「俺、なんの捻りもない恋愛小説を書きたくなった。」
 突然だった。
 昴君が、小説を書きたいと言い始めたのだ。
 晩御飯を食べている時だった。私は白ご飯を口に運ぶ手を止めて、昴君の方を見た。
 「昴君、書きたくなったの………?」
 「ああ、あの見習い魔女の話を読んでたら、書く気力が戻ってきたよ。」
 昴君は謎の圧迫感やプレッシャーから解放されたみたいだった。私は、昴君の回復を実感してきて、私の方がはしゃいでしまう。
 「昴君…っ!おめでとう!」
 「ありがと。夏海のお陰だよ。あの本を読んでたら、簡単でもいいから、誰かに伝えようとするのが大事だなって。」
 昴君自身や木山院長が言ってたように、外部からの要因ではなく、昴君自身のスランプだったのかもしれない。昴君を仕事で支えてくれていた周囲の人々を疑ってしまって、私は申し訳なくなった。
 「…で。恋愛小説を書くために、山の頂上にある天文台へ行きたいんだ。夏海も一緒にきて欲しい。」
 「天文台…?わかった!行こっ。」
 昴君が書きたい小説の舞台が天文台なのかな?ネットのページにあった通りに、昴君は前もって行動している事がよくわかった。
 「…また、デート行けるな。俺の体力戻ってればいいけど。」
 「そうだね。デート楽しみ。」
 元気を取り戻した昴君と、またデートが出来る。私は惚気てしまう。
 「早速、次の日曜日に行こうか。思い立ったら行動は早い方がインスピレーションが捕まえられるから。」
 キチンと仕事の順序だてをする昴君は職人だ。私は昴君の小説復帰を全力でサポートするだけだ。
 「わかった、昴君に私は着いてくからね。」
 でも、山の頂上ってことは、山登りになる…?
 「昴君悪いけど、山登りの服装を、実家に取りにいきたいの…。」
 「そっか。ご両親への挨拶を兼ねて、夏海の実家に行こうか。」
 それって………、昴君も結婚前提にしてるってこと!?
 昴君の発言を、私は頭の中で何度も繰り返した。

 土曜日、私と昴君は、宇佐美家へと着いた。
 朝の八時なら、既に家族は朝御飯を済ませている。
 玄関のチャイムを鳴らすと、母が出てきてくれた。
 「あら、夏海ちゃん。何か忘れ物?」
 「おはようお母さん。アウトドア用の服装を取りに来たの。」
 私の背後から、昴君が現れる。
 「おはようございます、お世話になっております。夏海さんの彼氏の瀬戸昴です。」
 「あら、まあ!これは、こちらこそありがとうございます…。」
 母の想像していたよりも千倍は格好いい男性が、母の目の前に居るのだから。それは緊張もするし態度がアイドルに遭遇した女子高校生みたいになる訳だよ。
 「夏海ちゃん、好い人捕まえてるじゃない~。すみに置けないわね!」
 母は、昴君が義理の息子になることを考えてウキウキしてるのだろう。上機嫌で私達を家の中に案内してくれた。
 私と昴君は、二階の私の部屋へと上がってゆく。
 「よかった!あったー!」
 アウトドアの服装は、わりと簡単に箪笥から見つかって安心した。
 見つかった私のアウトドア服を、リュックに詰めて昴君が持ってくれた。
 「よし、これで準備は万全かな。」
 これで天文台へ行く準備は整った。
 私の彼氏が来たと知った秋羅ちゃんが、冷やかしに来た。意地の悪い笑顔を浮かべて寄ってきた秋羅ちゃんの顔が、昴君をみた瞬間に真顔になった。
 昴君は気づいていないけども、秋羅ちゃんは確かに表情が冷ややかになっている。
 「…アンタが姉ちゃんの彼氏さんなんだ…。ふーん。」
 それだけ言って、秋羅ちゃんは私の腕を引っ張って、秋羅ちゃんの部屋へと引きずってきた。秋羅ちゃんは扉の鍵を閉めて、昴君から私を引き離す。
 「…姉ちゃん…、アイツが信用できるヤツかどうか、ちゃんと自分で判断しなよ。」「それだけ。」
 いつになく、秋羅ちゃんは真剣な面持ちだった。いつも喧嘩腰みたいな圧はあるんだけど、今のは、忠告をしたからね。みたいなニュアンスがあった。
 「さ、早く行け。」と、秋羅ちゃんはぶっきらぼうに、私を部屋から追い出した。
 階段の下では昴君が待ってくれていた。私は急いで昴君の元に帰った。

