次の日の朝、僕は教室で水野結夏に会った。同じクラスなのだから、会うのは当たり前のことなのに、なんだか少しだけ特別な気がした。
「おはよう」
僕が声をかけると、彼女はびっくりしたように目を丸くした。
「あっ、おはよう!」
笑顔になった結夏は、近くで女子たちと話していたのに、すぐにその輪から抜けて僕のもとへやってきた。僕はつい、その光景に違和感をおぼえる。あんなに明るい彼女が、クラスの中でも一際目立っていた彼女が、こんなふうに僕のほうへまっすぐ向かってくるなんて。
でも、まわりの子たちは特に気にしていない様子だった。意外と、僕が思っているほど、他人は気にしていないのかもしれない。
「……どうかした? 私の顔に何かついてる?」
「いや、別に。ただ、意外と早く来てるんだなって」
「意外とってなにそれ。あ、そうだ、橋場くんってこの辺に住んでるの?」
「うーん、君が思ってるより遠いかも」
僕が地名を答えると、結夏はぱっと顔を上げた。
「それって、神社の近くに池があるとこ? ほら、大崎くんちの神社がある」
「大崎くん?」
「うん。同じクラスの、神社の神主の子」
「ああ、話したことはないけど、彼のことか。たしかに神社の正面に池もあるけど……知ってるの?」
「ううん、ちょっと気になっただけ。なんでもないよ」
言いながら、彼女は話題を変えるように、ぱっと笑顔を見せた。
「ねぇねぇ、昨日話した『クローバーと君がくれた夏』のこと、語り合おうよ!」
「別にいいけど……そんなに楽しいかな?」
「楽しいに決まってるじゃん! 本の感想を共有できる相手なんて、なかなかいないんだよ?」
「なるほど……でも僕は、あんまりそういうの興味ないな。本を読むのって、自分と作者だけの会話っていうか。誰かと答え合わせするものじゃないって思ってるから」
「そっかー。ひねくれてるなあ、君って」
「余計なお世話だよ。でも、聞きたいことはあったんだ」
「えっ、なにそれ、急に乗り気じゃん。もしかして、ちょっとは心を開いてくれた?」
彼女の茶化しには乗らず、僕はあの小説のラストに出てきたセリフの話をした。
「あのラストシーンで、この本のもう一人のヒロイン、とでも呼べばいいのかな。彼女が言ったセリフの真意が気になっててさ。水野さんはどう思う」
だけど、彼女の反応は思っていたのとは違っていた。
「……え、そんなセリフ……あったっけ?」
まさか、という気持ちだった。だから、つい口がすべってしまった。
「……ほんとに読んだの? あんなに好きだって言ってたのに、そんな読み方でよく言えるね」
「え、ちょっと……なにそれ……」
思わず言ってしまったあとで、すぐに後悔した。
「……ごめん、今のは言いすぎた」
「ううん、平気だよ。じっさいその通りだし」
彼女が少ししょんぼりした顔を見せた瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
本をたくさん読んでいても、結局こんなふうに人を傷つける言葉を平気で口にしてしまう。
――僕は、読んできた物語を、ちゃんと自分の中に生かせていないのかもしれない。
「私って本当に、思いついたことをすぐに口にするタイプだよね? よく言われるんだ、脳を通さずにしゃべってるって」
そう言って、結夏は笑った。
「あ、そうだ。私ね、今年の夏休み、どこか遠くに行くのが夢なんだ」
「へ、へぇ? ……なんというか、夢なら頑張って」
「うん。ありがとう!」
本当に、話題がころころ変わる子だなと思った。だけど、「夢」って言葉の使い方が少し気にかかった。
話題を変えようと思って、僕は教室を見渡した。
「……ところで、君の席ってどこだっけ?」
「ここ!」
彼女が指差した席を見て、僕は思わず目を丸くした。
「えっ、僕のすぐ隣じゃないか……」
「そうだよ? でも、君が全然こっち見ないから気づかれなかったのかもね。もっと周りを見ようよ」
「うーん……そうなのかな……」
隣の席の彼女に、昨日までまったく気づかなかった。これはいくらなんでも鈍すぎる。だけど、これからは違う――そう思えた。
授業の連絡を聞いたり、ちょっとしたことを話せる相手がいる。それだけで、学校生活は少しだけ、にぎやかになった。
