楽しみにしていたレストランの扉は開けなかった。
私・山田蜜実は、会社のハイスペックな先輩・八神颯君に、ついさっき告白したのである。
「正式に、私の旦那様になって下さい。颯君…。」
小雨の降る生暖かい空気の漂う四月の夜。レストランの近くにある公園で、恋の情緒たっぷりのグッドタイミングで、私は颯君に告白できた筈なのに。
「ごめん、蜜実の旦那にはなれない。」
私があまりにもキツめに、彼の袖を掴んでいたものだから、颯君には私の必死さが伝わり過ぎていた。
「蜜実はまだ若いから、俺以外の選択肢があるよ。」
優しいフリをしてるけれども、颯君は残酷すぎる。
三年間付き合った私達は、呆気なく別れた。
私の方を振り返ることなく、颯君は早足でタクシー乗場へと向かう。
商店街の方から人々の雑踏が聞こえるのに、公園に独り残された私は、静寂の中に居た。
颯君からは予兆があったから、そんなに心的ダメージは無いけれども。
無表情のまま私は、商店街の裏路地を歩く。
裏路地は飲み屋街になっていて、看板の灯りが小雨の中で煌めいていた。
陽気な会社の宴会の声、大人の女子会の咀嚼音、恋人達がグラスを乾杯する音ーーー。
時は金曜日の二十四時。まだまだ皆元気である。私だけが虚しい。
愛を失った空ろな目で、派手に目立つ看板を捕らえる。
【二十四時からは(予約)空けてます。】
『喫茶・ワイドハート/店主』
狭い店に明かりが点いている。
狭いから空いてるだろう。扉を開ける。
店には誰も客がいない。
居るのは店長らしき、体格のよい男性だった。
「いらっしゃいませ!今晩は。お嬢さん。」
一対一の状態に急に恥ずかしくなり、帰ろうとするも、店長は扉の前に立つ。
「この辺の店は、深夜料金高いからさ。ウチはお安くしとくよ。」
「ささっ。この席でゆっくりしてって。」
あっ、そういえばメニュー見そびれてた!
ぼったくり店じゃ、ありませんように!という心配もなく、安価なメニューに安堵する。
「ウチは喫茶店だから、変に高くないよ。安心してね。」
「傘はこっちに。」
店長が指差す方に傘を立てて、私はテーブル席に座る。生成色のソファは座り心地がよくて、重たくて焦げ茶色の木製テーブルは多分海外製かな、成る程喫茶店らしさがある。
「俺は灘健児ね。健康の健に児童の児!ヨロシクぅ。」
灘店長は喋りながらも、メニュー表を差し出す。お腹を空かせた私は、パッと受け取り読む。
「…貴方だけの特製メニュー。…千二百円。」
高いのか安いのか、よく解らない値段だ。
「へへ。店にある材料から作ってあげるからさ。何か『こんなの味わいたい!』っての、言ってよ。」
灘店長は流石、地方都市のオフィス街で店をしているだけあって、喋り方が気さくで客の心を掴む感じがある。
「んーっ、店の在庫からなのね…。」
「…だから、アバウトな感じでオーダーお願いします!イメージっていうか…さ!」
誤魔化し笑いする灘店長に、私は微笑んでいた。食べたいものの、イメージ…かー。
「私、お腹空いてるんで。後、元気がないから『満腹満点なメニュー』…オーダーで。」
私の「元気がない」というワードに顔が真顔になって反応する灘店長。でも、直ぐににこやかになり、注文を承る。
「『満腹満点なメニュー』!オーダー承りました!」
「じゃ、待ってる間これ聴いてて?」
灘店長は、スピーカーに繋いであるスマホを操作して音楽をかける。と、厨房へと入って行き鼻歌も歌ってる。
店内に流れる陽気な洒落たジャズ。ダンスしたくなるタイプの元気がでてくるジャズだ。
私はお冷やをチビチビと飲みながら、スマホを弄る。颯君から連絡が入っていた。『今日で関係解消。お疲れ様でした。』何時もの可愛いスタンプがない、淡々としている連絡文面。
スマホを持っている手の力が抜けた。画面を消して、視線を厨房の方に向ける。曲は3曲目に入って、甘いバラードのような音楽がかかっている。
「そろそろ出来るからねーっ!待っててね。」
流す音楽は上品で洒落てるのに、灘店長自身は豪快さが隠せていない。厨房から調理する音が普通の人よりも力強くて大きな音がする。
ハイスペックで美青年そのものだった颯君にフラれてしまった所為か、男前で人間臭い灘店長に好感度の軍配が上がる。
ジュコジュコとお冷やを飲み干す前に、灘店長は料理を持ってきた。
白磁に藍色の着彩が施されたどんぶり鉢に、湯気がたっている。カツ丼かしら?肉なら好き!
