その後大泊瀬皇子の暗殺に関わった者達は、それが失敗に終わったことを知るやいなや、すぐさま姿を消してしまった。

その為、彼らの行方は結局分からずじまいとなる。


そして市辺皇子(いちのへのおうじ)の死はすぐさま、彼の妃の荑媛(はえひめ)にも伝えられることとなった。

彼女は夫の突然の死に、かなりの衝撃を受けて、そしてとてつもない悲しみにおそわれた。

だが彼が最後に彼女にいったことを思い出し、すぐさま彼女は2人の息子を遠方に行かせることにした。

2人の息子にはっきりと「あなた達の父親は、大泊瀬皇子に殺された」といって。

2人の皇子は「父さまー!」といって涙を流して悲しんだのち、亡くなった父親の言葉に素直に従うことにした。

こうして市辺皇子と荑媛の2人の息子である、億計(おけ)弘計(をけ)は遠方に逃げることとなる。

大和の更なる宿命を背負って、若い2人の皇子は、大和を離れていった。



そして一方大和では、市辺皇子が亡くなったことにより、雄朝津間大王(おあさづまのおおきみ)の第5皇子で、先の穴穂大王(あなほのおおきみ)の弟でもある大泊瀬皇子(おおはつせのおうじ)の大王への即位がより確実的となる。

だがこの短期間で何人もの皇子が彼に殺されたこともあり、大泊瀬皇子はとても恐ろしい人物だという噂が同時に出てしまうこととなった。

だがこの時代血筋の優位性もあり、また他に適任となる皇子もいなかった為、大泊瀬皇子の即位に対しては余り反対の声が上がってくることはなかった。

また彼の母親である忍坂姫も健在である。その点もあってか、あとは大泊瀬皇子を信じる他ないといった形で話しはまとまった。


こうして新たな大王の即位に向けて、準備が始められることとなった。