「まぁ、こいつの場合。時々こうやって勝手にいなくなるから、別に珍しい事でもないけど」

そう言って雄朝津間皇子(おあさづまのおうじ)は、市辺皇子(いちのへのおうじ)の頭を軽く叩いた。
だが市辺皇子は全然反省している感じはなかった。

「でも、市辺皇子がまだこの宮にいたのはちょっと意外でした」

この宮には、この皇子の親代わりになるような人がいるとは思えなかった。

「元々こいつの父親が亡くなった時、今の大王夫婦が引き取ろうかと言う話にもなった。あそこには4歳になる女の子もいるからね。
だが母親に続いて父親まで亡くなってしまい、さらに住み慣れたこの宮から離れさすのも可流石に哀想で、それにこいつが俺と離れたくないと駄々をこねたんだよ。こいつ俺にはひどく懐いていたから」

「え、そんな事が」

忍坂姫(おしさかのひめ)は市辺皇子を見た。確かに雄朝津間皇子にはとても懐いてる感じには見えるが、まさかそこまでとは。これは本当に意外だ。

「その時もこいつが大泣きで、それを見た今の大王夫婦が俺にこいつを託す事にしたんだ。幸い母親が亡くなってから、こいつの世話は宮の使用人の女がしていたから、そこまで困る事も無かったんで」

「そうだったんですね、こんなにお小さいのに」

忍坂姫は思わず市辺皇子をぎゅっと抱き締めた。
市辺皇子は急に忍坂姫に抱き締められて、少し不思議そうな顔をした。

「しかし、そんな市辺がここまで君に懐くのはちょっと意外だったよ」

雄朝津間皇子にしても、自分以外でここまでこの皇子が他人に懐くのは始めて見た。よほど忍坂姫の事を気に入ったのだろう。

「まぁ、私も妹がいて、昔は良く遊び相手をしてましたから」

忍坂姫は市辺皇子の頭を撫でながら言った。そんな光景が彼にはちょっと興味深く映って見えた。

「そう言えば、君とも昔1回一緒に遊んだ事あったけど、あの時は本当に悲惨だったな」

それを聞いた忍坂姫は一瞬「え?」と思った。確かに彼とは昔1度遊んだ事があるのは覚えているが、何か問題でもあっただろうか。

「あの時の君はかなりのお転婆で、本当に散々振り回されたからね。今の市辺皇子なんてまだ全然可愛いよ」

それを聞いた忍坂姫は当時の事を思い返した。確かに外をあっちこっち走り回り、色々駄々をこねた記憶がある。

「えぇーと、そう言えばそうでしたね……」

忍坂姫はだんだん恥ずかしくなってきた。当時はそんな事全然気にしてなかったが、今思い返してみれば、確かにあの時はかなりお転婆だった気がする。

そんな思い詰めた忍坂姫の表情を見て、雄朝津間皇子は思わず吹き出して笑った。

(皇子、別に笑わなくても……)