――オレの推しであるアイドルは、笑うことをやめた。

 「微笑まないアイドル」いつしか、そう呼ばれるようになっていた。



 CDショップにオレの推しが所属しているアイドルグループの最新アルバムが並んだ。無事に購入したオレ達は、道端に寄りCDを開封する。

 一番の目当てはCDの中に入っているチェキ風カードだ。来月開催される推しの誕生日に被った、ライブチケットが外れてしまった為、推しのチェキはなんとしてもオレの元にきてほしかった。

 ドキドキしながらお目当ての推し、まつりが当たりますように! と、両手を合わせ、天に祈り、いざ開封。オレが引き当てたのはグループの人気ナンバーワン、サキだった。
 ……サキリン、カワイイし、もちろん嬉しいけど、つくづくオレは自引きに縁がない。

「うっわ! 冷徹まつりかよ!」

 オレの隣でCDを開封していた雄大(ゆうだい)が泣きそうな声で叫んだ。

 オレの推しは笑わないことが有名で「微笑まないアイドル」「冷徹アイドル」とファンから呼ばれている。雄大とは推しは違えど、同じアイドルグループが好きなんだ。そんなにイヤそうな声を出されたらさすがに傷つく。

 オレの推しを当てたことを羨ましく思いながらも、まつりのチェキ見たさにどれどれと覗き込む。

 冷徹なんかじゃない。口元すこーしだけ微笑んでいるじゃないか。この微妙な表情の変化にいち早く気づけるのはファンだからだろうか。雄大もオレが引いたチェキが気になったらしい、むしり取るように奪い取られたかと思いきや、また大声を荒らげた。

「ハアアアッ!? ちょっ、まじ? まつりと交換……いや、少しなら金も払うからまつりと交換して!」

 オレの推しはまつりこと、植松茉利。推しているオレが言うのもなんだが、メンバー内でも一番の不人気だ。その為、交換に出されていたりしてもなかなか見つからず、値段なんて付けられた日には、大人気メンバーとは10倍近く値段が違うなんてこともザラ。今も、まつりを汚されたオレは雄大に対して酷くイラついていた。

「まつりを下げられたみたいでムカつく。交換はするけど金はいらない」

「おまえがまつり推しで助かったよ。サキリンをSNSで探そうもんなら万近くするからさ。あーあー、ライブも行きたかったよなー」

 雄大はライブのチケットが外れた悔しさを惜しみながら、サキリンのチェキを頬に当てスリスリしている。そう、オレ達は二人共ライブのチケットを外してしまったのだ。

 雄大から交換してもらったまつりのチェキを、開封したCDの中に傷つかないように大切に閉まった。

 オレは死ぬまで推しである、植松茉莉を全力で応援し続ける。



 スマホの充電が切れていたことに気づいたのは、スマホのアラームが鳴らないことからだった。
 幸い、起床する時間に起きれたため、ホッと肩を撫で下ろす。せめて、家を出るまでに少しは充電を溜めようと、急いで充電器にスマホを挿した。

 いつものように洗面所で顔を洗い、用意してくれている朝食を食べようとリビングのイスへと腰掛けた。

 ニュースは尽きることなく流れている。毎朝の習慣で何気なくテレビのリモコンを手に取り、テレビの電源を付ける。

 母さんが作ってくれた朝食を食べようと、箸を手に取りニュース番組に視線を向けた。その時だった。

 最新ニュースがいつもの流れで放送された。


【人気急上昇アイドルグループ、フリッツガールの植松茉利さん、昨夜から消息不明】


 …………は? な、なに? なんで? なんで……? 何があった? 茉利って、植松茉利って、あの……まつり!?

