「あ、椋毘登(くらひと)。ごめんなさい。別に悪気は無かったんだけど」

「とにかく、俺達の関係はごくわずかの人達にしかいってないんだ。それにお前だって他の女官に知られたら、何かとまずいだろう?」

 それは全くもって彼のいう通りである。女官の中でも特に若い自分が彼と恋仲だと知られたら、何をいわれてしまうか。

「うん、それは分かってる。で、でもね、私椋毘登の姿を見るとどうしても、気持ちが溢れてきちゃって……」

 稚沙(ちさ)は少し目を潤ませて、椋毘登にそう答える。彼が自分のことを想っていってくれているのは十分に理解している。でもどうしても愛しさがつのってしまうのだ。

 だが稚沙にそんなことをいわれては、さすがの椋毘登もたまったものではない。
 彼はいきなり稚沙の腕も掴むと、そのまま周りを気にしながら横の裏道に彼女を連れ込んでいく。稚沙も彼の行動に頭がついていかず、されるがままであった。

 そして裏道に入り、外から隠れるようにして彼女を壁にもたれさせると、椋毘登は稚沙を前からそっと抱きしめた。

「稚沙、お願いだから、そんな俺の理性を壊すようなこといわないでくれ。抑えが効かなくなるだろう?」

(え、抑えが効かなくなる??)

 稚沙は彼のいっていることがいまいち理解出来ず、ふと首を傾げる。2人の年齢は2歳差だが、この差が思いの他大きいようだ。

 それから稚沙は、彼を思わずそのまま抱き返して、ふと尋ねた。

「ねえ、椋毘登。それはどういうこと?」

 それを聞いた椋毘登は、本日2度目のため息をつく。そしてそれまでよりも力を少し強くして彼女を抱きしめてくる。

「まあ、今はまだ知らなくて良いよ。どうせいずれはお前も知るだろうから」

 稚沙はさらに訳が分からなくなった。だが椋毘登がそういうのだ。きっと今はこのままで良いのだろう。

(うーん、いまいち良く分からない……でもまあ、今回は余り深く考えないでおくとしよう)

 そして稚沙はふと、今日椋毘登に会いに来た理由のことを思い出す。元々ここに来たのは彼を歌垣に誘う為だ。

 それから彼女は、やんわりと彼から自身の体を離し、そして彼の顔を見上げる。すると椋毘登は少し興奮気味な様子で彼女をじっと見つめていた。

「あ、あのね。実は私一つお願いがあって、椋毘登を探していたの」

「うん?お願い。俺に」

 稚沙が椋毘登にお願いごとなど普段あまりしない。なので彼女のそんな突然の話に、今度は椋毘登の方が思わず不思議そうにしてくる。

「実はね、今度海石榴市(つばいち)歌垣(うたがき)が行われるみたいなの」

「はぁ、歌垣?」

「うん、私歌垣って行ったことがなくて、それで一緒にどうかなって……」

 椋毘登もそれを聞いてようやく稚沙の意図することを理解する。和歌を詠むのが好きな彼女だ、それならそういった物にも興味が沸くだろう。

「それに私たちって、互いに歌の詠み合わせとかしたことがないでしょう?だから良い機会かなと思って」

 稚沙は少し照れながらも、彼に笑みを込めてそう話す。そして後は彼の返事を待つのみだ。

(さあ、あとは椋毘登がどういうかしら)