「とりあえず、納品の期日は絶対に守れ、良いな!」

「はい!ご希望にそえるよう善処いたします!!」

 宮人の男はそういうと、おじぎだけしてその場を逃げるように離れていった。

(よ、良かった!)

 稚沙も自分が誰かバレないように、その場を急いで離れようとした。

 だが境部臣摩理勢は、すぐさま彼女に声を上げて呼んだ。

「おい、そこに娘、今すぐ出てこない!」

 稚沙は突然呼ばれて、逃げるだすことも忘れて、慌てて姿を彼の前に現した。

 摩理勢はそんな彼女をひどく睨みつけてくる。

(こ、これはまずいのでは)

 稚沙はそんな彼の態度を目にして、酷く怯えてしまう。

 だが彼の方は、そんな彼女の姿を見て、思わずハッとした様子をしていった。

「あ前は、前に見たことがあるな...そうだ前に海柘榴市(つばいち)で、椋毘登と一緒にいた娘か」

 それは前に稚沙が椋毘登と歌垣に参加にする為に、海柘榴市を訪れた時のことだ。

「はい、あの時はその...挨拶も出来ておらず申し訳ありません。私はここの女官で、稚沙と申します。生まれは額田部(ぬかたべ)の者です」

「何、額田部だと?」

 境部臣摩理勢はそういうなり、彼女をさらにじっーと見定めするかのようにして、じろじろと見てくる。

 そして彼は「うーん」といいながら、何やら考えごとをしている様子だ。

(一体この人は何を考えているんだろう)

 それから暫くして彼はやっと納得したのか、稚沙に話しかけてくる。

「なるほど、額田部といえば馬飼(うまかい)平群(へぐり)の同族だな。椋毘登も中々面白い所に目をつけたな」

「え?」

「お前のような娘が手に入れば、馬飼としての額田部と繋がりを持てる」

(この人は一体何をいっているの?)

「ま、摩理勢殿、それはどういう意味でしょうか」

「そのままの意味だ。この時代馬はとても貴重だ。移動手段としてだけでなく、戦地でも使える。恐らく今後はもっと必要になってくるだろう。それに炊屋姫とも縁が深い一族でだしな」

 つまり彼は馬飼としての額田部を、稚沙を経由して手に入れられると思っているのだろうか。

「あの、私が聞いた話しでは、彼は余り政に関わるつもりもないといってます」

「ふん、そんなの建前でいっているだけかもしれないぞ。あいつは自分がどういう立場にいれば、自身が安全でいられるかを常に考えている。何とも頭の良い奴だ」

「え、椋毘登が?」

「あぁ、そうさ。自分は額田部の娘を手に入れて、蘇我一族内での自身の立場の安定を考えたのだろう」

(そ、そんなはずは...)