 額に汗を滲ませながら、ニュースの画面をただただ見つめる。

 体が動かない。震える手が止まらず、持っていた箸を机の上に置いた。

「あ…………」

 まだ朝食には一口も口を付けていないのに、胃には何も入っていないのに、異様なまでの吐き気がオレを襲う。

「あら? 植松茉利ってアンタが好きなアイドルの子じゃない?」

 母さんの問いかけで、疑いが確信に変わったような気がした。トイレへ駆け込み便器へと顔を近づけるも朝食に手を付けていないオレの口からは胃液だけしか出てこなかった。

 ……………噓だろ、まつりが消息不明だなんて。

 まつりは生きているんだろうか。

 大丈夫なんだろうか。

 オレ、佐野拓真(さのたくま)はフリッツガール、略してフリガルが結成されてからすぐにまつりのファンになった。

 フリガルを一番最初に観たのはちょうど高校受験のときだった。
 小顔でセミロング。少しキツそうに見える目に、綺麗な鼻唇。なにより笑顔がとても可愛らしくて、ふいに見える鬼歯が可愛かった。これでオレと一緒の年齢らしい。好きにならないはずがなかった。

 高校に入ると、オレはすぐにバイトを始めた。勉強もバイトも頑張って、ライブも行って、グッズもたくさん買って、少しでもフリガルの活動に貢献できればいいし、欲を言えばまつりにイチファンとして認知してほしかった。

 まつりがいたからオレは今の今まで頑張れた。なのに、まつりがいなくなった今、オレはどう自分自身を保てば良いのか分からない。

 自室に戻ったオレは制服のブレザーに着替えると、スマホと学生鞄を持つ。結局、朝食を一口も食べることなく、ましてや「行ってきます」も言わずに家を出た。

 学校へ着き自分のクラス2年3組のドアを開ける。すると、オレの姿を目にした雄大は、

「拓真、大丈夫か!? なんで電源切ってんだよ! 心配したんだぞ!」

 焦った顔でオレに近づいてきた。

 そういえば全然電源を付けていなかったことを思い出した。当然今もスマホは切れたままだ。「仮にもしまつりが脱退なんてしたらフリガル4人かー」と、どことなくそうなってほしいと言いたげな顔で首を横に傾げている。

 今、まつりは生きているかどうかさえ分からないんだぞ。雄大が悪魔に見えてしょうがない。雄大は、サキリンが同じ目にあっても同じことを言うのだろうか。

「それより拓真大丈夫かよ? 顔色凄ぇ悪いぞ。まあ、気持ちは痛いほど分かるけど」

「……心配する相手はオレじゃなくてまつりだろ」

「え、あ、ああ、うん。でも、ほら、まつりは大丈夫だって。絶対見つかるって!」

 まつりが脱退することを心のどこかで望んでいるであろう雄大にオレの気持ちが痛いほど分かるわけない。

 窓側の自分の席に座ったオレはホームルームが始まるまでの間、イヤホンをリュックから取り出し、やっとスマホの電源を入れて曲を聴く。いつものクセでまつりのソロ曲をタップした。まつりの澄んだ綺麗な声が無駄に両耳に響く。

 まつりやフリガルの曲を良い音で聞きたくて、バイトで稼いだ初給料はブランドメーカーのイヤホンを購入した。

 買った当初はあまりの音質の良さに感動して、一日中飽きもせずにフリガルの曲を聴きまくった。まつりの歌声は綺麗な高音に加え、ほど良い重低音が入り交じる。主にバラードやカワイイ曲が多いが、まつりにはカッコイイ曲が似合う気がする。

 半年前、雄大と一緒にライブに行った時が今でもつい昨日のことのように思いだす。

 溢れる涙を誤魔化すように机に突っ伏した。雄大はこんな状況のオレでも、見て見ぬ振りをしてくれない。

「あっ!」

 オレの席へと近寄るなり、そう声を発した。無視しようと思ったが気になり外部取り込みになるようにイヤホンの側面をタップする。

「……どうしたの」

「明日フリガルのオフ会だって。ポンさんからDMきた」

 DMの文章をオレに見せてくる雄大。雄大はフリガルのオフ会にマメに参加をしているらしい。

 まつりがこんなに大変なことになっているのに、オフ会か。

 たまに考える。雄大がオレと一緒にいてくれる理由は、オレ以外にフリガルのことを共有できるヤツがいないからだと。もし、オフ会の奴が一人でもこのクラスにいたとしたら、雄大はきっとオレじゃなくてソイツを選ぶだろう。そう考えてしまうほどに、オレは雄大と価値観が合わないなと思ってしまうことが多々ある。