「はい、『満腹満点なメニュー』の、【じゃこ天ちゃんぽん麺】お待ちどうさま!」
木製テーブルの上に、じゃこ天ちゃんぽん麺のどんぶり鉢が、どしっと置かれる。
白い豚骨と鶏ガラを合わせたスープに黄色い極太麺がたっぷり。炒めた野菜は特にキャベツが美味しそうで、極めつけのじゃこ天がのっている。優しい野菜の香りが、疲れきった私の食欲をそそる。
「おじゃこのちゃんぽん麺…!美味しそー!」
じゃこ天ちゃんぽん麺は、他の店でも食べたことがあるけれども、灘店長が作ったこの一品は見ているだけで格段に美味しそうだった。食材の艶がいい。
「喫茶店だから、あんまり量無いかなって思ってたけど。」
クゥっと私のお腹が鳴る。スープの香りにお腹が空く。
「俺が大食いだから、ガッツリ食べれるものも作ってるんだよね。」
「冷めないうちに、食べてよ。」
「…!頂きます!」
スマホの残念な連絡も忘れて、私はじゃこ天ちゃんぽん麺を啜る。
深夜に食べる麺類の罪深いこと!そして、麺類による救済は可能なこと!!
じゃこ天ちゃんぽん麺を食べたら、颯君の事は忘れたい。………そういえば、颯君の手料理なんて食べたことがない。颯君の部屋に何度も行ったけれども、颯君の手料理にはありつけなかった。
じゃこ天ちゃんぽん麺から立つ湯気の先に、灘店長の太くてシュッとした眉毛のある顔が見える。私と目が合うと、彼の目尻に皺がよる。
「元気がないって言ってたけど、美味そうに食べてるから。良かったわ。」
灘店長が笑うと、白い歯が綺麗に並んでいるのが解る。
あれ?灘店長。何気に相席してますね?
「………。【二十四時からは予約空けてます。】って、コレ、貸切りって事ですか!?」
「貸切りっていっても、追加料金とか無いからさ!そうそう。【二十四時からは『限定一名様のみご予約』承っている】んだよ。」
何故に、一名限りなのだろうか?
「限定一名様のみ、は、どうして何ですか。」
確かに大人数が入れるような広い店ではないし、深夜に来る人なんて御一人様の方が捕まえ易いだろう。でも、前もって限定するのは何故?
