「お前ってさあ、なんなの」
居間で少しゆっくりしてから、私にあてがわれた部屋に入ろうとしたとき、ここまで案内してくれた漣が壁に寄りかかり、険しい表情で腕組みをしながら言った。
さっきまでの苛立ちで気が立っているせいか、そんな些細なことにさえ怒りが込み上げてくる。なんて偉そうな態度なの、同い年のくせに。
「なんなのって、なにが?」
対抗するように不遜な口調で返すと、彼は右側の眉をくっと上げた。
「なにって、さっきのじいちゃんたちに対する態度だよ」
私は眉をひそめて漣を見つめ返す。態度がどうこうって言うなら、あんたのほうがよっぽど問題ありだと思うけど。そんな思いを視線に込めつつ。
「……別に普通だし。私はもともとこういう人間なの。生まれつきなんだから仕方ないでしょ」
極力感情をにじませない声で答えると、彼は深々と息を吐いて、脱力したように肩をすくめた。
「……まあ、いいよ。今日来たばっかりだしな、疲れてんだろ」
そりゃ疲れてるよ、ほとんどがあんたのせいだけどね、と心の中で毒づく。
自分でも呆れるけれど、一度苛々し始めると、どうにも抑えがきかない。しかも漣は、わざとなんじゃないかと疑ってしまうくらいに、私の気持ちを逆撫でするようなことばかり言ってくるのだ。相性が最悪なんだと思う。これで怒るなというほうが無理な話だ。
「じゃ、俺、自分の部屋にいるから。なんか分かんないことあったら呼んで」
漣はそう言って踵を返した。絶対に呼ばないし、と思いながら私は部屋に入る。
畳敷きの六畳間で、空っぽの学習机と本棚、それと古いタンスだけが置かれた殺風景な部屋だった。ベッドがないということは、布団か。押し入れの中に入っているのだろうか。
荷ほどきを始めたとき、ふいに、しまった、と思う。コンビニの場所をちゃんと教えてもらうのを忘れていた。
おばあちゃんに訊くしかないか、とため息をついたとき、ふすまの向こうで足音がした。考える間もなく、こつんとノックの音が響く。
「俺だけど。開けていい?」
漣の声だった。やっといなくなったと思ったのに。
黙っていると、「開けるぞ」という声と同時にふすまが開いた。
「そういえばお前さあ、さっき、なんか買い物したいって言ってたよな」
まるで考えを読まれていたかのようなタイミングに面食らいつつ、こくりとうなずく。
「ぼやぼやしてると店閉まるから、夕飯の前に行っといたほうがいいぞ。地図書いてやるから」
「あ……りがと」
絞り出すように言うと、
「ちゃんとお礼言えんじゃん」
と漣が肩をすくめた。いちいち嫌みったらしい言い方をする。
そう思ってから、そういえばさっきおじいちゃんとおばあちゃんにちゃんとお礼を言っただろうか、という考えが頭をよぎった。緊張や混乱や苛立ちで気持ちが落ち着かなくて、言わなかったかもしれない。漣はさっきそのことを言っていたのだろうか。
そんなことを考えているうちに、彼はどこかからチラシを小さく切ったらしいメモ用紙とペンを持ってきて、机に屈み込んで地図を書き始めた。
「ここ、地蔵がある角で右に曲がる。そしたら庭にたくさん花が植えてあるでっかい家が見えてくるから、そこを左に曲がって……」
口で説明しながら、裏紙に線や文字を書き込んでいく。粗暴な印象のわりに、意外にもすっきりと整った字だった。
「で、まっすぐ行って右に曲がったら着く。分かったか?」
「たぶん……行けば分かる」
「そうか。さっきも言ったけど、けっこう遠いから気をつけろよ。あと、もし迷ったら電話しろ、ここに俺の携帯番号書いとくから」
そう言って漣は紙の隅にさらさらと十一桁の番号を書きつけた。意地でも電話なんてしないと思うけれど、表面上はありがたく受け取っておく。
「……ありがと。じゃあ……」
私は小さく告げ、地図と財布と携帯を入れたトートバッグを腕にかけて部屋を出た。
すると、なぜか漣がうしろをついてくる。まさか見送るつもりなんだろうか。気遣いなんだろうけれど、余計なお世話だ。
そのまま玄関まで縦に並んで歩いて、さすがにそこまでかと思いきや、彼は私に続いて自分もスニーカーを引っかけて外に出てきた。
この流れは、もしかして「行ってきます」とか言わなきゃいけないやつ? かなり嫌なんですけど。