その代わりに、僕のまわりは、やけに騒がしくなったけれど。
「おはよう」
僕が声をかけると、彼女はびっくりしたように目を丸くした。
「あっ、おはよう!」
笑顔になった結夏は、近くで女子たちと話していたのに、すぐにその輪から抜けて僕のもとへやってきた。僕はつい、その光景に違和感をおぼえる。あんなに明るい彼女が、クラスの中でも一際目立っていた彼女が、こんなふうに僕のほうへまっすぐ向かってくるなんて。
でも、まわりの子たちは特に気にしていない様子だった。意外と、僕が思っているほど、他人は気にしていないのかもしれない。
「……どうかした? 私の顔に何かついてる?」
「いや、別に。ただ、意外と早く来てるんだなって」
「意外とってなにそれ。あ、そうだ、橋場くんってこの辺に住んでるの?」
「うーん、君が思ってるより遠いかも」
僕が地名を答えると、結夏はぱっと顔を上げた。
「それって、神社の近くに池があるとこ? ほら、大崎くんちの神社がある」
「大崎くん?」
「うん。同じクラスの、神社の神主の子」
「ああ、話したことはないけど、彼のことか。たしかに神社の正面に池もあるけど……知ってるの?」
「ううん、ちょっと気になっただけ。なんでもないよ」
言いながら、彼女は話題を変えるように、ぱっと笑顔を見せた。
「ねぇねぇ、昨日話した『クローバーと君がくれた夏』のこと、語り合おうよ!」
「別にいいけど……そんなに楽しいかな?」
「楽しいに決まってるじゃん! 本の感想を共有できる相手なんて、なかなかいないんだよ?」
「なるほど……でも僕は、あんまりそういうの興味ないな。本を読むのって、自分と作者だけの会話っていうか。誰かと答え合わせするものじゃないって思ってるから」
「そっかー。ひねくれてるなあ、君って」
「余計なお世話だよ。でも、聞きたいことはあったんだ」
「えっ、なにそれ、急に乗り気じゃん。もしかして、ちょっとは心を開いてくれた?」
彼女の茶化しには乗らず、僕はあの小説のラストに出てきたセリフの話をした。
「あのラストシーンで、この本のもう一人のヒロイン、とでも呼べばいいのかな。彼女が言ったセリフの真意が気になっててさ。水野さんはどう思う」
だけど、彼女の反応は思っていたのとは違っていた。
「……え、そんなセリフ……あったっけ?」
まさか、という気持ちだった。だから、つい口がすべってしまった。
「……ほんとに読んだの? あんなに好きだって言ってたのに、そんな読み方でよく言えるね」
「え、ちょっと……なにそれ……」
思わず言ってしまったあとで、すぐに後悔した。
「……ごめん、今のは言いすぎた」
「ううん、平気だよ。じっさいその通りだし」
彼女が少ししょんぼりした顔を見せた瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
本をたくさん読んでいても、結局こんなふうに人を傷つける言葉を平気で口にしてしまう。
――僕は、読んできた物語を、ちゃんと自分の中に生かせていないのかもしれない。
「私って本当に、思いついたことをすぐに口にするタイプだよね? よく言われるんだ、脳を通さずにしゃべってるって」
そう言って、結夏は笑った。
「あ、そうだ。私ね、今年の夏休み、どこか遠くに行くのが夢なんだ」
「へ、へぇ? ……なんというか、夢なら頑張って」
「うん。ありがとう!」
本当に、話題がころころ変わる子だなと思った。だけど、「夢」って言葉の使い方が少し気にかかった。
話題を変えようと思って、僕は教室を見渡した。
「……ところで、君の席ってどこだっけ?」
「ここ!」
彼女が指差した席を見て、僕は思わず目を丸くした。
「えっ、僕のすぐ隣じゃないか……」
「そうだよ? でも、君が全然こっち見ないから気づかれなかったのかもね。もっと周りを見ようよ」
「うーん……そうなのかな……」
隣の席の彼女に、昨日までまったく気づかなかった。これはいくらなんでも鈍すぎる。だけど、これからは違う――そう思えた。
授業の連絡を聞いたり、ちょっとしたことを話せる相手がいる。それだけで、学校生活は少しだけ、にぎやかになった。
その代わりに、僕のまわりは、やけに騒がしくなったけれど。