「深夜に俺とだけってなら、『何か人生相談とか出来るかな』って、思って。他人と、袖振り合うも多生の縁みたいに、味わい深い経験を与えられないかなー。という訳でして…。」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、灘店長は得意気に話す。腕組みをする腕が太いのがまた名前のとおりである。
「まぁ、それは好都合…。なら、私の恋の愚痴、聞いてくれます?」
『恋の愚痴』と聞いて灘店長はワクワクしている。灘店長が待っていた『人生の深い所を話してもらえる』のだから。
「よしよし!生々しい事でも殺伐とした事でも、なんでもコイ!俺が相談にのるからさ。」
灘店長は、大きな身をグイグイ乗り出してくる。似合わない頬杖を付く姿勢になった灘店長は、私の話に耳を傾けてくれた。
じゃこ天ちゃんぽん麺は、少しづつぬるくなってゆく。でも、冷めても美味しい。
私は、ポツポツと颯君との思い出と愚痴を吐き出していった。
「ーーーーーーで、颯君ったら、会社の仕事は私のサポートで成り立ってるのを忘れてるんですよ!?あり得ませんよね!?!?」
「そっか!そうかそうか!!」
颯君への怒りが爆発して、愚痴が加速する私。数分間、それをサンドバッグの如くに受け止め続ける灘店長。
「いやーー。しかし、君の颯君への想いは深かったんだねーっ!!」
頷きながらも、場を納めようとしている灘店長。じゃこ天ちゃんぽん麺は既に完食していた。
「なのに、なのに………。颯君は、私を奥さんにしてくれなかったんですよ…?」
言ったとたんに感極まって、私は涙を流していた。喋ると涙が溢れそうなので、自然と口を閉じる。代わりにヒクヒクと静かに泣くしかなかった。
「…君が喜怒哀楽の豊かな素敵な人だって、わかって良かったよ。」
紙ナプキンを取ってくれた灘店長は、静かに席を立つ。
カウンターに入ると、棚からグラスと瓶を取り出した。
「人生の深い所を分かち合ってくれた貴方に。特別なカクテルを調合します。」
灘店長は手際よく、カクテルを作ってゆく。
華やかに鮮やかな色合いの飲料が注がれてゆく。それらを慣れた手つきでシェイカーで混ぜる。
「陽気なリズムに、泣き止んでくれたら嬉しいな~♪」
シャカシャカとシェイカーをマラカスのように、店内BGMに合わせてリズミカルに振る灘店長。フィニッシュにグラスにカクテルを注ぐ姿は、ポージングが決まっている。姿勢が綺麗なのは、灘店長自身が身体を鍛えているからなのだろう。
出来上がったカクテルを灘店長は私の方へ持ってくる。
「はい。カクテル・チェリーブロッサムになります。」
捧げられたカクテルは、桜色よりも濃い色でサクランボと同じ紅い色をしている。店内の照明の中で、チェリーブロッサムはルビーの様に煌めいた。
「君の恋路に似合いそうな、綺麗なチェリーブロッサム。です。」
「この小雨で散っちゃった私の恋と桜は似てるかもですね。………あはは。」
予想ナナメの私の変答に、灘店長は焦る。
この場を急いで取り繕うように、灘店長は次の言葉を続けた。
「チェリーブロッサムのカクテル言葉ってのがあってね。それが、『印象的な出会い』って云うんだ。」
「颯君とは別れちゃったけれども、俺と君は今日出会ったばかりだからさ。」
「春の小雨の降る夜に、来てくれた君は。特別印象的だよ。」「喋りも凄いし。」
私は灘店長の言葉を聞きながら、チェリーブロッサムを飲んだ。
サクランボの風味が、春の夜に心地良い。
私の失恋を、微睡んで癒してくれるかの様な一杯に、心を許す。
窓の外では、月明かりの下で桜の花びらが舞う。灘店長も同じ景色を見つめている。
「美味しい一杯、御馳走様です。特別な夜を、ありがとうございます。」
私は趣深い夜を頂いたので、丁寧に感謝を述べる。
私の顔が綻んだのか、灘店長は微笑んだ。
「此方こそ、ありがとう。金曜日の二十四時は空いてたから。」
「………で、君。金曜日の二十四時に【予約】は、どう?」「来れる日に来てくれると、俺が嬉しいな!」
灘店長はエプロンのポケットから、海岸の写真が表紙のスケジュール帳を取り出して、メモの準備をした。
「毎週来てくれても構わんよ。どう?」
灘店長に詰め寄られて、私は根負けする。
まあ、千二百円で「この夜」なら、お得か…。
「じゃあ、毎週金曜日の二十四時から。予約お願いします。」
「かしこまり!」
威勢よく灘店長は、メモを取る。
「あ。お客様、お名前は?」
「私?山田蜜実です。蜂蜜の蜜に木の実の実です。」
「成る程~。可愛い名前だね。」
灘店長はニカッと私に眩しい笑顔を向ける。
「じゃ、今日は遅いから、泊まってね。」
