料理を作り終えたころ、入り口のドアベルが鳴った。どきりと胸が高鳴る。
これからたくさんの子どもたちがここにやって来る。いくら食事の提供を手伝うだけとはいえ、少しは関わりを持たないといけないだろう。でも、小さい子は苦手だ。どんな顔をすればいいのか。私は上手くやれるだろうか。
不安に襲われながら振り返ると、小学校中学年くらいの男の子が三人、勢いよく飛び込んできた。
「ユウさん、こんにちは!」
「なんかいい匂いするー! 今日はなに食べれるの!?」
「ねえねえユウさん聞いて、今日ね、学校でね……」
一斉にまとわりつく彼らを見ただけで、どれだけユウさんが慕われているのか分かった。彼は「順番に話せよー」と困ったように言いつつも、嬉しそうに笑っていた。
次に入ってきたのは、低学年と幼児の小さな姉妹だった。
「おにーちゃん、遊ぼ!」
すぐに妹のほうが待ちかねたようにユウさんに抱きついた。するとお姉ちゃんのほうが「ユウ兄ちゃんは忙しいから、あとでだよ」とたしなめる。そんな様子を微笑んで見つめながら、彼は「よく来たね、あとでたくさん遊ぼう」とふたりの頭をくしゃくしゃと撫でた。
そのあとも次々に子どもたちがやって来る。みんなこの日を心待ちにしていたようで、満面の笑みで席について期待を込めた目でユウさんを見ていた。それにしても、鳥浦にこんなにたくさんの子どもがいるなんて、びっくりだった。
「すげえなあ。大人気」
いつの間にか隣に立っていた漣が、ひとりごとのように呟く。私も「すごいね」とうなずいた。すると漣は目を見開いて私の顔を覗き込んできた。
「お前、ユウさんのことになるとやけに素直だよな」
「……そう?」
「そうだよ。いっつもつまんなそうな顔して、ひねくれたことばっか言ってんのに」
「別に……いつもと変わんないよ」
なんだか図星を指されたようで恥ずかしく、うつむいて否定した。
確かにユウさんと話しているときの私は、漣に対するときと違って攻撃的なことを言わない自覚がある。でもそれは、漣が私に突っかかってくるからだ。ユウさんみたいに大人の態度をとってくれたら、私だっていちいち言い返したりしないのに。
そもそも、ユウさんののような人を相手に素直にならないほうが無理だと思う。彼を前にすると、なんだか毒気を抜かれたように、いつも張り詰めている気持ちがふわふわと柔らかくなってきて、彼を困らせるようなことは言いたくない、嫌われたくない、と思うのだ。そんなふうに感じる相手は初めてで、どうしてそんな気持ちになるのか不思議だった。
またドアベルが鳴り、私は入り口に目を向ける。そこには、困ったような顔の母親の手をぐいぐい引いて入店してくる男の子がいた。
「お邪魔します……」
母親が申し訳なさそうに頭を下げてから、店内を見渡してユウさんに声をかけた。
「すみません、ユウさん」
「あ、はい! どうしました?」
彼はにこやかに返事をして、彼女に駆け寄った。
「ごめんなさい……息子がどうしてもって言うもんだから、今日は子ども食堂の日って知ってたんですけど、私も一緒に来てしまいました」
「いえいえ! 全然大丈夫ですよ!」
「でも……あの、実は私のパートのシフトが変わって今週から金曜日は早番になったので、『おうちでママと一緒に食べよう』って言ったんですけど、この子ったら、『ユウさんのお店に行きたい』って聞かなくて……」
「えっ、そうなんですか」
ユウさんは男の子に目を向け、「ママ困らせちゃだめだろー。でもありがとな」と笑う。
「あの、子ども食堂なんだから、親は来ちゃだめですよね……」
窺うように言う母親に、ユウさんはにっこりと笑いかけた。
「そんなことないですよ! 別に子ども限定ってわけじゃないですので。きっとお母さんと一緒にいたいんですよ、ぜひふたりで食べていってください」
「いいんですか?」
「もちろん! 大歓迎です」
彼が大きくうなずくと、
「やったあ!」
男の子が満面の笑みで母親に抱きつき、「ママ、こっちこっち」と席に座らせた。それを微笑ましげに見送ったあと、ユウさんが「よし!」と声を上げた。
「じゃあ、ご飯にしよう!」
彼の号令を受けて、私と漣はカウンターの上に料理を並べていった。わあっと子どもたちの歓声が上がる。
