「もちろん、それは分かっているわ。稚沙(ちさ)が本当に努力していたのを私も見てきたもの。だから椋毘登(くらひと)もその辺は安心してるんじゃない?彼あまり表情には出さないけど、稚沙のこといつも心配だったと思う……」

 稚沙もそれは本当にそうだと思う。これまでの彼女は確かに仕事での失敗が多々あった。また色恋事に関しても憧れはしていたものの、椋毘登が初めて恋仲の相手だ。

 彼は蘇我馬子の甥にあたる青年で、父親の仕事を手伝いながら、叔父である馬子の使いや彼自身の護衛を担っている。

「確かに、そうね。椋毘登からも時々、心配だとか、もっとしっかりやれだのと度々いわれてる。それもあったから、余計に仕事を頑張っていたんだもの……」

 だがそうはいっても、彼は何だかんだで自分のことをいつも気にかけてくれて、それは本当に嬉しく思っている。そういう意味でも、両想いとは何て素敵なことだろう。

「まあ、それは今に始まったことではないんだろうけど……あ、そうそう!ところで話は変わるけど、来週海石榴市(つばいち)歌垣(うたがき)が行われるそうよ。春になってからは今回が初めての歌垣だわ」

 歌垣とは、若い男女が集まり飲食いをしながら歌を詠みあう催しで、求愛の歌を掛け合うものである。
 元々は農作物の予祝する儀礼であったが、いつしかこの時代においては、男女の貴重な出会いの場となっていた。

「若い男女が互いに自身の和歌を詠み合うんでしょう。本当に素敵よね」

 だが稚沙は、この歌垣の意味を余り深く理解出来ていない。元々和歌を詠むのが好きな彼女なので、単純に歌の詠み合いを楽しむものだと思っている。

「稚沙の場合、これまでは不安だったから余り勧めなかったけど、今は椋毘登がいるから、彼を誘って行ってみたらどう?」

 古麻(こま)も椋毘登本人がいない時は、彼のことを自然と呼び捨てにするようになっていた。稚沙を通じて彼女も椋毘登とはそれなりに仲良くなってきたので、以前ほど気使うことはなくなったようだ。

 そして刀の腕がたつ椋毘登がそばにいれば、稚沙が危ない目に合うこともない。それにいい加減歌垣がどういう物なのか、彼女も知っておいた方が良いだろう。古麻は歌垣に思いを巡らす稚沙を見てそのように考えた。

「ふーん、椋毘登と歌垣ね……彼の歌なんて、私今まで一度も聞いたことがない。もしかしたら余り歌を詠むのが好きじゃないのかも?」

 稚沙自身が椋毘登の前で歌を詠むことはこれまでも度々あった。だがどういう訳か、彼は自分からは歌を詠もうとはしてこなかった。

「へー、そうなの。彼何でも要領よくこなす感じだから、和歌なんかも普通に詠んでるものと思っていたわ」

 古麻もこれには少し意外に思えた。稚沙が和歌をたしなむので、彼も返歌の1つや2つは詠んでいそうである。だがいずれにせよ、それならなおさら稚沙と椋毘登が歌垣に参加するのは良いことだろう。

「本当にそうなの。でも椋毘登と一緒に歌垣には行ってみたいかも」

(やっぱり、一度ぐらいは椋毘登の歌を聞いてみたい)