「あなたはいつもそう。私が皇女だとか、身分的に無理だとか、そんな話ばかりだわ!」

 糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)椋毘登(くらひと)にそこまでいわれてしまい、思わずその場で泣き出してしまった。

 すると炊屋姫(かしきやひめ)が彼女に寄り添って「糠手姫皇女、とりあえず戻りましょう」といって彼女を促す。

 糠手姫皇女もそれを聞いて、仕方なくそのまま素直に炊屋姫に従うことにした。

 そしてそんな彼女らを稚沙(ちさ)と椋毘登は見送ったのち、椋毘登が預けている馬を取りにいくため、2人は厩へと向かうことにした。

 だがその道中、椋毘登はずっと無言だった。

 そしていよいよ厩についた時である。稚沙はついに耐えられなくなり、彼に問いだした。

「ねぇ、椋毘登。あなたは糠手姫皇女のことをどう思ってるの?」

 稚沙としても、こんな質問をするのはどうも乗り気がしなかった。先ほどの椋毘登と糠手姫皇女の2人を見た時、何故かとても心が締め付けられる思いがしていたからだ。

 自分の知らない彼を見せられたようで、ひどく悲しい気持ちになる。

「別に、俺にはそのつもりはない。大体そんなことをしてみろ?いくら俺が蘇我の者でもさすがにまずい。それに推坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)も、今回の話はかなり乗り気だ」

 椋毘登は何の感情も入れずにして、そう答える。

「その、立場がどうのじゃなくて。本心ではどう思ってるの。彼女のことが好き?」

 それを聞いて椋毘登は「はぁー」といって思いっきりため息をついた。彼的にこの手の話題は、どうも面倒だとでもいうような素振りである。

「俺にとっては、蘇我一族の繁栄こそが全てだ。その為なら自分の幸せなんて二の次で、今までそうやって生きてきたよ。そうすることで大切な人達を守れると思ったからね」

 それを聞いて、稚沙は最初に椋毘登と馬子の会話を盗み聞きしていた時のことを思い出した。確かに彼はあの時、自身の一族の繁栄を切に願っている様子だった。

 だが彼はあくまで蘇我馬子の親戚であって、彼の息子ではない。ましてや蝦夷という、馬子の後継者もいる状況である。そこまで彼が、蘇我に肩入れする必要があるのだろうか。

「でもだからって、あなたがそこまでする必要もないと思うけど?」

 確かに大きな権力があれば、自分たちの身の安全は保証されるだろう。ただそれだけなら、馬子達に任せれば良いだけのことだ。

「元々蘇我も昔はそこまで力のある豪族ではなかったんだ。蘇我はかつては葛城の同族だった。だが葛城の衰退により、代わって出てきたのが俺達蘇我だ」

「え、葛城の同族?」

 稚沙自身、これは初耳である。

 自身の一族なら多少は知っているが、他の豪族のことについては、余り詳しく聞かされていなかった。