 約束の日、天文台へ行く日の日曜日になった。
 車は既に高い山道を走って行く。運転する昴君の隣、助手席に私は座って、天文台が載っている旅本読んでいた。
 「天文台、結構人気の観光スポットなんだね~。あ、月と雲のアイス、美味しそう…!」
 山道を走る車がカタカタ揺れるなかでも、私は旅本を夢中で眺めている。
 「お、意外と楽しめそうな要素があるんだね。」
 車を運転しながら、私の楽しそうな声に反応して昴君は上機嫌になる。
 私達が話している間にも車は進み、車は駐車場にやってきた。
 「ここに車は停めておいて、この先は歩くからね。」
 「うん!準備はオッケーだよ!」
 昨日家から取ってきたアウトドア用服に着替え済みの私は、昴君にゴーサインを送る。
 昴君は進行方向を指差して進む、私は彼に続いて山道を歩く。
 山道の両脇には木々が生い茂っていて、いかにも五月といった瑞々しい新緑が眩しい。
 天文台がある山にも関わらず、蜜柑の木が幾つも植えられていた。蜜柑の木は丁度五月に、可愛らしい小さな白い花を咲かせていた。皐月晴れの青空の下、風に揺られて蜜柑の花の香りが漂ってくる。思いっきり息を吸い込むと、山の緑の馨りも合わさって、肺の奥まで清々しい空気を吸えた。
 昴君と私は、順調に山道を歩く。鳥達の声を聞いて、山風を浴びて、ゆっくりと。
 途端に山道が拓けて眩しかった。山頂に着いたみたいだ。見上げると、丸いドーム状の天文台がある。その隣にレストランが見えた。
 時計を見ると、午後の一時を少し過ぎていた。
 「目当ては夜の星空を観測することだから、それまではレストランでゆっくりと待とうか。」
 手で扇ぎながら昴君は顔を冷やしている。よく見ると、うっすらと額が汗ばんでいた。皐月晴れも快晴のあまりに、夏かと思える暑さだったのだから。
 「山登りお疲れ様でした。レストランで休もっか。」
 私は日陰に早く行きたくて、レストランの扉を直ぐ様開ける。ゴールデンウィークも過ぎていたので、レストランは程よく空いていた。
 窓際の見晴らしが素敵な座席に座る。平野が一望できて、今暮らしているマンションがある街の方までも、小さいけれど見える。ゴールデンウィークに乗った観覧車も、子供が喜ぶ玩具みたいにカラフルに見えていた。
 「んー。とりあえず、炒飯二つ頼むよ。」
 「月と雲のアイスは後で頼もっか。」
 メニュー表とにらめっこしながら、昴君は食べたいメニューを注文する。然り気無く、車で話したアイスの事も覚えていてくれていた。
 山登り後の炒飯は美味しかった。絵画みたいな県下の景色を眺めながら食べる炒飯は、この地域の味だと思えた。
 お昼ご飯は食べ終わり、月と雲のアイスが来た。月は小さなゴーフレットで、雲は綿飴、アイスは濃いめのブルーベリーアイス。アイスの上に銀のアラザンが散りばめられていて、星星の煌めきを放っていた。
 「食べるの勿体無いね。」
 私はスマートフォンで、昴君ごとアイスを撮る。格好いい昴君とファンシーなアイスが同じ画面にあるのが、なんだか楽しい。私は思わずクスクス笑ってしまう。
 「なにがそんなに面白いんだか。」
 笑う私を見ている昴君は幸せそうな顔してる。
 二人の座席に新鮮な風が漂う。
 「夏海、俺の決意を聞いて。」
 昴君は、姿勢を正して真面目にしている。
 私は静かに頷いた。そして微笑んだ。
 私の顔を見て、昴君の緊張が解れる。
 「夏海。俺は今までフィクションらしいフィクションとかアニメらしいエンターテイメント作品とかを作り続けてきた。勿論、それらの作品は、どれも俺にとって掛け替えのない宝物なんだ。」
 「でも、若い時から本をひたすらに作ってきた。そしたら、俺自身のリアルな感覚を…残したことがなかった。」
 「なんだろね。作家になろうと思ったときに、俺自身の柔らかな感覚の作品も遺しておきたいと思ってた気がしたんだ。夏海から渡された本を読んだときに、嗚呼、こんなシンプルで、たとえありふれていようとも、書きたい事を書けばいいんだと思えたんだ。」
 すなわち、そのーーー………。昴君の頬が赤らんだ。
 「夏海とした恋愛を、俺なりに、俺の言葉で、書き遺したいんだ。」
 昴君は何処までも、真っ直ぐに透き通っていたのだった。心を黒々とさせるような、濁りなんて彼には不要だと思えた。
 「だから夏海、俺と星空を見よ。」
 「夏海にとっての出発点があの見習い魔女の話なら、俺にとっての出発点は星空なんだ。」
 「俺の出発点である星空を、夏海にも見せたい。」
 ペンネームの煌の字は、星の煌めきが由来なんだ。昴君はそう添えた。
 「星に魅せられて小説を書いてる昴君。素敵。」
 昴君の本心の決意を聞き届けて、気持ちが受かれてしまった私は、唇からポツリと漏れた。
 昴君の耳が赤くなる。
 「………。」
 照れながらも、昴君はアイスを食べていた。

