大泊瀬皇子(おおはつせのおうじ)、今日は葛城に来られてたのですね……」

本来であれば、ここで皇子にきちんと挨拶をしたい所だ。だが今の韓媛(からひめ)は、父親の事で頭がいっぱいいっぱいの状態である。

大泊瀬皇子も、そんな韓媛の様子に少し疑問を感じる。彼女がこんなに焦って走っていたところを見ると、余程の事があったのだろうか。

「どうした韓媛、ひどく落ち着かないように見えるが」

大泊瀬皇子は、今日ここにまだ来たばかりで、恐らく円が倒れた事をまだ知らないみたいだ。
彼女は取り乱す気持ちを必死で抑えて、彼に今の状況を説明する事にした。

「父の部屋に行ったら、その場で父が倒れてました。そして酷く苦しそうで、熱もかなり出ている状態です。朝方は元気だったので、本当に突然の事で……」

それを聞いた大泊瀬皇子はとても驚いた。昔から父親好きの彼女だ、その大事な父親が倒れたとなると、ここまで動揺するのも理解出来る。

それから彼は少し表情を険しくさせて、彼女に言った。

「なる程、それでお前がここまで慌てていたのか。それで(つぶら)の容体はどうなんだ」

大泊瀬皇子はとりあえず、今の円の現状を確認する事にした。

「はい、今病気に詳しい者が見ています。ですが原因はどうも分からないとの事」

(急に容態が悪くなったとなると、何か体に害のある物でも食べたのか)

大泊瀬皇子は、どうしたものかと考えた。

今はここで悩んでいてもどうしようもない。であれば、ひとまず自分も円の元に行って、直接彼の状態を見た方が良さそうだ。

「そういう事か。では俺も一度円を見に行ってみる」

大泊瀬皇子がそう韓媛にいった。

すると韓媛は緊張の糸が切れたのか、こみ上げてくる思いを抑えきれずに、その場でぼろぼろと泣き出した。

「お、お父様にもしもの事があったら、私は……」

普段はとても聡明な彼女だが、大事な父親の事となると、かなり心を取り乱していた。

そんな韓媛を見て、大泊瀬皇子は思わず彼女を優しく抱きしめた。

「韓媛、落ち着け。お前の父親はこんな事で死んだりはしない」

彼はそういってから、彼女の頭を軽く撫でてやった。

皇子に優しくそういわれて、韓媛は暫く彼の胸の中で泣いていた。
こうやって抱きしめられていると、彼の胸の鼓動が微かに聞こえて来る。
そして彼の言葉とこの温もりの中で、彼女は不思議と心が安らぐ感じがした。

それから韓媛が落ち着くのを待ってから、2人は水を持って円の元に向かった。

その後暫くして、円は安静にしていたため、だいぶ容体も落ち着いてきたようだ。そんな彼を見て、韓媛もひとまず安心した。

一方大泊瀬皇子は、元々今日は円と話しをするために来ていた。だが今の彼の容態では、話しもよう出来ない。

またこの騒動が落ち着いた頃には、日が暮れ出したので、彼もこの日は葛城に泊まる事にした。