「――花といえば、だが」

 ほっとしたのも束の間、荊祟(ケイスイ)は、界の(おさ)として知らねばならなかった――いや、ずっと知りたかった事を切り出した。

「お前の異能について、聞いておきたい」

 ついにきた、核心を突いた問い。変わらず玲瓏(れいろう)な落ち着きある声色だが、真剣な眼差しで自分を凝視している。(ふすま)の側に待機しているカグヤの方をアマリは見た。彼女も長の判断に任せるような視線を向けている。
 既に()を見られていて、ここまでしてもらっている以上、話さないといけないとは考えていた。が、長である荊祟はともかく、彼女にも知られて良いのかわからず、躊躇したのだ。

「構わん。護衛として知っておいてほしい」

 覚悟を決めたアマリは、少しずつ話し始めた。生まれて直ぐに告げられた予言。花や植物の声が聞こえ出した兆し。やがて、治癒をもたらす花を召喚できるようになった事。間もなく、両親始め一族の人間によって、離れに独り閉じ込められ、一部の人族を相手に『施し』の仕事を始めるようになった事。
 本来は『萌芽促進』という生命を再生させる力であり、贄に出されたのは界を破滅させる力を持つ厄神と事実上の相討ちによって、弱体化させる目的だった事――
 終始、茫然とした面持ちでありながら、荊祟は自身を必死に落ち着かせようとしていた。その位、彼女の話は衝撃的だったのだ。


「――それは……また、興味深い能力(ちから)だな」

 上擦った声で、荊祟はなんとか返した。花能というのは、一つの神界の長である彼にも、さすがに初耳だったらしく、動揺を隠せないでいる。

「しかし…… 厄神明王などの厄払いの神に差し出さず、俺に寄越したというのが狡猾というべきか……」
「厄神明王……」
「まあ、彼らに献上された尊巫女は、邪気祓いなど陰陽師所縁(ゆかり)の異能者ばかりだったと聞くから、お前が受け入れられたかどうかわからんが」
「他家の(やしろ)に、その兆しを見せた尊巫女がいると聞いた事があります。ですから、私は外れたのでしょう……」

 荊祟の推測に、改めて哀しくなったアマリは、思い当たる事実を告げる。彼らに受け入れられる確証が無いなら、より効果的に自分を使い、確実に打撃を与えようとした両親始め一族。よほど災厄を鎮めたかったのか、ぎりぎりまで自分を利用しようとした――

「そうか。だが、厄神明王は双子だ。どちらかの伴侶になり得たかもしれん」
「ふ、双子!?」
「知らなかったのか」

 驚愕する彼女に、今度は荊祟が眉を潜め、(うかが)う。

「いえ。愛染明王様、不動明王様の兄弟お二人で長を務めていらっしゃる珍しい神様だとは知っておりました。ですが、双子というのは初耳です……」
「元々、一体に対の顔を持つ稀な神だったらしい。だが、尊巫女と契り人族の血が混じるようになり、身体も二つに分かれた。後々は、代々、双子として生しているという」
「そう、なのですか……」

 ずっと神界に関わる道を生きてきた自分にも知らない事、聞かされていなかった事がまだまだありそうだと、アマリは茫然とした。

「……母親は?」
「え……」
「何故、今も人族の地で生きている。尊巫女ではないのか」

 久方ぶりに母の顔が過り、少し気落ちしつつも説明する。

「……母様は、(やしろ)に子を成す為に嫁いで来られた方です。神通ある御家の一族だそうですが…… 当時、我が家に女が生まれずだったので、主の父様と婚姻され、私含めた姉妹が産まれました。ですが、異能はお持ちではないのです」
「……成る程」


 渋い表情で考え込む彼に、アマリはずっと気がかりだった件を問いかけた。

「あの、長様」
「何だ」
「この界……この御屋敷でも構いません。私がお役に立てる事、何かありませんか?」

 腕組みを解き、視線をやった眼をそのまま荊祟は見開く。相当、驚いたようだ。

「何もせず、このまま衣食住のお世話になるのは、やはり居たたまれないのです」
「……何が出来る?」
「こちらでしたら……読み書き、裁縫、お掃除、炊事も少しなら」
「例えば、お前が(つくろ)い物や掃除などをすると、今までその仕事を担っていた女中を、一人解雇しなくてはならない。それでもやるか?」
「……!!」

 愕然とした。そんな事は考えもしなかった。自分のせいで誰かが職を無くしては、本末転倒だ。

「人手は足りているし、負担にならぬ程度に、仕事は分配されている」
「そう、ですか…… では、私の異能を使って、何か……」

 なら、自分は何を返したら良いのだろう。実家にいた時のように、花能を使って屋敷やこの界の者に『施し』を行う位しか思いつかない。

「お前の生気と引き換えなのだろう? 本来なら、むやみに使うのは危険な行為だ。屋敷の者に限った内密の所業にしても……やがて噂になるだろう。力の事を知った界の民が、どう出てくるか…… 好意的な目で見る者ばかりではなかろう」

