「何だって!木梨軽(きなしのかる)の兄上が兵と武器を集めてるだと!!」

穴穂皇子(あなほのおうじ)は衝撃の余り、手に持っていた酒を、入れ物ごと床にめがけて叩きつけた。

そして彼はその場で激しい怒りを顕にした。

兄の木梨軽皇子の行動は、皇太子としては許されるはずもなく、あるまじき行為である。

そんな兄の木梨軽皇子に対して、彼は不適にうすら笑いを見せた。

「兄上がその気なら、こちらも容赦はしない。直ぐに武器と兵を集めて、小前宿禰(おまえのすくね)の元に向かってやる……」

さらにこの話だと、物部(もののべ)の小前も今回の挙兵に加担している事になる。
それに木梨軽皇子が物部にいるとなると、武器も集めやすいだろう。

(くそ、小前め、お前も裏切るつもりか……)

穴穂皇子は直ぐさま、家臣達を自身の元に呼び寄せて、今回の経緯を説明した。

それを聞いた彼らも、木梨軽皇子の挙兵の話しは既に聞いていたようで、直ぐに納得した。

「いいか、木梨軽の兄上は絶対に逃さずに捕まえろ! ただし無抵抗な人間はむやみに殺す必要はない」

それから穴穂皇子は、急いで武器と兵を集める事にした。


その際に、木梨軽皇子が作った矢は内部を銅にして作り、その矢を『軽矢(かるや)』と呼んだ。

また穴穂皇子の方でも矢の武器を作った。こちらは後の世と同じように、鉄の矢じりのついた矢で、矢の名を『穴穂矢(あなほや)』と呼んだ。

こうして穴穂皇子は、武器が集まると軍勢を起こし、小前宿禰の元へと向かった。




穴穂皇子は小前の屋敷の前に来ると、彼の家を包囲した。そして彼が小前宿禰の家の門前に立つと、急に激しい氷雨が降ってきた。

すると小前は慌てて門に出てきて、穴穂皇子を出迎える。

すると穴穂皇子は、彼に対して歌を詠んだ。

大前(おおまえ)小前宿禰(おまえすくね)が、金門陰(かなとかげ)、かく立ち寄りね、雨立ち止めむ」

(大前 小前宿禰の家の 金門の陰に このように立ち寄りなさい 雨が止むまで待つとしよう)


すると小前宿禰は、彼に返歌をして申し上げた。

「宮人の、足結の小鈴、落ちにきと、宮人とよむ、里人もゆめ」

(宮廷にお仕えする人の 足結についた小鈴が落ちて 人々がさわぎ立っている 里の人達もさわぎ立てないこと)


大前はさらに続けて穴穂皇子にいった。

「穴穂皇子、どうか同母兄に対して兵をお差し向けになるのはお止め下さい。
もし兵をお遣わしになれば、かならず世間から笑われてしまいます。私が木梨軽皇子を捕えて、皇子にお引き渡しましょう」

(小前が、木梨軽の兄上を引き渡してくれるなら構わないだろう……俺も無理して戦いたい訳ではない)

それを聞いた穴穂皇子は、部下に指示を出して、兵の囲みを解く事にした。

「分かった、小前。お前のいう通りにする」

そして彼の兵は、後方に退いた。