 まつりが消息不明でも開かれるオフ会。来るファンはいったいどんな奴らなんだろう。……どんな表情ではしゃぐのだろう。苛立ち故の好奇心。それ以外理由はなかった。

 気づいた時には、

「雄大、オレも行く」

 雄大にオフ会に参加することを告げていた。

 誘われても今まで一回も参加しなかった、オレの予想外な言葉に雄大は目を丸くした。

「え、くるの?」

「うん、ダメ?」

「いや、ダメではないけど……大丈夫か? 多分、まつり推し一人もいないんじゃね?」

「大丈夫だよ。ただ、どんな空気感か知っておきたいだけだから。オレを気にせずに雄大はオフ会楽しんで」

「分かった。まあ、拓真を一人にはしないから。今日はバイト?」

「うん」

「じゃあ、オフ会の会場とかまた後から連絡するから」

「うん、分かった」

 今じゃ、まつりもまつりのファンも、皆、腫れ物扱いだ。





 バイトも当然やる気が起きない。学校が終わるなりバイト先に直行。本屋でバイトをしていたオレは、

「佐野くん! 旧刊出しいつまでかかってんの!? 新人じゃないんだからさっさとして! 明日の新刊の特典準備もあるんだから急いでよ!」

 先輩に幻惑な顔をされながら急かされる。

「はい、スミマセン」

 急いで旧刊を出し終え、作業台へと戻る。

「明日発売のハイフンの雑誌、フリッツガールの特典が外付けで付くからシュリンク巻いていってね。巻いたら予約分と店頭分を分けて」

 もちろんこの雑紙はオレも既に予約済みだ。この日を楽しみにしていたのに気が進まない。作業する手が進まない。

 もしまつりが何らかの事件に巻き込まれて、オレ達の前に姿を見せることがなくなったらオレはもうバイトをする意味はないだろう。

 夜20時、退勤。バイト先の本屋を出て、スマホを取り出した。

 まつりの最新情報を目で追うも、未だ見つかっていないらしい。目撃情報も無し。事務所側も親族へ連絡を取るも、連絡が返ってきていないらしい。――やっぱり、何か事件に巻き込まれたんだと思う。

 歯を食いしばり、SNSから目を反らそうとした時、雄大からLINEが届いた。

【明日、午前10時にここのイベント会場に集合。会費は一人1500円。受付をしている人が主催してくれたポンさんだからその人に渡して】

 一人にしないと言ってくれていたけど、この文面からしてみて雄大はオレと一緒に行動しないと言っているようだった。でもその方が助かる。その方がより一層フリガルファンを観察できる。

 翌朝、適当に身支度を済ませたオレはジャンパーを羽織り家を出る。

 雄大が送ってくれていた会場へと向かい、受付をしている眼鏡のぽっちゃりとした男性に話しかける。

「あの、ポンさんで間違いないですか? 友達から今日あるって聞いただけで、グループとか参加していなかったんですけど入っていいですか?」

「ああ、構わないよ。参加費は1500円。推しと名前だけ記載してくれる?」

 メンバー一覧の空白欄に植松茉利の名前と、自分の名前を記入していると、オレの後ろに並んでいる気配を感じた。ポンさんはオレの背後にいる人物に声を掛けた。

「キミもグループ内の人間ではないよね? 推しと名前記入してくれるかな?」

「…………いや、自分はすぐ帰りますんで」

 オレが名前を書いている横で会費1500円を支払ったフリガルファンは名前も書かずに中へと入って行ってしまった。

「書きました」

 参加費を払い、急いでソイツの後を追うように会場に入る。

 中へ入ると、ザッと200人近くいるように見えた。男が多いが、女子もいる。会場内はフリガルの音楽が流れていて、各々グッズを並べたり、CDを持ち合っていたりととても賑わっていた。

