僕たちは、二年生に進級した。
 今は五月で、初夏の風がとても心地よい日々だ。
 僕はふと朝早く目が覚めて外に出ることがたまにある。
 そして未だ夜の抜けない空を見上げるのだ。
 夕焼けもだけど、朝焼けも悪くないなと、最近そう思う。
 あの後、グループワークがどうなったか。
 結論から言うと、文化会館でしっかり発表させてもらった。
 発表のクラス代表が僕たちに回ってきたのには驚いたし、真面目に資料を調べた他の班ではなく、ほとんど和歌子から昔のことを聞いていただけの僕らが選ばれたのは、なんだか申し訳なかった。
 だけど、稲田先生によると僕たちを選んだ理由は、
「きちんと土を踏んで調査した感じが出ていたから」とのこと。
 まあ確かに、あの時は散々走り回っていたが。
 それでもクラス代表として、きちんと発表させてもらった。分霊と実体を使い分けて、僕たち以上に気軽に色々な場所に行けるようになった和歌子も、特等席からこっそり見ていたっけ。
 早起きで家を出て、ぼんやりと散歩していると、あっという間にスマホのアラームが鳴る。登校時間になったのだ。僕はゆったりとした足取りで学校に向かう。
 僕の進路のことについて。
 人助けの側面が強い仕事がしたいと、最近思うようになった。
 希望する大学は去年と変わらないけど、あの夏を経て一年の間に、僕の動機にはたしかに変化があった。
 それから、部活について。
 僕はいま、ボランティア部の部長をやっている。
 あの後、僕は勢いで、ボランティア部、その名も『幸運集めのフォークローバー』を設立したのだ。
 部といっても活動歴もないし、メンバーは僕たちしかいないし、まだまだ同好会扱いである。
 部のモデルとなったのは、もちろんシラコーの漫画。
『幸運集めのフォークローバー』は、ボランティア部の隠れ蓑をかぶった、その実は和歌子と力を合わせて不幸な誰かの人助けをする部活だ。
 学校ではメンバーの僕たちだけがその裏の顔を知っていた。



