〔彗side〕

 すうすうと隣から小さな寝息が聞こえてくる。視線を流すと、整った顔で眠る幼馴染みが視界に映った。

「まつ毛、なが……」

 ふと声に出てしまう。そのまつ毛がわずかに動いた気がして内心どきりとするけれど、どうやら気のせいだったらしい。彼女らしい、おだやかな顔で寝ている。

「桜都は美人さんだよね」

 ふいに耳に届いた声に心臓が跳ねる。途端に高鳴る胸の音が、ドクンドクンと速さを増して響きだした。

「そう……だよな」
「うん」

 ふふ、と笑う美しい横顔を、ずっとみていたいと思った。さらりと吹いた風に、肩までの髪が揺れる。

 ───…ああ、()れたい。
 いつものように、唐突にそう思った。伝えられない想いを、俺は今夜もまたひとつ重ねる。

「桜都もほまれも、よほど疲れちゃったんだね。それとも僕が星のことを話し過ぎちゃったのかな」

 そう言いながら、眠るほまれに視線を落とす。

 どうしてこんなに近くにいるのに、遠く感じてしまうのだろう。なんで俺たちの間には、見えない大きな壁が立ち塞がっているのだろう。

「……彗?」

 少しだけ首を傾げた"彼"の髪がさらりと垂れる。艶やかな瞳に見つめられて、どうしようもなく心が揺さぶられた。

 夜は危険だ。すべてが、留められなくなりそうで。気を抜くと溢れだしてしまいそうで。その視線に触れるたび、彼に触れたい、触りたいと己の欲に呑み込まれてしまいそうになる。

「悪い。ぼーっとしてた」

 無理やり口角を上げて、視線を逸らす。それからゆっくりと地面に寝転んで目を伏せ、夜を吸い込んだ。

「落ち着く?」
「……ああ」

 どうしても震えるな、声が。笑ってしまうほど、ふるえる。

「小さい頃ふたりで星を見たこと……彗は覚えてる?」



 それは、忘れられない夏の記憶。
 夏休みの一日、家が近い紫苑が初めて俺を誘いにきた日。

『僕と一緒に、星みない? け、けいっ……くん』

 今と同じ翡翠色に輝く瞳を揺らし、そう消えそうな声で言ってきた彼。大きくて丸い目と、すべすべの肌と、ぷっくりとした唇。
 記憶の彼はまだ幼くて。顔のパーツが下に寄っているから、今よりも童顔で、可愛らしい顔立ちをしていた。ただ、髪の毛は黒くて、今よりもずっと短かったけれど。

『みる』

 そんなたった一言で宝石のように目を輝かせた彼は、俺の手を引いて星空のもとへと連れていってくれた。

 まだ子供だった俺たちは、もちろん遠くになんて行けなくて。暗いなか、走ったのはよく遊んでいた公園。ベンチに座って肩を並べて、満天の星空を眺めた。

『きれい?』

 少しだけ首を傾げて訊ねられる。
 煌めく光を映す瞳と視線が絡まり、ドクッと今までにないほど鼓動が跳ねる。輝く星よりも目を奪われる存在が、目の前にあったのだ。
 もっときれいなものが、ここに。

 ────そのときから俺は、ずっと。


「……悪い。忘れたわ」

 けれど、俺はなんとしてでも隠しとおさなければならない。
 改めて昔の話をすると、どうしても苦しくなってしまうから。切なさに、やるせなさに、押し潰されてしまいそうになるから。弱い俺には、到底向かっていけるような勇気なんてない。
 この気持ちは押し殺して、なかったことにするんだ。全部、ぜんぶ。過去の思い出もすべて、記憶から消して。

「そっか」

 眉を下げて、ゆら、と瞳を揺らした紫苑。静かに震える唇と、伏せられたまつ毛。
 心が悲鳴をあげる音がした。

 やめてくれ。そんな顔、するな。
 俺はお前のそんな顔なんて見たくない。ふとした瞬間に()せる微笑みが、たまらなく好きなのに。

 もしもこの世に神様がいるとするならば、俺に忘れ方を教えてください。記憶を消す方法を、どうか教えてください。愛してやまない存在を傷付けずに済む方法を教えてください。

 想いが芽生える前に戻る方法を、どうか。

「でも僕は、こうしてまた彗と一緒に星を見ることができて嬉しい」
「……っ」
「あ、流れ星」

 スッと夜空を横切った光。黙って見上げていると、もう一度続けて流れる。

「お願いごとしないとね、けいっ!」

 ああ、しんどいな。本当に苦しい。
 人の気も知らないで、どうしてお前はそんなにずるいんだ。

 いっそこんな感情捨てて、はやく楽になりたい。この気持ちを、忘れてしまいたい。
 もう、好きでいたくない。この想いに終止符を打ちたい。

 ────なんて気持ちとは裏腹に。
 流れる星にまったく反対のことを願ってしまうのも、また俺の弱さなのだろう。



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