どうすればいいか分からず、結局無言で歩きだそうとしたとき、「おい、真波」と声をかけられた。またなにか言われるのだろうかとげんなりしながら振り向くと、漣は自分の自転車を車庫から引き出しているところだった。
「歩いて行くのか? チャリ貸すぞ」
私はすぐに首を横に振る。
「いや、いい。歩くから」
すると彼がむっとしたように「あのなあ」と顔をしかめた。
「人の厚意は素直に受け取れよ。簡単に歩いて行ける距離じゃねえって言っただろ」
それは分かっていたけれど、私は頑なに首を振り続ける。
「でも……いい、歩く」
そう言って再び歩きだそうとすると、漣がさっと自転車を押して私の目の前に立ちはだかった。
「なに、もしかしてお前、自転車乗れねえの?」
真顔でそんなことを訊ねてくる漣に、私は苛々しながら眉をひそめて答えた。
「別に乗れるし。嫌いだから乗らないだけ」
「それ、乗れないってことじゃん」
漣が肩をすくめて言った。なんて嫌みなやつ。馬鹿にしてるのか。
「……昔、自転車乗ってたときに、ちょっと嫌な思いしたことあるの。わざわざ危ないものに乗る必要ないし、それ以来、乗らないことにしてるだけ」
さらに馬鹿にされることを予想していたけれど、漣は意外にも「あっそ」とうなずいて、自転車のサドルにまたがった。
「しゃあねえな。うしろ乗れ」
彼はあごで荷台を指しながら言った。
まさか、ふたり乗りをしていくということだろうか。嫌だ。
でも、これだけ疲れている身体で、夕暮れの見知らぬ町を三十分も歩くというのは、考えただけで気が滅入った。
私は仕方なくうなずいて、荷台に手をかけた。どういう姿勢をとればいいのか一瞬考えて、前向きに荷台にまたがるとかなり密着する体勢になりそうだったので、横向きに座ったほうがよさそうだと判断する。これならあまり接近せずに済みそうだった。しかも横を向いているので心情的にも少しはましだ。
とん、と荷台に腰を下ろすと、漣がハンドルを握ったままちらりと振り向き、左の口角を少し上げて生意気な表情で言った。
「なんだ、素直にもなれるんじゃん」
その皮肉な言い方にかちんときて、私はとうとう「うるさい」と口に出して反発した。初対面だからと今まで我慢していたけれど、漣はなんでも言いたい放題なのだ。私だって言ってやる、と思った。
彼は呆れたようにふっと息を吐いてから、こちらへ片手を差し出してきた。
「鞄。かごに入れる」
私は膝の上に置いたトートバッグをぎゅっとつかんで、ふるふると首を振る。
「いい、自分で持てるから」
すると漣が苛々したように言い募った。
「いいから貸せって。荷物持ったままじゃ両手でつかまれなくて危ねえだろ」
柄にもなくどきりとしてしまった。危ないって、私のことを心配してくれてるってこと? そんなふうに思ってしまった自分の愚かさを、続く彼の言葉で思い知らされる。
「お前に怪我させたら、俺がじいちゃんばあちゃんに申し訳が立たないんだよ」
ああ、そういうこと、と一気に脱力する。
そりゃそうか、私なんかの身を心配するわけないよね。大家さんの孫に怪我なんかさせたら下宿させてもらえない、ってことか。
私は無言のまま押しつけるように漣にバッグを手渡した。
「お前なあ……なんだよその渡し方。いちいち腹立つな」
「うるさい。店閉まったら困るから、急いでよ」
こんな無神経な男に気を遣うのがばかばかしくなって、私は思ったままを口にした。
「乗せてもらってるくせに偉そうだな」
「頼んでないし。あんたが勝手に乗れって言ったんでしょ」
さすがに怒って「じゃあひとりで行け!」とでも怒鳴られるかと思ったら、意外にも漣は、あははっ、と堪え切れないように声を上げて笑った。
「お前、絵に描いたようなひねくれキャラだな。漫画かよ」
くくくっと声を洩らしながら、漣は自転車を漕ぎ始めた。正面を向いているので、私からはその表情は見えない。
まだ出会ったばかりとはいえ、彼がこんなふうに屈託なく笑うのは初めてだった。この不遜で無愛想な人間は一体どんな顔をして笑っているんだろう、となんとなく考える。別に見たくもないけれど。
「いいから、早く漕いでよ」
やっぱりこいつ苦手だ、と思いながら、私は彼の背中を軽く叩いた。
