稚田彦(わかたひこ)は本当にお優しいのね」

忍坂姫(おしさかのひめ)は彼の事をそんなふうに思った。

「で、それからだんだんと彼女の事を好きになっていきました。
ただ彼女は自分の夫は亡くなった彼1人のみだと言って、中々私の思いは受け入れてもらえませんでしたが……」

稚田彦でも、そんな辛い恋をしていたとは意外だと忍坂姫は思った。

「それでもどうしても彼女が諦めきれずに、その後やっとの思いで彼女を妻に出来たと言う訳です。今の大王もとても喜んでくれて、その娘を私に下さいました」

そんな話しを聞いて、忍坂姫はとても感動した。皆それぞれに色んな恋をしているのだなと。

「稚田彦、素敵なお話しを聞かせてくれて本当に有り難う。稚田彦みたいな人が支えてくれれば、今後の大和も大丈夫そうね」

忍坂姫は思わずウンウンと頷いた。

だがそんな彼女の言葉を聞いて稚田彦は少し表情を曇らせた。

「実はそうも言ってられないんですよね」

「え、稚田彦それはどういう事?」

忍坂姫は思わず首を傾げた。今の大王になってから、この国はとても落ち着いていると聞いていたからだ。

「これは、忍坂姫にも知っておいて貰いたい事ですが。少し前に先の大王が崩御したのは記憶に新しい事ですが、その際に大王の皇子の市辺皇子(いちのへのおうじ)は余りに幼くて、それで今の大王が即位する事になりました」

「ええ、そうね」

忍坂姫も彼に頷いた。その時今の瑞歯別大王(みずはわけのおおきみ)がいなかったら、本当に今頃はどうなっていた事だろうか。

「だが仮に、今の大王が亡くなってしまった場合、次の大王は誰がなると思いますか?」

忍坂姫は稚田彦にそう言われて考えた。確かに直ぐに出来そうな人は中々思いつかない。

「例えば、あなたの父上も大和の皇族なので、資格はあるでしょう」

「私のお父様は流石に無理があるわ。大王なんて出来っこない」

彼女は慌てた。あの優しくて、どちらかと言うと不器用でおっとりした父では、大王なんて言う重要な役は無理だろう。

「はい、私もあなたの父上は流石に無理があると思います。でもこれがあと4、5年後なら、1人可能性が出て来ます」

忍坂姫は一体誰の事だろうと考えた。

「それは、雄朝津間皇子(おあさづまのおうじ)です。だから瑞歯別大王も、あなたと婚姻の案を承諾したんです。
今の大王もまだ姫しかいないですし、そもそも彼は今の妃以外娶る気はありませんから。
ただ雄朝津間皇子なら、恐らくそんなこだわりは持ち合わせてないでしょう」