 いつものように終業のチャイムが鳴り、稲田先生のホームルームも終わって。
 放課後、教室前の廊下を孝慈と歩いていた。
 ボランティア部の副部長である松野は、ひとあし先に部室に向かったようだ。
 そのことに気づいて、孝慈は苦笑していた。
 孝慈は現在、バスケ部とこの『幸運集めのフォークローバー』とを掛け持ちしている。
 孝慈がボランティア部のほうで活動できる日はほとんど無いけど、バスケをする間の彼はほんとうに生き生きとしているから、その姿に不満など一ミリも感じない。
 ふたりで部室へと向かう途中、廊下で通りがかった相坂さんが手を振ってきた。
 孝慈と相坂さんについて、大ニュース。
 ふたりは最近、付き合うことになった。
 アプローチをしたのは、相坂さんのほうからで、孝慈とのコンビは、すっかり二年生の間でお馴染みとなっていた。
 相坂さんが自分の部活に向かったのを見届けて、僕は再び孝慈と話す。
 話題は松野のことになった。
「あいつ、部室の中がいちばん落ち着くんだってさ」
 孝慈は呆れたように言う。
「しかも松野のやつ、部室の本棚の奥に漫画まで仕込んでやがる」
 僕はそれを聞いて驚く。
「漫画って、あの真面目な瑞夏――コホン、松野が?」
 名前呼びするようになったのを未だにからかってくるような孝慈だから、ついつい身構えてしまう僕なのであった。
「俺、見つけた時、冗談のつもりでさ、
『副部長がこんなもん持ち込んじゃいけないんだー、せんせーにいってやろー』
って言ったんだけど、
『漫画はこの作品だけだから見逃して』
ってやけに本気で懇願されて。あー、あれはなんだったんだろうなー」
「…………! 孝慈、その漫画ってもしかして」
「――『幸運集めます!白百々高校凸凹カルテット』。
 なんか、スゲー人気が出た漫画の続編なんだってさ。俺も読んでみようかな」
 孝慈はわざとらしい口調で言い終えると、ニヤリと笑った。
 それを聞いて、僕は口角が上がるのを抑えきれなかった。
「――僕も今度、松野――ううん、今日はもう、からかわれてもいいや。
瑞夏に読ませてもらおうかな。
前作の計十六巻と、連載中の『幸運集め』合わせて、しめて二十一冊ぶん」
「俺も俺も。ようやくアニメ化も決まったし、この機会に一気読みしてーな」
 それから孝慈は話題を変える。
「もうひとつ思い出したんだが、
『ボランティア部には可愛い座敷わらしがいる』
って、下級生の間で噂になってるほどらしいぜ」
「その噂って、和歌子ちゃんのことだよね……誰かにバレちゃったの?」
 懸念する僕を見て、孝慈はおかしそうに吹き出した。
「違う違う」
「え?」
「ボランティア部の部室にはいつも座敷わらしみたいな可愛らしい先輩がいるとかで、松野は一年女子の後輩達の間で密かな人気だ」
「――そうか、そうだったんだね」
 過去と向き合い、解釈した彼女。
 松野はあの後、自分のほんとうにしたいことを彼女の中できちんと整理して、児童心理学を学べる大学へと進むことを決めた。
 もう、貼られたシールのことで悩んだりはしないだろう。
 僕たちは途中の廊下で、和歌子と合流する。
「こんにちは」
「お、噂をすれば本物の座敷わらし」
「何の話ですか?」
「なんでもねぇよっ」
「あ~、さてはまた、この前の依頼のこと引き合いに出して、わたしのことポンコツ座敷わらしとか何とかって言ってからかってましたね!
だから、今のわたし、座敷わらしじゃなくて、守り神だって、いつも言ってるじゃないですかー! いったい何回目ですかこのやり取り~!!」
 僕は思わず声を出して笑った。
「ほんとうに、今日も良いサイレンだね」
「は? 何だそれ」
「何でもないさ。ああ、なんだかすごく背筋が伸びるし、空気が美味しく感じるよ」
「……俺はときどきお前がわからん」
 僕たちは和歌子と並んで話す。今日の話題は不思議と松野のことが多かった。
「ほんとうに良かったですね。瑞夏さん、すごく生き生きしてて」
 孝慈がうなずく。
「和歌子も無事だったのは、本当に良かったよな。フォークローバーが誰ひとりとして欠けなくて。鈴夏も、きっとどこかで拍手してくれてるはずだ」
 和歌子は神様として、学校に縛られない存在となった。とはいえ、歌高の座敷わらし兼守り神として、今でもこうして僕たちと毎日を過ごしている。
 やがて三階の渡り廊下の先、目的地であるクリーム色のドアの正面に到着する。
 松野が描いたボランティア部のロゴと幸運のクローバーのイラストが、プレートとしてドアにかかっている。
 校舎の端っこにあるこの小さな部屋が、僕たちの部室だ。
「お先にどうぞぉ、部長ッ!」
「今日も一番にお出迎えされちゃってください!」
「もう……結局そうやって、からかうんだから。和歌子ちゃんまで」
 僕はいつものように二回ノックしてから、ドアを開ける。
 その中から出てきたのは、ひとすじのやわらかな光。
 和歌子の幸運のちからと一瞬の共鳴を見せ、ドアの隙間からあふれだした光は、部室の主である松野の幸せな気持ちそのものだった。
「…………結人くん」
 彼女は、椅子に座っていつものように本を読んでいる最中だったが、僕に気づくと本を閉じ、こちらに微笑みかける。
「――ようこそ、『幸運集めのフォークローバー』へ」

 そう言って立ち上がった松野瑞夏の晴れやかな笑顔が、オレンジ色のひかりとともに僕を出迎えた。






(Fin)