「わー、うまそう!」
「豪華だ、豪華!」
子どもたちが取り皿と箸を持って大皿の前に集結する。
「玉子焼き! 玉子焼き!」
「ユウさんの玉子焼きうまいよなー」
「おにぎりの種類いっぱいある! すごい!」
「あー、たこさんウインナーだ!」
「あたしアスパラベーコン食べたい!」
「俺、唐揚げ、三つ取っちゃお」
一気に店内が騒がしくなった。すごいエネルギー量だ。子どもが大勢そろうとこんなにうるさいのか、と辟易して私は思わず一歩下がる。
ユウさんが楽しそうに笑いながら、
「こらこら、落ち着いて。順番に取るんだぞ。横入りすんなよ」
と言葉をかけると、子どもたちが「はーい!」と声を合わせて返事をした。
大皿料理を並べていた漣が、近くの男の子の取り皿を覗き込み、
「おい、野菜もちゃんと食べろよ」
と注意した。男の子が「うえ〜」と口をへの字に曲げる。
「なんだよ、生意気なやつだな」
漣は、ははっと笑って男の子の頭をぽこんと小突いた。
「いって! にーちゃんは野菜食えるのかよ!」
「食えるよ、大人だもん」
「本当かよ、食べてみせろよ」
「いいぞ、見とけよ」
漣は取り皿にレタスやキュウリ、トマトをひと切れずつのせて、ぽいぽいと口の中に放り込んだ。
「あー、うまい。新鮮だから瑞々しくてうまい。お前も食ってみろ」
そう言って、男の子の口にキュウリを放り込む。男の子は初め嫌そうに顔をしかめたけれど、もぐもぐと口を動かしたあと、「意外といける」とませた口調で言ってうなずいた。
漣があははと笑って、私の隣に戻ってくる。
「ガキって元気だよなー。学校終わったあとなのに、なんであんな走り回れるんだろ」
私はなんと答えればいいか分からなくて、話題を変える。
「……漣って、小さい子の扱い上手だね」
「あー、そうかな。まあ、弟がふたりいるから。下の弟はけっこう年離れてるし」
「え、そうなの? 漣って弟いたんだ」
「うん。真波は? きょうだいいる?」
「あー……」
ずきりと胸が痛む。家族のことを思い出すと、いつもこうだ。真樹の顔、お父さんの顔、そしてお母さんの顔が目に浮かんで、鼓動が妙に激しくなる。
「……いるよ、いちおう。弟、四つ下」
小さく答えると、ちょうどキッチンに戻ってきたユウさんが私と漣を交互に見た。
「ふたりとも弟いるの? 俺もいるんだ」
彼は目を細めて微笑む。
「えっ、そうなんですか? すげー偶然、三人とも弟いるとか」
漣がやけに嬉しそうに言った。私は、別に珍しくもないでしょ、と心の中で口を挟む。
「ユウさん、弟さんとめっちゃ仲良さそうですね」
漣の言葉に、ユウさんは笑顔でうなずいた。
「まあ、仲はいいほうかな。でも、小さいころは喧嘩もしたよ」
「えっ、ユウさんが喧嘩とか、想像できない」
私は思わず目を丸くした。喧嘩という響きは、ユウさんの対極にあるように思えた。
「してたよ、それなりに。チャンネルの取り合いとか、戦いごっこの延長とかね。でもまあ、いっつも一緒に遊んでたなあ」
懐かしげに目を細めたあと、しばらく会えてないけどね、と彼は小さくつけ加えた。
「それにしても、真波に弟がいるとか意外。どんな感じで姉ちゃんやってんの?」
漣が振り返って言う。
「別に……普通」
ユウさんと漣の視線が痛くて、私はさりげなく目を逸らした。
ふたりはきっと、弟ととても仲が良く面倒見もいいのだろう。でも、私は違う。真樹を見ていると、真樹が悪いわけではないと分かっているのに、いろいろな感情が込み上げてきて上手く話せなくなる。真樹にとって、私は全く姉らしくない姉だと思う。
そんなことを考えて気持ちが沈みかけたとき、ふいにスカートの裾をつんつんと引っ張られて、私は驚いて視線を落とした。
「おねーちゃん、おねーちゃん」
幼稚園くらいの女の子が、にこにこしながら私を見上げている。
「えっ、うん、なに……」
「ねえ、玉子焼き、取ってー」
女の子はカウンターの上に置かれた皿を指差して言った。どうやら手が届かなかったらしい。
「あ、うん、分かった。ちょっと待っててね」
「はーい」
取り箸でつまんで小皿にふたつのせてあげると、女の子は満面の笑みで、
「ありがとー!」
と無邪気に笑った。私は我ながらぎこちない笑顔で、「どういたしまして」と答えた。