 辺りも暗くなり、日が沈んで、天文台は夜の部へと入る。暗くなるにつれて、天に小さく穴を空けたみたいに、星の細やかな光が夜空に輝く。
 私達は天文台の中へと入る。中には巨大な望遠鏡が鎮座していた。望遠鏡は遥かな天を見据えている。
 天文台の職員の方に案内されて、手順を守って、私と昴君は望遠鏡を覗き込んだ。
 無数に散らばる大小様々な星星が見える。紅く光る星もある。そして、月はやっぱり大きく存在感がある。
 「夏海、南の空を眺めてご覧?」
 昴君に言われた通りに、私は南の空を見る。
 南の空には、一際光を放つ星座があった。
 「あの、明るいのを繋げたら、獅子座になるんだ。面白いだろう?」
 どの星もダイヤのネックレスみたいだった。きっと天の女神が着けているのだろう。
 「星座にはね、各々に昔の人が神話を作っていてね。こうして天をみれば、お話を思い浮かべるなんて、ロマンチックだよね。」
 「遥か、遠い遠い光年にまで届く物語を遺したいと、人は想って遺してるんだよ。」
 『それって、素敵だよね。』
 二人の声が、感想が合わさった。
 昴君に惹かれたのは、浪漫なんだ。ロマンチスト同士が惹かれあったのだ。
 二人でお互いの顔を見合わせる。
 「これが、俺が小説家になろうと志したきっかけ。」
 「それを思い出させてくれて、本当にありがとう。」「夏海。」
 私と昴君は、お互いの夢の出発点を分かち合った。こんなことを語れる相手が居るなんて。
 私には、もう、昴君しか考えられなかった。

 天文台の外に出ると、外は真っ暗だった。暗闇の中に浮かび上がるレストランの灯り。
 空を見上げると、今度ははっきりと無数に星星が見える。私は目の前に広がる光景に歓喜した。
 天上に何処までも広がる漆黒の空には、鮮やかな色彩を放つ星星が散らばっている。星の光が地上まで降り注ぎ、私と昴君は感嘆する。
 星の光は、気の遠くなるような時間をかけて、地上に届くという。この星星の光は、いったい何光年かけて、地上に届いているのだろう。
 もしかしたら、今見ている星の光は既に滅びてしまっている星の光かもしれない。なんて、そんな哀愁漂う話もあったりするけれども。
 世界に溢れる不思議、神秘に、私は心を射たれる。
 星のように永く人々と寄り添いたい、今生きてる人々を暖かく見守りたい。そう願う太古の人の気持ちには共感する。
 「俺も夏海も今生きてて、地上で生きて星星のように光輝いているんだよ。」
 「そうだね。」
 昴君も私も、今を精一杯生きてる皆も、地球上で燦然と輝く星星なのだ。
 人にしか遺せない思いを、汲む人を。
 昴君を大切にしてゆく。私はそういう風に生きて輝きたい。