 身体の事を案じ、気遣ってくれる発言に、アマリは不意討ちされた。そんな事は初めて言われた。自分の力は他者の役に立って、惜しみ無く使うのが当然と聞かされてきたし、自身も思い込んでいた。そのせいで体に負担がかかっても、気にしないのが当たり前だったのだ。

「暫くは、こうして俺の話相手をしたら良い。今、この界で人族の血が交じる者は、俺とお前だけだ。人族の様子を聞きたい時、通じる話をしたい時がある。無論、話せる範囲で構わん」
「……良い、のですか……?」
「そんなに気になるなら、この離れの掃除や管理を頼む。カグヤも他の任務に就き易くなる」

 隠密のような密告の真似もしなくて良い。そんな都合の良い厚待遇を受けて良いのだろうか。耳を疑い、ぱくぱく、と唇を微かに動かすしか出来なくなっていた。二人の会話をずっと聞いていたカグヤも、少し驚いた素振りを見せている。

「早速だが――再び、近日参る」

 話を切り上げるように立ち上がり、荊祟は再び告げた。彼の言動は良くも悪くも心臓に悪い……と、改めてアマリは痛感した。



 翌々日。絹の風呂敷包みを抱え、荊祟は本当にやって来た。

「それは……?」
「何冊かの書物と…… あと、黎玄(れいげん)の字面を知りたがっていただろう」

 包みを解き、箱の中身を取り出す。(すずり)、筆、半紙などの筆記具の登場に、多忙だろうに自分の何気ない疑問を覚えていてくれたのだと、予想外の彼の配慮にアマリは驚き、感動さえ覚えた。

「『レイゲン』は、こう書く」

 硯に()った墨に筆をつけ、さらり、と軽やかに『黎玄』と書いた。達筆な文字に、隣に正座したままアマリは見入る。

「黎玄…… 黎明(れいめい)の意ですね。素敵な名……」
「字は書けると言ったな。お前は? 今更だが……名は何という?」

 少し躊躇った後、細筆をとり『亜麻璃』とゆるやかに書いた。心の中で、裏の意味は伏せる。出来るなら、もう……忘れたい裏名。

「――アマリ、か?」

 彼に初めて呼び捨てにされ、心臓が跳ねる。何故それだけでこんなに……と、自身の気持ちが解らず、更に動揺する。

「は、い」
「瞳の色か」

 じっ、と顔を見つめられ、ますます錯乱したアマリは、こくり、と頷いた後、半紙に視線を戻した。

「……ケイスイ様は、何と書かれるのですか?」
「……」

 流れ上、尋ねられる事を予期はしていたが、彼も少し躊躇う。覚られないよう、同じく『荊祟』と、ゆるやかに書いた。

「いばら……」
「我が界では罪人の仕置きにも使用する棘……『(いばら)』に、『(たた)り』だ。我ながら似合い過ぎるな」

 不敵な笑みを浮かべているが、どこか自嘲的にも見える眼差しの彼を、アマリは何とも言えない思いで見やる。輿入れの夜、自分に無体を行おうとした、河の番人達を思い出す。彼らもそんな罰を受けたのだろうか。
 そして、そんな意を持つ自身の名を、彼はどう思っているのだろう。少なくとも、誇らしそうには見えない。だが……

「――(いばら)にも、花能(はなぢから)……が、あります」

 予測外なアマリの言葉に、今度は荊祟の方が驚き、琥珀(こはく)の眼を彼女に向け、見開いた。珍しく揺れ動き、未知のものへの複雑な感情を見え隠れさせている。

「――『不幸中の幸い』、です」

 更に口元も僅かに開き、茫然とした彼を見つめ、ふわり、とアマリはゆるく目を細め、微笑(わら)った。ずっと抱いていた感謝の意、そして、自身でもどう捉えれば良いかわからないでいる()()を、今、どうにか伝えたかった。

「……貴方様は……本当に、私の不幸の中の、幸い――救いです」

 ほんの、数秒。彼はそのままの状態で固まっていた。次第に、頬が微かに薄紅に染まる。

「……そうか。なら……良い」

 荊祟は書かれた字に視線を戻した。丸窓から差し込む淡い冬の陽光に透けたアマリの髪……朝ぼらけの薄京紫、瑠璃色の小さな反射光が、ずっと紙面に映っているのに気づいていた。
 それらの側に今、彼の瞳の琥珀も瞬き、微かに揺らいでいるのだが、目に入っていない。そんな厄神のすぐ隣で、切なくも温かな想いに包まれていたアマリだけが、その理由を知っていた。