これからたくさんの子どもたちがここにやって来る。いくら食事の提供を手伝うだけとはいえ、少しは関わりを持たないといけないだろう。でも、小さい子は苦手だ。どんな顔をすればいいのか。私は上手くやれるだろうか。
不安に襲われながら振り返ると、小学校中学年くらいの男の子が三人、勢いよく飛び込んできた。
「ユウさん、こんにちは!」
「なんかいい匂いするー! 今日はなに食べれるの!?」
「ねえねえユウさん聞いて、今日ね、学校でね……」
一斉にまとわりつく彼らを見ただけで、どれだけユウさんが慕われているのか分かった。彼は「順番に話せよー」と困ったように言いつつも、嬉しそうに笑っていた。
次に入ってきたのは、低学年と幼児の小さな姉妹だった。
「おにーちゃん、遊ぼ!」
すぐに妹のほうが待ちかねたようにユウさんに抱きついた。するとお姉ちゃんのほうが「ユウ兄ちゃんは忙しいから、あとでだよ」とたしなめる。そんな様子を微笑んで見つめながら、彼は「よく来たね、あとでたくさん遊ぼう」とふたりの頭をくしゃくしゃと撫でた。
そのあとも次々に子どもたちがやって来る。みんなこの日を心待ちにしていたようで、満面の笑みで席について期待を込めた目でユウさんを見ていた。それにしても、鳥浦にこんなにたくさんの子どもがいるなんて、びっくりだった。
「すげえなあ。大人気」
いつの間にか隣に立っていた漣が、ひとりごとのように呟く。私も「すごいね」とうなずいた。すると漣は目を見開いて私の顔を覗き込んできた。
「お前、ユウさんのことになるとやけに素直だよな」
「……そう?」
「そうだよ。いっつもつまんなそうな顔して、ひねくれたことばっか言ってんのに」
「別に……いつもと変わんないよ」
なんだか図星を指されたようで恥ずかしく、うつむいて否定した。
確かにユウさんと話しているときの私は、漣に対するときと違って攻撃的なことを言わない自覚がある。でもそれは、漣が私に突っかかってくるからだ。ユウさんみたいに大人の態度をとってくれたら、私だっていちいち言い返したりしないのに。
そもそも、ユウさんののような人を相手に素直にならないほうが無理だと思う。彼を前にすると、なんだか毒気を抜かれたように、いつも張り詰めている気持ちがふわふわと柔らかくなってきて、彼を困らせるようなことは言いたくない、嫌われたくない、と思うのだ。そんなふうに感じる相手は初めてで、どうしてそんな気持ちになるのか不思議だった。
またドアベルが鳴り、私は入り口に目を向ける。そこには、困ったような顔の母親の手をぐいぐい引いて入店してくる男の子がいた。
「お邪魔します……」
母親が申し訳なさそうに頭を下げてから、店内を見渡してユウさんに声をかけた。
「すみません、ユウさん」
「あ、はい! どうしました?」
彼はにこやかに返事をして、彼女に駆け寄った。
「ごめんなさい……息子がどうしてもって言うもんだから、今日は子ども食堂の日って知ってたんですけど、私も一緒に来てしまいました」
「いえいえ! 全然大丈夫ですよ!」
「でも……あの、実は私のパートのシフトが変わって今週から金曜日は早番になったので、『おうちでママと一緒に食べよう』って言ったんですけど、この子ったら、『ユウさんのお店に行きたい』って聞かなくて……」
「えっ、そうなんですか」
ユウさんは男の子に目を向け、「ママ困らせちゃだめだろー。でもありがとな」と笑う。
「あの、子ども食堂なんだから、親は来ちゃだめですよね……」
窺うように言う母親に、ユウさんはにっこりと笑いかけた。
「そんなことないですよ! 別に子ども限定ってわけじゃないですので。きっとお母さんと一緒にいたいんですよ、ぜひふたりで食べていってください」
「いいんですか?」
「もちろん! 大歓迎です」
彼が大きくうなずくと、
「やったあ!」
男の子が満面の笑みで母親に抱きつき、「ママ、こっちこっち」と席に座らせた。それを微笑ましげに見送ったあと、ユウさんが「よし!」と声を上げた。
「じゃあ、ご飯にしよう!」
彼の号令を受けて、私と漣はカウンターの上に料理を並べていった。わあっと子どもたちの歓声が上がる。
「わー、うまそう!」
