「でもまさかここで厩戸皇子(うまやどのみこ)にお会い出来るとは思ってもみませんでした。今日はどうしてここに?」

 厩戸皇子が飛鳥寺(あすかでら)にきているということは、何か仏教の調べごとでもあったのだろうか。彼は皇子で摂政を務めているのだが、それ以前にかなりの勤勉者でもあった。

「今日は、恵慈(えじ)に用事があって寄ってみたのだけど。生憎彼は外に出払っているようで、いないみたいだね」

「まあ、それは残念ですね」

 恵慈は飛鳥寺を住居として生活しながら、厩戸皇子と一緒になって、仏教の教えをこの国に広めようと、日々邁進している。

 また厩戸皇子自身も、日頃の学びの成果として、炊屋姫(かしきやひめ)の前で勝鬘経(しょうまんぎょう)法華経(ほけきょう)を講じたのだが、それを大王もたいそう喜ばれたようである。

(厩戸皇子は本当に何でもお出来になる方。その能力と才能を、私もほんの一握りでも良いから欲しいぐらい)

 彼女がそんなことに思いを巡らせながら、ふと皇子の持っている麻布(あさぬの)の包み物に目をやる。何となくこの包み物が、今もごもごと動いたような感じがした。

(うん?一体何だろう)

「厩戸皇子、手に持っている包み物が、何だかすこし動いているような気が……」

 稚沙はとても不思議に感じて、思わずその包み物を凝視して見つめる。彼女がいうように、確かにそれは少しもごもごと動いていた。これは何かの生き物だろうか。

「ああ、この子のことか」

 厩戸皇子は稚沙にそう話すと、ふと包み物の中に手を入れ、中にいる物体を外に出して彼女に見せてくれた。それはどうやら一匹の白い子犬ようだ。

「きゃ~!子犬だわ!か、可愛い!!」

「私が今回飼うことになった犬で、名前を雪丸(ゆきまる)っていうんだ」

 厩戸皇子からそう説明された雪丸は、今はどうやら少し眠そうである。そして目が半分閉じかかったまま、大きく欠伸をしてみせる。またこの名前からして、恐らく雄の犬なのだろう。

 稚沙は思わずそんな雪丸に歩み寄ると、じーと見つめたのち、少し体を突っ突いてみる。すると犬の方に反応があり、体を少しもぞもぞと動かしてくる。

(白い子犬なんて初めてみた。本当になんて可愛いんだろう)

 そんな様子の稚沙を見て、厩戸皇子は「ちょっと抱いてみるかい」といって、彼女に子犬を渡してくれた。

 彼女は浮き立つ思いのなか、雪丸を落とさないよう、慎重にしながらそっと腕に抱き寄せてみる。

 すると雪丸は「くぅーん、くぅーん」と弱い声で鳴くものの、とくに暴れたりすることもなく、大人しく稚沙の腕の中で抱かれていた。

「この子、まだ生まれて数か月ぐらいですよね。それにとっても暖かい」

 稚沙は、そんな厩戸皇子の雪丸にすっかり夢中になってしまった。

「今日は、元々雪丸の引き取りの約束をしていたんだ。それでその合間に恵慈の元にも行こうとしたんだけど、あいにく彼はいなくてね」