「──い……おい、桜都」
「ん……もう、朝?」
「寝ぼけてるのか? 桜都だけが頼りなんだ、しっかりしてくれよ」

 うっすらと目を開ける。果たして、まぶたはこんなに重たかっただろうか。
 ぼやけていたピントがゆっくりと合い、目の前の人物の輪郭がはっきりしていく。くっきりとした二重、高い鼻、パーツ配置が完璧な顔が目の前にある。肌は、黒い。

「……っ!? え、け、けい……っ!?」

 ガタッ、と椅子が揺れて落ちそうになった身体を支えてくれたのもその人物で。ドクッ、と鼓動が大きく響き、途端に心臓が暴れだす。

「あ、ありがと……!」

 逃げるように離れると、窓のそばにいた彗が「悪い」と手を合わせた。

「外から声かけたんだけど、一向に出てくる気配がないから。女の子の部屋なのに勝手に入ってきてごめんな」
「ううん。こっちが寝ちゃったのが悪いから」
「こいつは一回寝たら絶対起きないからな。桜都しか希望がなかった」

 ほまれを指差して苦笑する彗は、「それにしても」と眉を下げながら言葉を続けた。

「椅子に座ったまま寝てたけど、身体とか痛くないか?」
「えっ……あ、うん。大丈夫」

 こういうことをさらっと言える人がモテるのだ、きっと。少なくとも私はこれだけでも十分ときめいてしまった。窓の外を見るともう空は真っ暗で、キラキラと星が輝き始めていた。

「ほまれ、起きて」

 肩を揺らすと綺麗な顔がくしゃりと歪んで、ゆっくりと目が開いた。

「桜都、おはよ」
「うん、おはよう」

 隣で彗が「すげえ一発だ」と感心している。ゆっくりと目線を動かして目を慣らしたほまれは突然ガバッと起き上がり、いつものようにとびきりの笑顔を見せた。

「寝たから元気になった! 今から何する? どんな楽しいことする?」

 彗が相変わらずだなと言ったように肩をすくめる。いつもの調子に戻ったほまれを見て安堵した私はそこでようやく紫苑がいないことに気がついた。

「あれ、紫苑は?」
「外にいる。みんなで天体観測したいんだって。だから二人のこと呼びに来たんだ」
「いいね! 天体観測!」

 きゃはっと声を上げたほまれがいちばんに部屋を出ていく。さっき目覚めたとは思えない速さだ。脳が覚醒するのが異常なまでに速い。

「俺たちも行こうか」
「うん」

 振り返った彼に返事をし、高鳴る鼓動を抑えながらその背中を追った。

* *

「あれはベガ、あっちがデネブ、あれがアルタイル。この三つを繋いでできるのが夏の大三角だよ。って、これは定番だから知ってると思うけど」
「聞いたことはあるけど、実際に見るのは初めてかも。へぇ、あれが夏の大三角なんだね。すごく勉強になる」
「ちなみに七夕の伝説において、ベガは織姫、アルタイルは彦星なんだよ。あの星と、あの星」
「天の川のお話?」
「うん。まあ色々省略しすぎだけど、一応はそうだね」

 寝転んだ隣でものすごく話が弾んでいる。
 星に詳しい紫苑と、逆に知識は多いとは言えないけれどその分興味があるほまれ。
 需要と供給が成立し、メジャーなことからマイナーなことまで、幅広い会話がなされている。二人は星と星をつなげるように、夜空に手を伸ばして指でなぞる仕草をした。

 けれど私は正直なところ、緊張しすぎて会話が頭にちっとも入ってこなかった。その理由は言うまでもない。隣に彗がいるからだ。

「綺麗だな」
「そう、だね」

 顔を見れないまま、夜空を見上げて答える。話に夢中になっているほまれと紫苑には、こちらの声は届いてないようだ。紫苑の説明の合間に「へぇー」や「そうなんだ!」と言ったほまれの相槌が聞こえてくる。ほまれは話し上手だけど、それと同時に聞き上手でもあるから、普段あまり声音が変わらない紫苑の声が生き生きとしている。

「星、久しぶりに見た」
「うん、私も」

 返事をすると、静かに息を吐いた彗は、少しだけ掠れた声で言葉を続けた。

「俺たちって勉強とか部活とか、進路のこととか人間関係とか、そういう目の前のことをこなすのに必死でさ。視界に入るものを当たり前のものとして何気なく見てると思うんだ」
「えっ……?」

 驚いて彗のほうを向くと、同じように振り向いた彗と視線が絡まる。茶色い瞳がまっすぐに私を射抜く。艶やかな微笑を浮かべた彗は、もう一度空に視線を流した。

「当然のことかもしれないけど、小さい頃見てた景色って今と全然違うだろ? 俺、夏はとくにそう思うんだ。同じ夏休みで期間は同じはずなのに、ワクワクとかドキドキとか、そういう感情がいつからかなくなってた」
「……私も」

 日々思っていることを言葉にされて驚く。心を読まれているのかと思った。

「祭りに行ったり花火を見たり、昆虫採集とかプールとか。もちろん宿題もあったけど、それも含めてイベントがたくさんあった。小さい頃の俺たちにとって夏は常に特別感で溢れていたんだと思う」
「私も思ったことある。できることの幅が格段に増えたはずなのに、もっと小さい時に過ごした夏には勝てないって」

 呟くと、嬉しそうに顔を綻ばせた彗が、キラキラとした瞳で私を見た。

「共感してもらえる日が来るなんて。すげえ嬉しい」
「私も、誰かとこんな気持ちを分かり合える日が来るなんて思っていなかった」

 なんとなく言葉にするのが恥ずかしくて、人には言えなかった。「で?」と心底どうでもよさそうに流されるのも怖かった。だから、このなんとも言えない気持ちを表現してもらえる日が来るなんて。

「なんとなくだけど、この夏は特別なものになる気がする。きっと子供の頃の夏みたいに、鮮やかに記憶に残るんだ」
「うん。私もそう思う」

 この夏が終わって記憶が消えても、きっと一生忘れないだろう。
 そんなことをぼんやりと考えてしまうほど、目の前に広がる星はただひたすらに美しいものだった。