「豪華だ、豪華!」
子どもたちが取り皿と箸を持って大皿の前に集結する。
「玉子焼き! 玉子焼き!」
「ユウさんの玉子焼きうまいよなー」
「おにぎりの種類いっぱいある! すごい!」
「あー、たこさんウインナーだ!」
「あたしアスパラベーコン食べたい!」
「俺、唐揚げ、三つ取っちゃお」
一気に店内が騒がしくなった。すごいエネルギー量だ。子どもが大勢そろうとこんなにうるさいのか、と辟易して私は思わず一歩下がる。
ユウさんが楽しそうに笑いながら、
「こらこら、落ち着いて。順番に取るんだぞ。横入りすんなよ」
と言葉をかけると、子どもたちが「はーい!」と声を合わせて返事をした。
大皿料理を並べていた漣が、近くの男の子の取り皿を覗き込み、
「おい、野菜もちゃんと食べろよ」
と注意した。男の子が「うえ〜」と口をへの字に曲げる。
「なんだよ、生意気なやつだな」
漣は、ははっと笑って男の子の頭をぽこんと小突いた。
「いって! にーちゃんは野菜食えるのかよ!」
「食えるよ、大人だもん」
「本当かよ、食べてみせろよ」
「いいぞ、見とけよ」
漣は取り皿にレタスやキュウリ、トマトをひと切れずつのせて、ぽいぽいと口の中に放り込んだ。
「あー、うまい。新鮮だから瑞々しくてうまい。お前も食ってみろ」
そう言って、男の子の口にキュウリを放り込む。男の子は初め嫌そうに顔をしかめたけれど、もぐもぐと口を動かしたあと、「意外といける」とませた口調で言ってうなずいた。
漣があははと笑って、私の隣に戻ってくる。
「ガキって元気だよなー。学校終わったあとなのに、なんであんな走り回れるんだろ」
私はなんと答えればいいか分からなくて、話題を変える。
「……漣って、小さい子の扱い上手だね」
「あー、そうかな。まあ、弟がふたりいるから。下の弟はけっこう年離れてるし」
「え、そうなの? 漣って弟いたんだ」
「うん。真波は? きょうだいいる?」
「あー……」
ずきりと胸が痛む。家族のことを思い出すと、いつもこうだ。真樹の顔、お父さんの顔、そしてお母さんの顔が目に浮かんで、鼓動が妙に激しくなる。
「……いるよ、いちおう。弟、四つ下」
小さく答えると、ちょうどキッチンに戻ってきたユウさんが私と漣を交互に見た。
「ふたりとも弟いるの? 俺もいるんだ」
彼は目を細めて微笑む。
「えっ、そうなんですか? すげー偶然、三人とも弟いるとか」
漣がやけに嬉しそうに言った。私は、別に珍しくもないでしょ、と心の中で口を挟む。
「ユウさん、弟さんとめっちゃ仲良さそうですね」
漣の言葉に、ユウさんは笑顔でうなずいた。
「まあ、仲はいいほうかな。でも、小さいころは喧嘩もしたよ」
「えっ、ユウさんが喧嘩とか、想像できない」
私は思わず目を丸くした。喧嘩という響きは、ユウさんの対極にあるように思えた。
「してたよ、それなりに。チャンネルの取り合いとか、戦いごっこの延長とかね。でもまあ、いっつも一緒に遊んでたなあ」
懐かしげに目を細めたあと、しばらく会えてないけどね、と彼は小さくつけ加えた。
「それにしても、真波に弟がいるとか意外。どんな感じで姉ちゃんやってんの?」
漣が振り返って言う。
「別に……普通」
ユウさんと漣の視線が痛くて、私はさりげなく目を逸らした。
ふたりはきっと、弟ととても仲が良く面倒見もいいのだろう。でも、私は違う。真樹を見ていると、真樹が悪いわけではないと分かっているのに、いろいろな感情が込み上げてきて上手く話せなくなる。真樹にとって、私は全く姉らしくない姉だと思う。
そんなことを考えて気持ちが沈みかけたとき、ふいにスカートの裾をつんつんと引っ張られて、私は驚いて視線を落とした。
「おねーちゃん、おねーちゃん」
幼稚園くらいの女の子が、にこにこしながら私を見上げている。
「えっ、うん、なに……」
「ねえ、玉子焼き、取ってー」
女の子はカウンターの上に置かれた皿を指差して言った。どうやら手が届かなかったらしい。
「あ、うん、分かった。ちょっと待っててね」
「はーい」
取り箸でつまんで小皿にふたつのせてあげると、女の子は満面の笑みで、
「ありがとー!」
と無邪気に笑った。私は我ながらぎこちない笑顔で、「どういたしまして」と答えた。