「わぁ、馬なんてめったに乗らないから、本当に楽しいわ」

 糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)はとても生き生きとした表情でそう答える。

「えぇ、やはり悲しいことがあった時は、こうやって馬を走らせるのが一番ですよ!皇女」

(うーん、やっぱり蝦夷(えみし)は普段からそうしてるみたいね)

 稚沙は蝦夷達の走っている馬の少し後ろから、そんなやり取りを聞いていた。

 でも確かに彼のいうことは本当かもしれない。こうやって馬で走っていると、嫌なことも、本当に忘れてしまいそうだ。

 そしてはるか彼方に見える山を3人は見上げた。もし時間に余裕があれば、もっと山の麓まで行ってみたいものである。

 それから尚もしばらく走ったのち、蝦夷がちょっと降りてみようと提案を持ちかけてくる。

 そこで3人は、いったん馬から降りることにした。

 彼らが降りた場所の辺りは、小さな小川が流れていた。ここ近辺では稲作も行われているようで、水がそちらへも引かれているみたいだ。

「どうですか糠手姫皇女?とても気持ちが良いでしょう?」

「ええ、本当に」

 糠手姫皇女もすっかり上機嫌になり、思わず笑みがこぼれる。

「どれ、喉が渇いたから、小川の水を汲みに行ってくるか。稚沙と糠手姫皇女はここにいて下さい」

 そういって蝦夷は水を汲むために、小川の方へと歩いて向かっていった。

 そんな彼を稚沙が見ていると、となりにいた糠手姫皇女が、彼女に話しかけてきた。

「私ね、蝦夷と椋毘登(くらひと)はわりと何年も前から顔見知りだったの。2人とは子供の時にたまたま知り合う機会があって、それから不思議と仲良くしていたわ」

「へぇ、そんな前からだったんですね」

 稚沙は皇女である彼女が、豪族の男子である蝦夷と椋毘登と知り合っていたことが、本当に意外に思えた。

「私は皇女ではあるけれども、母親の身分はそこまで高くなかったから、後ろめたさもあった。お父様とも余り会える機会が少なくて……」

「そうなんですね。私は豪族の生まれですが、余り政に関わる家ではなかったので、割りと自由に育てられました」

(皇女といっても、皆が皆平等って訳にはいかないものなのね)

 稚沙はふと小川の方を眺めた。今は蝦夷が丁度小川についたようで、彼が水を汲み出している様子が見える。

「そんな中で、椋毘登はとても優しく接してくれたの。彼は自分よりも2歳年下だったけど、それでも彼は私にはとても素敵な男の子に見えた」

(やっぱり、糠手姫皇女は椋毘登のことが本当に好きなんだ……)

 そう思うと、稚沙はとても胸が苦しくなってきた。

 厩戸皇子(うまやどのみこ)の時も苦しくなることはあったけど、椋毘登とはどこか違う感じがする。
 厩戸皇子はわりと大人の男性のような感じがしていたが、椋毘登はどちらかというと、もっと身近に感じられる存在だ。また一緒にいると不思議と心が安らぎ、とても幸せな気持ちにもなれる。