!?まさかの展開。これも「二十四時からの予約」の、お決まりなのだろうか。
店の奥に、元々従業員用だったのか、小部屋にベッドがあった。
私は質素なベッドに横たわり寝る。
何事もなく朝になり、灘店長は私を送り出してくれた。
カクテル言葉【チェリーブロッサム】…印象的な出会い
私・山田蜜実は、会社のハイスペックな先輩・八神颯君に、ついさっき告白したのである。
「正式に、私の旦那様になって下さい。颯君…。」
小雨の降る生暖かい空気の漂う四月の夜。レストランの近くにある公園で、恋の情緒たっぷりのグッドタイミングで、私は颯君に告白できた筈なのに。
「ごめん、蜜実の旦那にはなれない。」
私があまりにもキツめに、彼の袖を掴んでいたものだから、颯君には私の必死さが伝わり過ぎていた。
「蜜実はまだ若いから、俺以外の選択肢があるよ。」
優しいフリをしてるけれども、颯君は残酷すぎる。
三年間付き合った私達は、呆気なく別れた。
私の方を振り返ることなく、颯君は早足でタクシー乗場へと向かう。
商店街の方から人々の雑踏が聞こえるのに、公園に独り残された私は、静寂の中に居た。
颯君からは予兆があったから、そんなに心的ダメージは無いけれども。
無表情のまま私は、商店街の裏路地を歩く。
裏路地は飲み屋街になっていて、看板の灯りが小雨の中で煌めいていた。
陽気な会社の宴会の声、大人の女子会の咀嚼音、恋人達がグラスを乾杯する音ーーー。
時は金曜日の二十四時。まだまだ皆元気である。私だけが虚しい。
愛を失った空ろな目で、派手に目立つ看板を捕らえる。
【二十四時からは(予約)空けてます。】
『喫茶・ワイドハート/店主』
狭い店に明かりが点いている。
狭いから空いてるだろう。扉を開ける。
店には誰も客がいない。
居るのは店長らしき、体格のよい男性だった。
「いらっしゃいませ!今晩は。お嬢さん。」
一対一の状態に急に恥ずかしくなり、帰ろうとするも、店長は扉の前に立つ。
「この辺の店は、深夜料金高いからさ。ウチはお安くしとくよ。」
「ささっ。この席でゆっくりしてって。」
あっ、そういえばメニュー見そびれてた!
ぼったくり店じゃ、ありませんように!という心配もなく、安価なメニューに安堵する。
「ウチは喫茶店だから、変に高くないよ。安心してね。」
「傘はこっちに。」
店長が指差す方に傘を立てて、私はテーブル席に座る。生成色のソファは座り心地がよくて、重たくて焦げ茶色の木製テーブルは多分海外製かな、成る程喫茶店らしさがある。
「俺は灘健児ね。健康の健に児童の児!ヨロシクぅ。」
灘店長は喋りながらも、メニュー表を差し出す。お腹を空かせた私は、パッと受け取り読む。
「…貴方だけの特製メニュー。…千二百円。」
高いのか安いのか、よく解らない値段だ。
「へへ。店にある材料から作ってあげるからさ。何か『こんなの味わいたい!』っての、言ってよ。」
灘店長は流石、地方都市のオフィス街で店をしているだけあって、喋り方が気さくで客の心を掴む感じがある。
「んーっ、店の在庫からなのね…。」
「…だから、アバウトな感じでオーダーお願いします!イメージっていうか…さ!」
誤魔化し笑いする灘店長に、私は微笑んでいた。食べたいものの、イメージ…かー。
「私、お腹空いてるんで。後、元気がないから『満腹満点なメニュー』…オーダーで。」
私の「元気がない」というワードに顔が真顔になって反応する灘店長。でも、直ぐににこやかになり、注文を承る。
「『満腹満点なメニュー』!オーダー承りました!」
「じゃ、待ってる間これ聴いてて?」
灘店長は、スピーカーに繋いであるスマホを操作して音楽をかける。と、厨房へと入って行き鼻歌も歌ってる。
店内に流れる陽気な洒落たジャズ。ダンスしたくなるタイプの元気がでてくるジャズだ。
私はお冷やをチビチビと飲みながら、スマホを弄る。颯君から連絡が入っていた。『今日で関係解消。お疲れ様でした。』何時もの可愛いスタンプがない、淡々としている連絡文面。
スマホを持っている手の力が抜けた。画面を消して、視線を厨房の方に向ける。曲は3曲目に入って、甘いバラードのような音楽がかかっている。
「そろそろ出来るからねーっ!待っててね。」
流す音楽は上品で洒落てるのに、灘店長自身は豪快さが隠せていない。厨房から調理する音が普通の人よりも力強くて大きな音がする。
ハイスペックで美青年そのものだった颯君にフラれてしまった所為か、男前で人間臭い灘店長に好感度の軍配が上がる。
ジュコジュコとお冷やを飲み干す前に、灘店長は料理を持ってきた。
白磁に藍色の着彩が施されたどんぶり鉢に、湯気がたっている。カツ丼かしら?肉なら好き!