居間で少しゆっくりしてから、私にあてがわれた部屋に入ろうとしたとき、ここまで案内してくれた漣が壁に寄りかかり、険しい表情で腕組みをしながら言った。
さっきまでの苛立ちで気が立っているせいか、そんな些細なことにさえ怒りが込み上げてくる。なんて偉そうな態度なの、同い年のくせに。
「なんなのって、なにが?」
対抗するように不遜な口調で返すと、彼は右側の眉をくっと上げた。
「なにって、さっきのじいちゃんたちに対する態度だよ」
私は眉をひそめて漣を見つめ返す。態度がどうこうって言うなら、あんたのほうがよっぽど問題ありだと思うけど。そんな思いを視線に込めつつ。
「……別に普通だし。私はもともとこういう人間なの。生まれつきなんだから仕方ないでしょ」
極力感情をにじませない声で答えると、彼は深々と息を吐いて、脱力したように肩をすくめた。
「……まあ、いいよ。今日来たばっかりだしな、疲れてんだろ」
そりゃ疲れてるよ、ほとんどがあんたのせいだけどね、と心の中で毒づく。
自分でも呆れるけれど、一度苛々し始めると、どうにも抑えがきかない。しかも漣は、わざとなんじゃないかと疑ってしまうくらいに、私の気持ちを逆撫でするようなことばかり言ってくるのだ。相性が最悪なんだと思う。これで怒るなというほうが無理な話だ。
「じゃ、俺、自分の部屋にいるから。なんか分かんないことあったら呼んで」
漣はそう言って踵を返した。絶対に呼ばないし、と思いながら私は部屋に入る。
畳敷きの六畳間で、空っぽの学習机と本棚、それと古いタンスだけが置かれた殺風景な部屋だった。ベッドがないということは、布団か。押し入れの中に入っているのだろうか。
荷ほどきを始めたとき、ふいに、しまった、と思う。コンビニの場所をちゃんと教えてもらうのを忘れていた。
おばあちゃんに訊くしかないか、とため息をついたとき、ふすまの向こうで足音がした。考える間もなく、こつんとノックの音が響く。
「俺だけど。開けていい?」
漣の声だった。やっといなくなったと思ったのに。
黙っていると、「開けるぞ」という声と同時にふすまが開いた。
「そういえばお前さあ、さっき、なんか買い物したいって言ってたよな」
まるで考えを読まれていたかのようなタイミングに面食らいつつ、こくりとうなずく。
「ぼやぼやしてると店閉まるから、夕飯の前に行っといたほうがいいぞ。地図書いてやるから」
「あ……りがと」
絞り出すように言うと、
「ちゃんとお礼言えんじゃん」
と漣が肩をすくめた。いちいち嫌みったらしい言い方をする。
そう思ってから、そういえばさっきおじいちゃんとおばあちゃんにちゃんとお礼を言っただろうか、という考えが頭をよぎった。緊張や混乱や苛立ちで気持ちが落ち着かなくて、言わなかったかもしれない。漣はさっきそのことを言っていたのだろうか。
そんなことを考えているうちに、彼はどこかからチラシを小さく切ったらしいメモ用紙とペンを持ってきて、机に屈み込んで地図を書き始めた。
「ここ、地蔵がある角で右に曲がる。そしたら庭にたくさん花が植えてあるでっかい家が見えてくるから、そこを左に曲がって……」
口で説明しながら、裏紙に線や文字を書き込んでいく。粗暴な印象のわりに、意外にもすっきりと整った字だった。
「で、まっすぐ行って右に曲がったら着く。分かったか?」
「たぶん……行けば分かる」
「そうか。さっきも言ったけど、けっこう遠いから気をつけろよ。あと、もし迷ったら電話しろ、ここに俺の携帯番号書いとくから」
そう言って漣は紙の隅にさらさらと十一桁の番号を書きつけた。意地でも電話なんてしないと思うけれど、表面上はありがたく受け取っておく。
「……ありがと。じゃあ……」
私は小さく告げ、地図と財布と携帯を入れたトートバッグを腕にかけて部屋を出た。
すると、なぜか漣がうしろをついてくる。まさか見送るつもりなんだろうか。気遣いなんだろうけれど、余計なお世話だ。
そのまま玄関まで縦に並んで歩いて、さすがにそこまでかと思いきや、彼は私に続いて自分もスニーカーを引っかけて外に出てきた。
この流れは、もしかして「行ってきます」とか言わなきゃいけないやつ? かなり嫌なんですけど。
