憂鬱な事柄が待ち受けていると、時が進むのが早いというが、()()()()()の多忙な暮らしを送っていたアマリには、感傷に浸る余裕すら無いまま日々が過ぎてゆく。

「アマリ様。おめでとうございます」
「尊巫女様。誠に有難うございます……!!」

 『輿(こし)入れ』が決まってから、参拝者始め、屋敷に仕える侍女や下女に至るまで、顔を合わせる度、あらゆる人間に礼を言われ続ける。ある者からは泣かれながら、ある者からは(うやうや)しく頭を下げられながら……
 いつも世話をしてくれる侍女は、少し複雑そうな眼差しで彼女を見つつも、普段通りの態度で接していた。

 ――もう、何も考えない。考えられない。考えたくない…… これが、私の生きる理由、運命、宿命……

 自身に呪文をかけるように、何度も何度も、同じ言葉を繰り返し、言い聞かせる。

 この数年、年替わりに天変地異を始め、疫病の蔓延、火災、飢饉、治安の悪化という様々な災厄が、人族の地を襲っている。原因はともかく、恐怖と絶望に陥った人々が、何かの救いを求めたがるのは無理も無いと思った。
 自分がその元凶の一つを少しでも鎮められるのなら、これが自分の役目で存在意義なのだ……と、自身に改めてアマリは(さと)した。
 拒否した時の彼らを想像すると、罪悪感で痛ましくもなる。自分の命や人生の事など、少しでも気にしたら、自身の()()が狂ってしまいそうだった。()す術が無いという以前に、そんな考えや疑問すら持つ事自体、決して赦されないのだと、生まれた瞬間から暗に()され命じられている。
 そして、初めての『仕事』の依頼者……相手は、両親だった。一番(ちか)しい者の情すら察せぬなら、花能の尊巫女など務まらないという意の試験だった。父母に認められたいが一心で、不仲な二人其々の情を感知し、アマリは合格したのだ。


 瞬く間に、いよいよ明日が『輿入れ』の夜となった。さすがに前夜は、処刑を待つような心境になるだろうと予測していたが、心身共に疲れ切っていたアマリは、無気力……虚脱に陥っている。
 この離れに連れて来られてから、一人で夜を過ごすのは当たり前だった。寂しさと心細さで泣いても、来てくれる者は誰もいない。時に、悪夢による恐怖で助けを呼んでも『騒がしい。眠れない』と、咎められた。
 舞などの稽古(けいこ)中、厳しさに思わず涙すると師範に注意され、その後、母にきつく叱咤された。そんな日々が過ぎてゆく中、一つ、また一つと何かを諦め、気づいた時には、()()()てていた。

 ――妖厄神()…… せめて、完全に殺してから、贄にして下さらないかしら……
 ――あ……だけど彼にとって、私は毒なのよね…… 本来なら、夫になる立場の方に奇襲するなんて……嫌われてしまうわね……

 朦朧(もうろう)としたまとまりの無い脳裏に、『人族の力になって役に立つ』『神族との梯子になって支える』という、尊巫女の誇りと義務感が揺らいでは、浮かぶ。少しでも気を緩めると、(いびつ)に壊れてしまいそうな心境の中、婚礼前夜が過ぎていった。


 翌日。ほとんど眠れなかったアマリは、朝から始まった『輿入れ』の支度にも、されるがままだった。まずは(やしろ)の地下水を沸かした湯で体を清め、長い濡羽髪を結い上げ、白粉(おしろい)を施し、紅を差す。
 この役目を代々任されてきた侍女達によって全て行われ、慣れた手つきで、彼女達は順序良く事を進めていく。仕上げに白無垢……花嫁衣装を(まと)った時には、淡い瑠璃の瞳が白一色の姿に一層映え、神秘的な美しさを醸した姿になっていた。

 ――……私……死ぬのよね……? これから……

 出来上がりを姿見(すがたみ)に映され、『お美しゅうございます』『素晴らしい出来映えです』と絶賛される。そんな状況が、当人のアマリは不可思議……滑稽な思いでいた。
 相手が神族とはいえ、いつかは花嫁衣装を着るという未来は憧れだったが、上質な白無垢も丁寧に施された化粧も、今となっては()く為の死装束にしか見えない。
 それなのに……と、ぼんやりした脳内の中が、改めて空虚感で埋まる。が、今更な事だ……とも同時に思う。今までずっと、当たり前のように当人の意思や疑問は無視され、あらゆる事柄が進められていった。止める(すべ)も止められる者も無い。
 全て始めから、見知らぬ()()によって決められていた出来事……人族の為に犠牲となる尊き巫女の清く潔い姿を、民に見せつける儀式……祭典の一環なのだと、改めて思い知らされる。


 宵の(とばり)が落ち切った、新月の夜更けの刻。真冬の夜空からは、ちらほら、と粉雪が降って来ていた。そんな凍てついた気温の中でも(やしろ)の屋敷の入口付近には、周辺に住む人族の民が、今夜『輿入れ』する尊巫女を一目見ようと集まっている。彼女の()()()は、既に人族の間に知れ渡っていたのだ。
 自分達の為に、あえて()()妖厄神の元へ()()……何と気高く、慈悲深い尊巫女様だと、手を合わせながら崇め、(たてまつ)り、中には憐れみを含んだ眼差しを向ける者もいる。
 皆、この婚姻は尊巫女が厄神の贄となり、忌まわしい力を抑える為の儀式であり、『花嫁の死』によって終わると知っていた。昼間の明るい青天の下ではなく、宵闇に紛れながら目立たず婚儀を行う理由も、暗に了解しているので誰も不平不満を言わない。()()が主に日暮れ後に現れ、決して手放しで祝福できない婚姻……それが、亜麻璃(アマリ)という尊巫女、一人の女性の宿命という事も……

 屋敷全体の入口である、立派な門構えの近くに、一人用の駕篭(かご)(たずさ)えた、社に仕える二人の従者が待っていた。浅い烏帽子(えぼし)を被り、上質な袴姿という高貴な印象の出で立ち。暖をとる為でもある、炎の灯った松明(たいまつ)を手にしてはいるが、漆黒や鉄紺を基調にした羽織を纏い、顔の下半分を布で隠した姿は、あの世への案内人のようにも見えた。
 門から少し離れた場所を取り囲むように、人族の民が傍観する中、侍女に付き添われた白無垢姿のアマリが現れた。暗がりの中、綿帽子を深めに被り、目を伏せている彼女の表情は見えない。それでも全身から放つ、清楚で雅やかな気は隠せないでいる。
 そんな(しと)やかな出で立ちに、民も待機していた従者達も、ほうっ……と密やかに感嘆のため息をついた。

「尊巫女様。こちらへ」

 従者の一人が、アマリに駕篭(かご)に乗るよう、(うやうや)しく促す。無言のまま静かに会釈した後、アマリは引き込まれるように、そろり、そろり、と壇を踏み、華奢な身体を中へ押入れる。
 純白の花嫁を乗せた駕篭は、そのまま屈強な従者二人にようやっと担がれ、雪舞う道へ進み、やがて闇夜に消え入った。