忍坂姫(おしさかのひめ)はその後、1ヶ月間もの間、雄朝津間皇子(おあさづまのおうじ)の宮で過ごす事になった。
彼女自身はてっきり数日間だけの滞在と思っていたが、話しがどんどん進んでいきその結果1ヶ月もの長期になってしまった。
これは父親の稚野毛皇子(わかぬけのおうじ)瑞歯別大王(みずはわけのおおきみ)の力の入れようが伺える。

「何で、こんな事になってしまったのかしら。別にすぐ近くだからわざわざ皇子の宮で過ごさなくても……」

忍坂姫は元々、母親の百師木姫(ももしきのひめ)の実家である息長で暮らしていた。それが数年前から母と妹の衣通姫(そとおりひめ)と一緒に、父である稚野毛皇子の元で暮らすようになった。

とりあえず1ヶ月の期間と言う事もあり、姫のいる宮の使用人の女達数名が、いそいそと出発の準備をしてくれていた。
そして出発はいよいよ明日となった。


そんな時だった、忍坂姫の母親である百師木姫が彼女の部屋へとやって来た。

「忍坂姫、ちょっと良いかしら」

忍坂姫は何かの用事かと思い、立ち上がって母親の元に駆け寄った。

「お母様、どうかしたの?」

忍坂姫がふと百師木姫を見ると、彼女の手には何か布に包まれた物が持たれていた。

「ちょっとこれをあなたに渡そうと思って持ってきたのよ」

そう言って、百師木姫はそのまま布に包まれた状態で彼女に渡した。
実際に持ってみると、少しだけ重さを感じる。

忍坂姫は一体何だろうと、その場で中身を見てみる事にした。

布を取ると中には鏡があった。大きさにすると彼女の手より一回りほどの大きさだ。
見た目は少し古いが、特にそれ程珍しい感じには見えない。

「これは鏡のようだけど、これがどうかしたの?」

忍坂姫は色々角度を変えて見たが、特別変わった感じはしなかった。

「これは私が実家から持ってきた鏡よ。忍坂姫、あなたも15歳になってそろそろ婚姻の時期に差し掛かったので、渡そうと思ってね」

「ふーん、そうなの……」

忍坂姫は不思議そうにその鏡を見ていた。

「この鏡は不思議な話しがあって、見えない物を写す鏡と言われてるの。私が皇子の元に嫁ぐ時に母から受け取ったもので、いずれは忍坂姫に引き継ごうと思っていたのよ」

「つまりは花嫁道具って事?それに見えない物を写す鏡って一体どういう意味?」

婚姻がまだちゃんと決まってもないのに、こんな物が渡されるとは思ってもみなかった。

「えぇ、私も花嫁道具として貰っていたのだけれど、余り布から出す事はなかったわ。だからその見えない物を写す鏡って言うのは実際は何なのか良く分からないのよ」

つまりこの鏡は、単なるお飾りみたいな物と言う事だろう。確かに古い割には余り使われた形跡は見受けられない。