 皆、オフ会経験済みなのだろう。一人でいるヤツは誰一人としていなかった。

「ソフトドリンクどれがいい? この中から一つ選んでねー」

「あ、ありがとうございます」

 机に並べられている缶ジュースを一つ手に取る。

 早くもアウェイ感が半端ないオレ。雄大を探すこともなく、オレの横で会費を支払ったヤツを探す。後ろ姿しか確認できていないけど、とにかく全身が黒かった。背は高くなくて髪は短く、黒いニット帽子に黒いコート。声の籠り具合からしてみて、マスクをつけていたような気がする。ただ、男か女かまでは分からなかった。

 会場内の端から端まで見渡していると、その人物は存在感を消すようにちょこんと座っていた。

 マスクとサングラスまで掛けている。周りを見ても完全に一人浮いてしまっている。貰えるはずの缶ジュースでさえも手に持っていなかった。

 気になって近づく。

 そして何も言わずに隣に座った。当たり前だが、隣の黒ずくめもオレに話しかけてくることはしない。このままじゃ会話をせずに終えてしまいそうだ。

「あの……飲み物は? 貰わなかったんですか?」

「……うん、もう帰るし」

 声の高さからして、声変わりする前の男子に見える。年下だろうか。どことなく、オレと年齢が近い気がする。

 ――にしても、こいつは何故こんなにも帰りたがっているのだろう。けれど、オレも今ここにコイツがいなかったら帰っていたかもしれない。コイツの気持ちは理解できなくもない。

「なんかグループできちゃってるし、オレも帰ろうかな」

「……話しかけに行けば? ほら、あっちとか分かりやすくサキ推しって旗が立ててあるじゃん」

「…………いや、オレ、サキ推しじゃないし」

「……ふーん、まあ私には関係ないけど」

 「私」と言ったことから、こいつが男ではなく女だということが分かった。ヨイショと腰を上げ、今にも帰ってしまいそうなサングラス女子に「待って」と声を掛ける。

 女だからコイツに興味が出たとか、そういうわけじゃない。けれど、何でこんなにすぐに帰りたがっているのかだけ知りたかった。

 こいつもまつりが好きなように感じた。勝手な押し付けだけど、まつりが好きだったら嬉しいなと思った。

「おまえはフリガルで誰が好きなの?」

「…………誰も好きじゃない」

「はあ? じゃあなんでここに来たんだよ。あっ、オレはまつり推し!」

「ふーん、私はまつり大嫌い」

 興味なさげにそう吐き捨てて、黒ずくめ女子は速足でドアの方に歩いていく。帰る気だろう。

 「まつりは不人気」この言葉は聞きなれているはずなのに、今目の前にいるコイツに「大嫌い」と言われてムカついて黒ずくめ女の後を追う。どうしても許せなかった。

 入口のドアに向かっている「あっ、拓真! こっち来いよ!」オレを発見した雄大に声を掛けられた。

 雄大の周りには沢山の人がいてオレがいなくても馴染んでいるのか分かる。

「ごめん、雄大。オレ、もう帰るから」

「はあ? 帰るって、まだ始まってない――『じゃ、また学校で!』

 開始まで残り5分だが、未だ受付をしているポンさんに「帰ります」と頭を下げ、逃げるようにその場を後にした。

「ちょっと待てってば!」

 黒ずくめ女子の腕を掴み引き止める。

「アンタ、しつこいよ」

 サングラスとマスクのせいで表情は分からないけど、明らかに怒っている。

 …………こっちの方が数倍イラついてんのに、逆ギレかよ。

「興味ないってのは勝手だけど、大嫌いってなんだよ。それを、ファンだって言っている人間に吐き捨てる言葉かよ!?」

 イライラの歯止めがきかず、つい言い返してしまう。だって許せない。こんなヤツがいるから……

「おまえみたいなヤツがいるからまつりは消息不明なんだろ。おまえらみたいなアンチのせいで、どれだけ傷ついてると思ってんだよ」

「…………は? なにそれ」

「まつりが消息不明なの知らないわけじゃないだろ」

「だからって、何で消息不明がイコール誹謗中傷になるわけ」

「オレはフリガルが結成されてすぐにファンになった。最初の頃はまつりも笑ってたよ。でも、まつりはどんどん笑わなくなった。今じゃ『微笑むことすらしない冷徹まつり』なんて言われて、フリガルを抜けろなんて言うやつまでいる」

