「とりあえず、大泊瀬皇子(おおはつせのおうじ)の言いたい事は分かりました。
ただ最後の方の都合が悪くなるとは一体どういう事ですか?」

大泊瀬皇子もそれは聞いて来るだろうと思っていたので、続けて彼女に答えた。

「俺は元々他に心に決めている女性がいる。だから正妃ではなく、その女性を愛して大事にしたいと思ってる。
ただ現状としては、ひとまずは皇女を娶るほかない」

大泊瀬皇子は少し切なそうな表情で、韓媛にいった。

(だが将来的には、この問題は絶対に解決させる……)


だがこれは韓媛からしてみれば、かなり驚く話しである。今まで彼に浮いた話が全く聞こえて来なかったのは、もしかするとその女性のためだったのかもしれない。

「大泊瀬皇子の浮いた話しは、今まで噂でも全く聞いた事がありません。もしかして、その女性の事があったからですか」

「あぁ、今まではわざとそうしてきた。どこぞの権力者の姫を勧められたり、女自身から言い寄られても、俺自身は全て断ってきた。
そうする事で、意中の女性に俺の変な噂が伝わらないようにするために……」

韓媛は先程よりも、さらに複雑な気持ちになってきた。正妃は建前上の婚姻で、彼の本命は別にいたというのだ。

そしてその女性のために、自分に言い寄って来る女性を、全て断り続けるとは中々出来る事ではない。それだけ彼は、その女性を一途に想い続けているのだ。

(きっと皇子は、葛城に来なくなった4年間の間に、その女性に出会ったのだわ)

そんな話しを聞くと、韓媛は大泊瀬皇子が自分よりもかなり大人に思えてくる。
1人の女性のために、彼はここまでの事をしていたのだから。

「大泊瀬皇子、その女性が誰なのかは教えてもらえないのですよね」

韓媛からしてみれば、相手の女性が誰なのかは全く想像がつかない。でも何故だか、それが誰なのか知りたくないとも思った。

「そうだな、今は草香幡梭姫(くさかのはたびひめ)との事もあるので、それはいえない。
韓媛も、今日俺が話した事は他にはいわないでくれるか」

大泊瀬皇子は韓媛にそういって、少し遠くの景色に目をやった。

(今は、こうするしかない。少なくとも草香幡梭姫との件が終わるまでは……)

「まぁ実際、草香幡梭姫との婚姻が本当に決まるかもまだ分からない。元々俺の条件はかなり特殊だ」

「まさか、大泊瀬皇子がそんな恋をしてるとは思ってもみませんでした。私なんて本当に父親任せでしたから」

韓媛はそういうと、何故か少し涙が出てきた。これが何の涙なのかは本人にも分からない。

「あれ、何で涙が出て来るのかしら。何故か急に悲しくなってきて……」

そんな彼女を見た大泊瀬皇子は、思わず彼女を抱き締めた。

そして彼は、韓媛の艶やかな髪の感触を感じながら、小さな声で彼女に囁いた。

「韓媛、お前にこんな話しをして本当に済まない。いつかは全てをちゃんと話してやる」

それを聞いた韓媛は、そのまま大泊瀬皇子の胸に思いっきり顔を埋めた。
そして今は、ただただ彼に抱き締められていたかった。

(この感情は一体何なの?私は彼にどうしてもらいたいの)

こうして韓媛は、しばらくの間大泊瀬皇子の腕の中で、涙を流し続けた。