 天文台からマンションへ深夜に帰ってきたので、マンションに着いた時には既に月曜日になっていた。
 私は今日は有給休暇をとっているので、マンションに着くなり昴君と共にベッドの布団に雪崩れ込み、山道を歩き疲れた身体を投げ出した。布団に寝っ転がると、じんわりと身体が回復してゆく感覚が心地好い。二人でぐっすりと眠りについた。
 月曜日の今日は図書館へ行くつもりだ。マンションがある市の隣の市に、新しめの図書館が出来ているのでそこで昴君は執筆作業をしたいらしい。
 寝ぼけ眼で起きた私達は、マイペースに朝食を済ませて、図書館へ行く準備をする。
 緑色のプラスチック籠から昴君はスケジュール帳を取り出す。作業机の筆立てからボールペンを取り、スケジュール帳にメモを書き始めた。三月以降はほぼ空白だったスケジュール帳のスケジュール欄に、次々と予定が埋められてゆく。
 昴君は物語を書く気力を少しずつ取り戻したようだった。埋められたスケジュールを見つめる昴君の目には気力が宿っている。
 「…これで、執筆スケジュールは立てられたかな?」
 昴君の声にも張りがある。私の目の前に居るのは、キビキビとした動きの仕事が出来る男である。この姿が従来の昴君の姿なのだろう。
 髪も念入りに櫛をいれて、寝癖をワックスで整える。初めて昴君を見た診察時にはボサボサのウルフヘアだったのが、綺麗に整えられていた。服装も仕事着といった風貌になっている。
 図書館なので油断していたけれども、私もちゃんと服を整えて出掛ける用意をする。
 部屋を出て駐車場へと降りて行く。
 二人で車に乗り込むと、直ぐにエンジンをかけて出発する。朝の街の道路には通勤の車が沢山走っていた。
 朝だけれども少し暑い。車の窓が開く。
 「今日は夕方まで図書館に居たいんだけど、いいかな。」
 「勿論!そのつもりだからいいよ。」
 「ありがと。調べたいこともあるし、他の恋愛小説も読んでおきたいから。」
 車を颯爽と運転しながら、昴君は図書館での計画を練っている。
 そうだった。昴君は初めて、恋愛小説を書くのだった。ライトノベルのラブコメは何度も書いたことがあるみたいだけれども、アニメ寄りのフィクションらしいフィクション作風だから、今回書く恋愛小説とは作風が違ってるのかも。
 車は街を抜けて、隣の市にはいる。海辺の方へと車を走らせると、古い町並みの商店街に出た。商店街から駅へ向かうと図書館があった。
 最近建ったとは聞いていたけれども、確かに建物が近未来っぽくて灰色で大きい。
 駐車場に車を停めて、入り口に行く。自動扉が開いて中へと入ると、天上が遥か上にあって高かった。館内は広々として静かだった。
 館内には図書館の他に多目的室や、舞台や音楽会も出来るホールもあった。文化の総合施設になっていた。
 昴君は目的にしていた図書館へと向かう。図書館には様々なジャンルの本があった。
 児童書も多く置いてあって、私が先日書店で買った、見習い魔女のお話の本も置いてあった。
 「あっ、この見習い魔女のお話って、結構シリーズあるんだ…!?」
 本棚には見習い魔女のシリーズ本が並んでいて、驚いた。ギタリストの青年と見習い魔女が並んでいる表紙の本もある。
 「俺は気になる恋愛小説を探して読むから、夏海は好きな本を読んでて待ってて。」
 「うん。…じゃあ、この魔女の本読んで待ってるね。」
 本を借りずとも、館内に座わって学習できるスペースがあるので、そこで本を開いて読むことにした。見習い魔女のシリーズは、意外と壮大なお話になっていた。
 「…これは長く楽しめそうね…!」
 私は黙々と見習い魔女シリーズを読み進めて、本の世界に浸っていた。
 目当ての本を幾つか見繕って持ってきた昴君は、私の隣に座って作業をし始めた。
 メモ帳とボールペンを出して、本を読みながら、メモ帳に恋愛小説の構想を練っている様だった。
 どんな作品を作ろうとしてるのか、とっても気になるから覗き見しようとした。
 覗き見しようとする私の目の前に、企み笑いの昴君の顔が現れる。
 「今は見ないで。完成した後のお楽しみね♪」
 悪戯っぽく唇に人差し指を当てている昴君は、安定して落ち着いていた。
 きっと、久しぶりに小説を作るのに夢中になっているのだろう。
 もう、昴君は脆くて不安定で消え入りそうな状態には戻らないだろう。
 昴君の眼差しは星空みたいに煌めいていた。
 これから書く小説が楽しみで楽しみで仕方ないという気持ちに溢れているのだから。
 輝いている昴君を見ていると、私も心が弾んでゆく。
 「完成したら、一番始めに読ませてね。昴君が書いた恋愛小説。」
 「ああ。絶対に夏海に真っ先に読んでもらうよ。」
 昴君と約束した。
 素敵な昴君だもの。きっとトキメキが詰まった恋愛小説を書けるはず。
 昴君が書いた恋愛小説が読めると思うと、私は心から幸せが溢れてゆく。

 「感じたままに書くからさ。夏海と俺の恋愛を。」
 
 「えっ!?」
 昴君と私の恋愛小説………を、書くの!?

 「あれ?俺と夏海の恋愛を小説にするのは嫌だった?」
 昴君は私の答えを解りきってるのに意地悪する。
 
 「そんなの………、書いて欲しいに決まってるよ!私と昴君の恋愛、皆に読んで欲しいもん!」

 屈託のない私達の恋愛を、昴君なら星の光みたいに燦然と遺せるよ。