「…………まあ、抜けたほうが彼女のためだろうね。実際浮いてるし、冷たいんじゃない?」

「冷たくねぇよ! いや、冷たいのかどうかはプライベートまでは分らないから何とも言えないけど、オレはまつりを応援していたい。だから生きていてほしい。死なないでほしい」

 感情が込み上げ、涙腺が緩む。掴んでいた腕をそっと離すと、黒ずくめ女子は『ハア』とため息を吐いた。

「……アンタ見てたらなんか、悩んでるのバカバカしくなったよ。知ってる? まつりって、ロックな曲調が好きって話」

 …………は? え?

 黒ずくめ女子から出た話題は、ファンクラブ限定且つ、グループ内で好きなメンバーを選択している人にしか送られてきていないまつり情報だった。

 もちろんその話がフリガルファンに回ってはいるだろうが、まつりファン以外が、まつりはロックが好きだなんて気にかけている人はどれくらいいるのだろう。

「……なんだ、好きなんじゃん」

 本当はロックの話で盛り上がりたいのに、黒ずくめ女子からまつりの話題が出て、嬉しくて口元が緩む。そして、

「あたり前だし! 知ってるし!! その後のまつりが作詞作曲した数十秒のサビ流れたの知ってるか!? 超シビれたろ!」

 古参アピールをしまくる。

「数秒しか流れてないのにシビれたの?」

 本当はまつりが好きで仕方ないくせに、白けた目でオレを見ているであろう黒ずくめ女子につい、ムキになる。

「数秒じゃねぇし! 数十秒!!」

「あー、ハイハイ、細かいな……」

「でさ、オレ思ったんだよ、まつりを活かすのはこういう曲だって! オレ、まつりのソロ曲はこういうカッコイイ曲がいい!」

「じゃあやっぱりフリガルやめた方がいいんじゃないの? 人気ないし」

「おまえ分かってないなー! まつりは絶対人気になる! だってまつりは最高に可愛くてカッコイイんだから! グループにいなくてはいけない存在に後々なるんだよ!」

 まつりに対する熱量が抑えきれずに爆発してしまう。だって、コイツはオレとおなじくらいまつりを好きだって思うから。

 ――そう、伝わるから。

 数秒の沈黙の後、黒ずくめ女子は口を開いて問いかけてきた。

「……ふーん、そういえばアンタは来月のフリガルのアリーナライブ行くの?」

「アンタじゃない! 佐野拓真! ファンクラブも一般応募も外れたし! まつりの誕生日なのにマジ最悪だよ」

 女はオレの話を聞いているのか聞いていないのか、自分のリュックを開けるなり何やらゴソゴソと探しものをしているようだった。

「……おい、何して『あったあった、はい、コレ』

 差し出された物はチケットを入れる封筒だった。

 …………え? な、なに?

 中身を開けるとフリガルのチケットが2枚入っていた。

「……え、は?」

 口をポカンと開けていると「それ、あげる」とフリガルのチケットを譲ってくれた。

「は!? いや、え? おまえは? 行かないのか!?」

「うん、用事で行けないからあげる」

「…………いや、でも……」

 でも、まつりは未だに行方が知れていない。ましてや、生きているかさえ分らない。まつりの今後を、フリガルのこれからを考えると受け取るわけにはいかなかった。

「わ、わるい、やっぱいいや」

「なんで? 別の用事入れた?」

「いや、違うけど……だってまつりはまだ消息不明だし」

「信じてないんだ? まつりのこと」

「…………は!? いや、信じてるし! やっぱ貰うし! つーか、チケ代払わせてよ!」

「いや、いらない。じゃあね、拓真」

 女はオレに手を小さく振り、居合わせたタクシーに乗り込んでしまった。

 ……あ、黒ずくめ名前、聞くの忘れた。

 それから2時間後、まつりが無事だという記事が速報で流れてきた。なんでも、電車でよく分からない場所に行き着いてスマホの電源もお金もなく、今の今まで彷徨い歩いていたらしい。

