかして、この夢のことを伝えるべき相手というのは、瑞己くん?
 そうだとするならば、相手は誰? 
 瑞己くんが運命的な恋に落ちる相手って……?

「そよ先輩? どうしたんですか?」

 自分でも表情が引きつっているのがわかる。頬が強張っている。それをぎしぎしと、無理やり笑顔にする。

「瑞己くんなんじゃないかなって、何となく思って」
「え?」
「わたしが見る夢の続き。運命の恋の主人公って、瑞己くんなんじゃないかな」
「僕? どうしてですか?」

 だって、初めて顔を合わせたときから、なぜか懐かしいような感じがしたから。それは夢で見る人に似ているせいなんだって、今さらだけど、気がついた。
 特に似ているのは、夢の始まりで悲恋の涙を流す人だ。江戸時代のお医者さん。不治の病をわずらった彼女を、最期まで想い続けた人。
 笑った感じが似ているんだ。懐いた子犬みたいにパッと明るく笑うときも、痛いのを隠すみたいに笑うときも。

 でも、瑞己くんはちょっと困ったみたいに、首をかしげてあいまいに笑った。
「自分では、心当たりとか、全然ないんですけど」

 その笑い方にそっくりな表情も、わたし、夢で確かに見ている。
 でも。

「そうだね。あの夢と同じ運命に縛られてしまっちゃダメだ。悲しい結末の恋だって決まってるわけだから」

 急に瑞己くんが目を見張った。
「……あっ! だけど、もしかしたら……うん、そうか」
「えっ、何? どうかした?」
「もしも、もしもですよ。その夢が僕の運命なんだとしたら、結末はたぶん、そよ先輩が見ている夢のままじゃなくて、続きがあります」
「どういうこと?」

 瑞己くんは、ほう、と息をついて胸に手を当てた。まるで、ドキドキする鼓動をなだめようとするかのように。

「そよ先輩、近頃は予知夢も見てますよね? 壊れものの予知夢って呼んでいる、一連の夢」
「うん」
「予知夢を見るようになったのは春休みからって言ってましたよね?」
「そうだよ」

 瑞己くんは指を折って確かめた。
「最初はバザーのジェラート。次が図書館の閲覧室でペンが壊れたこと。それから、新学期が始まってすぐの放課後、台本を運んでいたときに段ボールの底が抜けたこと」
「うん。その次が公演の打ち上げで、ペットボトルを受け取れなかったこと。次が傘で、あとは、この間のカップ。最後のカップのときは、割っちゃうより先に夢のことを思い出したんだ。不吉な予知夢がだんだんハッキリしてくるみたいで、ちょっと怖いんだけど」

 瑞己くんが深呼吸をした。
「やっぱりそうだ。一連の夢に共通項があるんです。そよ先輩、気づいてますか?」
「共通項?」
「そよ先輩の予知夢は、壊れることの予知じゃないと思います。僕の思う法則が合っているなら、運命の恋人たちの夢も……」

 瑞己くんは、そこでハッと言葉をのみ込んだ。
 廊下のほうから声が聞こえてきたんだ。

「あ、来ちゃうね」
 友恵と登志也くんの声だ。二人とも、舞台から下りても地声が大きいんだから。

 瑞己くんは、あわててわたしのそばから立ち上がって離れた。
 と同時に、友恵が勢いよく引き戸を開けた。

「そよちゃん、お疲れー! って、あれ? 相馬もいたんだ」

 瑞己くんは、はたから見てもわかるくらい硬い動きになって、こくこくとうなずいた。やっぱりまだ女子が苦手なんだ。
 でも、友恵は気にする様子もなく、ずんずん近づいてきて、わたしのそばの机にリュックを置いて椅子に腰掛けた。

「相馬は、そよちゃんに用事? 次の公演の準備ももうすぐ始めないといけないからさ、相馬も手伝ってよ。放課後、遅くなる日も出てくると思うから、親御さんにもちゃんと伝えといてね」

 きびきびと指示を出す友恵は、一年生じゃないみたいだ。瑞己くんは声こそ出せずにいるけれど、ちゃんとこくこくしている。
 きっと、教室でもこんな感じなんだろう。瑞己くんからのリアクションが微妙なものでも、友恵は割り切って平然と話しかけている。
 今はこんな一方通行みたいなやり取りだけれど、繰り返していくうちに、瑞己くんも慣れていくはずだ。わたしと話すときみたいに自然に笑いながら、友恵やほかの女子とも話せるようになるはず。

 ……ほんの少し、胸がチクッとした。瑞己くんを独占できなくなる。それはおもしろくないな、と感じてしまったんだ。
 何て身勝手なんだろう、わたし。
 瑞己くんは、人前でおどおどしてしまうのを克服したいと考えているのに。

 登志也くんがニヤリとして瑞己くんに言った。
「瑞己、悩みは晴れたか? 今週、ずっと悶々としてただろ」
「や、別に」
「そよ、気をつけとけよ。こいつは子犬みたいに見えるだろうが、十五歳の健康な男子が、ただのかわいい子犬のわけがないんだからな」
「登志くん! 何言ってるんだよ!」

 頬を赤くした瑞己くんはよほどあわてたみたいで、声が裏返ってしまった。口を押さえて、ますます赤くなる。
 そんな瑞己くんと、何を言ってフォローすればいいのかわからないわたしを、登志也くんは交互に見やってニヤニヤしていた。
 胸がドキドキしている。

「そよも、まんざらでもなさそうだな。ま、そりゃそうだ。瑞己は、俺と真次郎が認める有望株だぜ。登志也兄ちゃんとしては、瑞己に気があるやつは、まず俺を倒して交換日記から始めてもらいたいところだが、そよならフリーパスでもいいな」
「な、何それ? ちょっと、登志也くん、変な言い方しないでよ。瑞己くんも困ってるでしょ!」
「照れるな照れるな。でも、高校卒業までは、ちゅーだけで留めとけよ」
「いい加減にして!」

 わたしはどうしようもなくなって、登志也くんの背中を平手で叩いた。バチン、と、けっこういい音がした。

***