「はい、『満腹満点なメニュー』の、【じゃこ天ちゃんぽん麺】お待ちどうさま!」
木製テーブルの上に、じゃこ天ちゃんぽん麺のどんぶり鉢が、どしっと置かれる。
白い豚骨と鶏ガラを合わせたスープに黄色い極太麺がたっぷり。炒めた野菜は特にキャベツが美味しそうで、極めつけのじゃこ天がのっている。優しい野菜の香りが、疲れきった私の食欲をそそる。
「おじゃこのちゃんぽん麺…!美味しそー!」
じゃこ天ちゃんぽん麺は、他の店でも食べたことがあるけれども、灘店長が作ったこの一品は見ているだけで格段に美味しそうだった。食材の艶がいい。
「喫茶店だから、あんまり量無いかなって思ってたけど。」
クゥっと私のお腹が鳴る。スープの香りにお腹が空く。
「俺が大食いだから、ガッツリ食べれるものも作ってるんだよね。」
「冷めないうちに、食べてよ。」
「…!頂きます!」
スマホの残念な連絡も忘れて、私はじゃこ天ちゃんぽん麺を啜る。
深夜に食べる麺類の罪深いこと!そして、麺類による救済は可能なこと!!
じゃこ天ちゃんぽん麺を食べたら、颯君の事は忘れたい。………そういえば、颯君の手料理なんて食べたことがない。颯君の部屋に何度も行ったけれども、颯君の手料理にはありつけなかった。
じゃこ天ちゃんぽん麺から立つ湯気の先に、灘店長の太くてシュッとした眉毛のある顔が見える。私と目が合うと、彼の目尻に皺がよる。
「元気がないって言ってたけど、美味そうに食べてるから。良かったわ。」
灘店長が笑うと、白い歯が綺麗に並んでいるのが解る。
あれ?灘店長。何気に相席してますね?
「………。【二十四時からは予約空けてます。】って、コレ、貸切りって事ですか!?」
「貸切りっていっても、追加料金とか無いからさ!そうそう。【二十四時からは『限定一名様のみご予約』承っている】んだよ。」
何故に、一名限りなのだろうか?
「限定一名様のみ、は、どうして何ですか。」
確かに大人数が入れるような広い店ではないし、深夜に来る人なんて御一人様の方が捕まえ易いだろう。でも、前もって限定するのは何故?
