稚沙(ちさ)椋毘登(くらひと)が歌垣に行ってから数日後のことである。

 法興寺(ほうこうじ)にある書物の仕分けを手伝って欲しいという話が、小墾田宮(おはりだのみや)の元にやってくる。それを椋毘登から直に聞いた稚沙は、なら自分がやりたいと申し出た。

 だが彼女の本心からいえば、それなら椋毘登とその日一緒にいられるのではないか?という安易な動機も含まれていた。

 法興寺は蘇我馬子(そがのうまこ)が造営し飛鳥に建立したもので、この国初の寺院となる。
 この寺院には、高句麗(こうくり)からは恵慈(えじ)百済(くだら)からは慧聡(えそう)という2人の僧がやってきて、彼らは今ここに住んでいる。
 そして蘇我馬子の庇護の元、日々仏教の教えを広めていた。

 また厩戸皇子(うまやどのみこ)はそんな2人の僧を師と仰ぎ、彼らから教えを乞いでいる。


 そして当日、稚沙は椋毘登に法興寺までつれてきてもらえるまでは良かったのだが、その後彼は別に仕事があるといって、さっさと彼女の元を離れていった。

 さすがの稚沙も、これには少し不満を持ったようで、何の可愛げもなく、うなだれた様子をする。

「もう、椋毘登ったら。何ですぐに出ていっちゃうのよ!せっかく今日は一緒にいられると思ったのに~!」

 だが今回は遊びで来ているのではなく、あくまで書物の仕分けの手伝いをする為だ。そのために彼女は小墾田宮に許しをもらい、今日は朝間からここにきている。

(まぁ、仕事の一貫できてる訳だから、そこはちゃんとするけど)

 彼女は意外にこういった地味な仕事は得意なほうで、目の前に無造作に積まれている山のような大量の書物を、てきぱきと仕分けしていく。


 ここの寺司(てらのつかさ)は蘇我馬子の息子の善徳(ぜんとこ)という実物だ。それで一応彼にも、椋毘登からの紹介で挨拶だけは彼女もすることができた。
 だが彼も今日は忙しいようで、稚沙に挨拶をしたのち、そのまま申し訳なさそうにしながら、さっさと自身の持ち場へと戻っていってしまう。

「善徳殿は、割と控えめでお優しい感じだったけど、何かそっけなかったな。まぁ私程度の人間がとやかくはいえないんだけど」

 彼女はそんな愚痴をこぼしながらも、引き続き黙々と書物の整理をしていった。


 今この部屋には稚沙一人しかいないのだが、急にどこからか人がやってきているようで、その者のトコトコという足音が彼女の耳にも伝わってくる。
 そしてその人物は、稚沙のいる部屋の前までくると、そっと戸を開いて中に入ってきた。

(うん?誰が来たんだろう)

 稚沙はその人物が誰なのか確認をする為、手元にある書物を一旦床下に置いた。そして相手の方に目を向けてみる。するとそこには何とも意外な人物が立っていた。

「まぁ、厩戸皇子、今日は皇子も来られていたんですね!」

 稚沙は厩戸皇子の姿を確認するなり、思わず声を弾ませた。彼女からしてみれば、ずっと部屋の中で一人黙々と書物の整理をしていたので、彼の登場は何とも喜ばしい。

「今日はここに少し用事があってきていてね。そしたら稚沙もいると聞いたので、ちょっと様子を見にきたんだよ」

 厩戸皇子は笑って彼女にそう答える。彼は相変わらずとても凛々しく、それでいて何とも良い品格を漂わせていた。やはりそこは大和の皇子といった所だろう。

(今は状況が状況なだけに、何だか皇子がひどく輝いて見える……)