「ほら、橋場くん、この前、もう一人のヒロインがクライマックスで言ったセリフに、隠された意味があるかどうかって考えてたよね。でも、私が初めに読んだ単行本の方だと、彼女はラストの少し前に退場しちゃうの。だから、そんなシーンなんて知らなくて、ポカンとしちゃったんだ。――で、改めて私の意見だけど、文庫版の彼女は、自分が居なくなることをわかった上であのセリフを言ったんだと思う。私がそう思ったのは、四章の――」
 僕は、あの時、名シーンを覚えてない結夏に思わず落胆してしまったことを再び後悔した。本当は彼女は、こんなにも丁寧に読んでいたじゃないか……。
 「もしかしてと思って、文庫の方も買って読み直したんだ。二冊同じ本を比べながらだったからいつもより時間かかっちゃったんだよね。っつぅー、筋肉痛かな」
 彼女は右手の力を抜いて腕先をぷるぷると振った。
 僕は彼女の指先の違和感に気づく。指先には、ペンだこができていた。それは、たぶん昨日までなかったものだ。
 「水野さん、もしかしてだけど……君は普段から小説を読みながら、思ったことや気になった文章を、こまめにノートに書きながら読んでる?」
 「う、うん……そうだけど」
 僕は雷に打たれたような気分だった。
 「……もしかしてドン引きした?」
 なぜか心配そうに言う彼女に、僕は手をぶんぶんと横に振った。
 「引くだなんて、とんでもないよ」
 僕は、今まで自分の目を通して知った気になっていた彼女のことを、まだ見誤っていたのかもしれない。そして、結夏の本に対するそうした態度を見て、僕は畏敬の念をおぼえていた。
 彼女の本への向き合い方は想像をはるかに超えていた。
 彼女はテレビで紹介された本が気になってすぐに買いに行って、その本のために図書委員になりたいとまで言った。だけど、決してミーハーだったり、ただの思いつきを口に出したりしてたわけじゃない。
 結夏は、好きなものには、とことん丁寧に向き合っていた。彼女は楽しむための物語ひとつ取ってみても、「読破」しようとしている。
 「……僕、水野さんのこと誤解してたかもしれない」
 どこか偽物のように感じていた世界が彩られていくような、ひと言では言い表せない不思議な気持ちになった。
 そして僕は柄にもなく、こんなことを言っていた。
 「君の本は、僕が責任をもって選ばせてもらうよ」