「しかし、葛城円(かつらぎのつぶら)がこうもあっさり、お前を宮に行かせる事を許すとわな……」

大泊瀬皇子(おおはつせのおうじ)は、馬を走らせながら韓媛(からひめ)にそう言った。
彼の脳裏に先程の葛城円の顔が浮かぶ。あれはかなり自分の娘の事を心配している感じだった。

「え、皇子。何故そう思われるのですか?」

韓媛はどうして彼がそんな事を思うのか、少し疑問に思った。

彼女は元々、それなりにしっかりはしている。だが自身の危機的な事に関しては、余り分かっていないのだろう。

「あのな韓媛。自分の娘がこんな他の男と一緒に出かけるとなると、普通の親なら当然心配する」

そんな彼の言葉を聞いて、韓媛は思わず「ハッ」とした。そしてやっと彼女は事の重大さに気が付いた。

(それで昨日、お父様は少し悲しそうな表情をしていたのね)

とは言っても、木梨軽皇子(きなしのかるのおうじ)軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)を助けるためには他に方法がない。なので彼女は、次回からは気を付ける事にした。

「大泊瀬皇子、本当にすみません。私もうっかりしてました」

韓媛はひとまず素直に謝る事にした。
まさか彼からこんな注意を受けるとは、夢にも思わなかった。

「こんな事、お前に言いたくはないが、俺だって1人の男だ。その事をしっかりと理解しろ」

大泊瀬皇子は、そういって少しため息をついた。

今の2人は馬に乗っているので距離がとても近い。そのため、皇子が少しため息をするだけで、彼の息を直に感じる。

それに2人の体は、今とても密着している状態だ。すると彼の固くてたくましい体が、背中越しに嫌でも伝わってくる。

(どうして今まで、その事に気が付かなかったのかしら。皇子はもうすっかり1人の男性だわ)

韓媛はそう思うと、少し恥ずかしくなってきた。

急に無口になった韓媛を見て、大泊瀬皇子は心配になり、彼女を安心させるためにいった。

「とりあえず、俺はお前を無理やりどうこうしようとは思ってないから、安心しろ。それに葛城円にも、責任をもってお前を送り届けると約束した」

(それはつまり、皇子から見れば私はそういう対象ではないって事なのね)

「はい、分かりました」

韓媛はそう思うと、何故か少しだけチクリと、胸の痛みを感じた。

それから大泊瀬皇子は尚もを馬を走らせた。だがその間も、韓媛は余り言葉を発する事はしなかった。

そんな彼女を見て、大泊瀬皇子は先程の自分の発言を聞いて、本人がそれなりに反省したのだろうと理解する。

だが今は、このまま大人しくしてもらう方が助かると思い、そこには特に触れない事にした。

それからしばらくして、ようやく2人は遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)に辿りついた。