どうすればいいか分からず、結局無言で歩きだそうとしたとき、「おい、真波」と声をかけられた。またなにか言われるのだろうかとげんなりしながら振り向くと、漣は自分の自転車を車庫から引き出しているところだった。
「歩いて行くのか? チャリ貸すぞ」
私はすぐに首を横に振る。
「いや、いい。歩くから」
すると彼がむっとしたように「あのなあ」と顔をしかめた。
「人の厚意は素直に受け取れよ。簡単に歩いて行ける距離じゃねえって言っただろ」
それは分かっていたけれど、私は頑なに首を振り続ける。
「でも……いい、歩く」
そう言って再び歩きだそうとすると、漣がさっと自転車を押して私の目の前に立ちはだかった。
「なに、もしかしてお前、自転車乗れねえの?」
真顔でそんなことを訊ねてくる漣に、私は苛々しながら眉をひそめて答えた。
「別に乗れるし。嫌いだから乗らないだけ」
「それ、乗れないってことじゃん」
漣が肩をすくめて言った。なんて嫌みなやつ。馬鹿にしてるのか。
「……昔、自転車乗ってたときに、ちょっと嫌な思いしたことあるの。わざわざ危ないものに乗る必要ないし、それ以来、乗らないことにしてるだけ」
さらに馬鹿にされることを予想していたけれど、漣は意外にも「あっそ」とうなずいて、自転車のサドルにまたがった。
「しゃあねえな。うしろ乗れ」
彼はあごで荷台を指しながら言った。
まさか、ふたり乗りをしていくということだろうか。嫌だ。
でも、これだけ疲れている身体で、夕暮れの見知らぬ町を三十分も歩くというのは、考えただけで気が滅入った。
私は仕方なくうなずいて、荷台に手をかけた。どういう姿勢をとればいいのか一瞬考えて、前向きに荷台にまたがるとかなり密着する体勢になりそうだったので、横向きに座ったほうがよさそうだと判断する。これならあまり接近せずに済みそうだった。しかも横を向いているので心情的にも少しはましだ。
とん、と荷台に腰を下ろすと、漣がハンドルを握ったままちらりと振り向き、左の口角を少し上げて生意気な表情で言った。
「なんだ、素直にもなれるんじゃん」
その皮肉な言い方にかちんときて、私はとうとう「うるさい」と口に出して反発した。初対面だからと今まで我慢していたけれど、漣はなんでも言いたい放題なのだ。私だって言ってやる、と思った。
彼は呆れたようにふっと息を吐いてから、こちらへ片手を差し出してきた。
「鞄。かごに入れる」
私は膝の上に置いたトートバッグをぎゅっとつかんで、ふるふると首を振る。
「いい、自分で持てるから」
すると漣が苛々したように言い募った。
「いいから貸せって。荷物持ったままじゃ両手でつかまれなくて危ねえだろ」
柄にもなくどきりとしてしまった。危ないって、私のことを心配してくれてるってこと? そんなふうに思ってしまった自分の愚かさを、続く彼の言葉で思い知らされる。
「お前に怪我させたら、俺がじいちゃんばあちゃんに申し訳が立たないんだよ」
ああ、そういうこと、と一気に脱力する。
そりゃそうか、私なんかの身を心配するわけないよね。大家さんの孫に怪我なんかさせたら下宿させてもらえない、ってことか。
私は無言のまま押しつけるように漣にバッグを手渡した。
「お前なあ……なんだよその渡し方。いちいち腹立つな」
「うるさい。店閉まったら困るから、急いでよ」
こんな無神経な男に気を遣うのがばかばかしくなって、私は思ったままを口にした。
「乗せてもらってるくせに偉そうだな」
「頼んでないし。あんたが勝手に乗れって言ったんでしょ」
さすがに怒って「じゃあひとりで行け!」とでも怒鳴られるかと思ったら、意外にも漣は、あははっ、と堪え切れないように声を上げて笑った。
「お前、絵に描いたようなひねくれキャラだな。漫画かよ」
くくくっと声を洩らしながら、漣は自転車を漕ぎ始めた。正面を向いているので、私からはその表情は見えない。
まだ出会ったばかりとはいえ、彼がこんなふうに屈託なく笑うのは初めてだった。この不遜で無愛想な人間は一体どんな顔をして笑っているんだろう、となんとなく考える。別に見たくもないけれど。
「いいから、早く漕いでよ」
やっぱりこいつ苦手だ、と思いながら、私は彼の背中を軽く叩いた。