 世間はまつりに対しての意見が厳しかったが、そんなのどうでも良かった。まつりが生きてくれていたことに、無事でいてくれたことが嬉しくて、

「ううっ、まつり……、よかった!」

 オレは声を上げて泣いた。





 騒動から一ヶ月後、まつりの誕生日のコンサートは無事に開催された。

 朝早く並んでグッズを購入し、会場外で黒ずくめ女子がいないかと探し回った。けれど、黒ずくめ女子の姿はなかった。

 ……お礼、言いそびれた。

 心の中で感謝しながら黒ずくめ女子から譲り受けたチケットを持って雄大と一緒に会場へ入る。

「拓真、席やばくね!? おまえ神かよ!?」

「いや、オレじゃなくて黒ずくめ女子が譲ってくれたから……」

 座席はバックステージの最前列で、サキリン推しの雄大は大興奮だ。

 MC中にまつりの誕生日ケーキも運び込まれて、オレの推しは涙を流しながら喜んでいた。そして、ラスト終盤にまつりのソロ曲になった。

 まつりがオレの目の前にいる。今までのカワイイ衣装とは違い、カッコイイ衣装で、身体にはギターの紐を掛け、両手に持っていた。マイクはスタンドでセットされていることから、1曲全てをここで歌うのだろう。

 嬉しさと緊張で、ゴクリと生唾を飲む。

「皆さん、先月は私の不手際でお騒がせしました。私には趣味があります。ロックな曲を作ることです。とあるファンの子と偶然会う機会がありました。『まつりは絶対人気になる! だってまつりは最高に可愛くてカッコイイんだから!』って言ってくれました。なので、皆さんにもっと、違う一面の植松茉利を見せていけたらと思います。聞いてください」

 まつりはオレが黒ずくめ女子に話したことをファンの皆に伝えた。
 …………あれは、あの黒ずくめ女子はまつりだったんだ。

 ――まつりの感情が、魂が、そのまま歌で表されているようで、全身に電気なようなものが走った。


 涙を流しながらまつりを眺める。そんなオレに、まつりは目を合わせてくれた。そして、ずっと見れていなかった笑顔を向けてくれた。

「う、グズッ、まつり……」

 歌いたい歌を歌えてくれていることが嬉しくて、立っていることができず、蹲る。オレの声が周りに聞こえないことを良いことに子供みたいにワンワン泣いた。

 そんなオレを雄大は慰める。

「おい、大丈夫か!? でも、拓真の泣いちゃう気持ち分かる。俺も今まつり推しになったわ」

 雄大が親指を立てて、自信満々にオレに頷いた。

「……グズッ、え……雄大はサキリンじゃないの?」

「いや、推し変も悪くないなーって。つーか、こんなまつり見せられたら推し変しない方がおかしくね?」

 ハアアアアッ!?

 まつりが人気になってほしいとは思っていたけど、こんなに一瞬で人気になるもん!? 冗談じゃない!!

「やだ! オレ、同担無理ってわかった! やっぱり雄大はサキリン推しでいて!」

「はあ!? 今日からまつりを推すって決めたんだよ!」


 雄大の宣言通り、今日のライブを堺にまつりファンは一気に増えていった。そしてとうとう半年後、1年に1回行われるファン人気投票ではサキリンを抜いてぶっちぎりの1位に大どんでん返しを果たした。

 オレが思っていたように、まつりはフリッツガールにいなくてはならない存在となった。


 ――オレの推しであるアイドルは、少しずつ笑顔を見せている。


 「微笑まないアイドル」いつしか、そう呼ばれていたけれど、今では「微笑む瞬間が超絶カワイイ」と注目されている。


 当然だ。


 だってまつりは、最高に可愛くてカッコイイんだから。



◆END◆