「深夜に俺とだけってなら、『何か人生相談とか出来るかな』って、思って。他人と、袖振り合うも多生の縁みたいに、味わい深い経験を与えられないかなー。という訳でして…。」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、灘店長は得意気に話す。腕組みをする腕が太いのがまた名前のとおりである。
「まぁ、それは好都合…。なら、私の恋の愚痴、聞いてくれます?」
『恋の愚痴』と聞いて灘店長はワクワクしている。灘店長が待っていた『人生の深い所を話してもらえる』のだから。
「よしよし!生々しい事でも殺伐とした事でも、なんでもコイ!俺が相談にのるからさ。」
灘店長は、大きな身をグイグイ乗り出してくる。似合わない頬杖を付く姿勢になった灘店長は、私の話に耳を傾けてくれた。
じゃこ天ちゃんぽん麺は、少しづつぬるくなってゆく。でも、冷めても美味しい。
私は、ポツポツと颯君との思い出と愚痴を吐き出していった。
「ーーーーーーで、颯君ったら、会社の仕事は私のサポートで成り立ってるのを忘れてるんですよ!?あり得ませんよね!?!?」
「そっか!そうかそうか!!」
颯君への怒りが爆発して、愚痴が加速する私。数分間、それをサンドバッグの如くに受け止め続ける灘店長。
「いやーー。しかし、君の颯君への想いは深かったんだねーっ!!」
頷きながらも、場を納めようとしている灘店長。じゃこ天ちゃんぽん麺は既に完食していた。
「なのに、なのに………。颯君は、私を奥さんにしてくれなかったんですよ…?」
言ったとたんに感極まって、私は涙を流していた。喋ると涙が溢れそうなので、自然と口を閉じる。代わりにヒクヒクと静かに泣くしかなかった。
「…君が喜怒哀楽の豊かな素敵な人だって、わかって良かったよ。」
紙ナプキンを取ってくれた灘店長は、静かに席を立つ。
カウンターに入ると、棚からグラスと瓶を取り出した。
「人生の深い所を分かち合ってくれた貴方に。特別なカクテルを調合します。」
灘店長は手際よく、カクテルを作ってゆく。
華やかに鮮やかな色合いの飲料が注がれてゆく。それらを慣れた手つきでシェイカーで混ぜる。
「陽気なリズムに、泣き止んでくれたら嬉しいな~♪」
シャカシャカとシェイカーをマラカスのように、店内BGMに合わせてリズミカルに振る灘店長。フィニッシュにグラスにカクテルを注ぐ姿は、ポージングが決まっている。姿勢が綺麗なのは、灘店長自身が身体を鍛えているからなのだろう。
出来上がったカクテルを灘店長は私の方へ持ってくる。
「はい。カクテル・チェリーブロッサムになります。」
捧げられたカクテルは、桜色よりも濃い色でサクランボと同じ紅い色をしている。店内の照明の中で、チェリーブロッサムはルビーの様に煌めいた。
「君の恋路に似合いそうな、綺麗なチェリーブロッサム。です。」
「この小雨で散っちゃった私の恋と桜は似てるかもですね。………あはは。」
予想ナナメの私の変答に、灘店長は焦る。
この場を急いで取り繕うように、灘店長は次の言葉を続けた。
「チェリーブロッサムのカクテル言葉ってのがあってね。それが、『印象的な出会い』って云うんだ。」
「颯君とは別れちゃったけれども、俺と君は今日出会ったばかりだからさ。」
「春の小雨の降る夜に、来てくれた君は。特別印象的だよ。」「喋りも凄いし。」
私は灘店長の言葉を聞きながら、チェリーブロッサムを飲んだ。
サクランボの風味が、春の夜に心地良い。
私の失恋を、微睡んで癒してくれるかの様な一杯に、心を許す。
窓の外では、月明かりの下で桜の花びらが舞う。灘店長も同じ景色を見つめている。
「美味しい一杯、御馳走様です。特別な夜を、ありがとうございます。」
私は趣深い夜を頂いたので、丁寧に感謝を述べる。
私の顔が綻んだのか、灘店長は微笑んだ。
「此方こそ、ありがとう。金曜日の二十四時は空いてたから。」
「………で、君。金曜日の二十四時に【予約】は、どう?」「来れる日に来てくれると、俺が嬉しいな!」
灘店長はエプロンのポケットから、海岸の写真が表紙のスケジュール帳を取り出して、メモの準備をした。
「毎週来てくれても構わんよ。どう?」
灘店長に詰め寄られて、私は根負けする。
まあ、千二百円で「この夜」なら、お得か…。
「じゃあ、毎週金曜日の二十四時から。予約お願いします。」
「かしこまり!」
威勢よく灘店長は、メモを取る。
「あ。お客様、お名前は?」
「私?山田蜜実です。蜂蜜の蜜に木の実の実です。」
「成る程~。可愛い名前だね。」
灘店長はニカッと私に眩しい笑顔を向ける。
「じゃ、今日は遅いから、泊まってね。」
!?まさかの展開。これも「二十四時からの予約」の、お決まりなのだろうか。
店の奥に、元々従業員用だったのか、小部屋にベッドがあった。
私は質素なベッドに横たわり寝る。
何事もなく朝になり、灘店長は私を送り出してくれた。
カクテル言葉【チェリーブロッサム】…印象的な出会い