「うん?糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)どうかしたの?」

 炊屋姫(かしきやひめ)にそういわれて、糠手姫皇女は少し話しにくそうにしながら答えた。

「そのう、相手にそれなりに気持ちは伝えているのですが、中々想いが伝わらないといいますか……」

 稚沙(ちさ)も、これを聞いて何となく糠手姫のいいたいことが分かってきた。つまり彼女は、まだ片思いの状態なのだろう。

「つまり、あなたが一方的に相手を好きでいるだけだと、そういうことなのね?」

「は、はい、そうなりますね」

 糠手姫皇女はそういって、すっかり気持ちが沈んでしまった。これは婚姻取り止め以前の問題である。

「ちなみにその人はどういう身分の人なの?」

「えぇっと、名前まではいえませんが、とある豪族の人です」

(こ、これはかなり大変だわ!)

 糠手姫皇女は自身の身分がどうのとかいっていたが、それでも彼女は皇女である。そんな彼女を娶るとなれば、相手の男性とて、かなりの覚悟が必要だろう。

 それに恐らくここ近辺に住む豪族なのだろうが、豪族間でも身分や位の差が大きい。

「炊屋姫、それでも今の気持ちのまま、他の男性の元に嫁ぐのは耐えられないのです」

 糠手姫皇女の目からは、思わず涙が溢れてきた。

 炊屋姫もいよいよ脱力感が大きくなってきたようで、いきなり立ち上がったかと思うと、どうしたものかと色々と考え出し始めた。
 そしてうっかり炊屋姫が大殿(おおどの)の外に出てきてしまう。

 だがそこには稚沙の姿があった。

「え、稚沙、あなたここにまだいたの?」

 稚沙はとっさに何かいい訳を考えようとしたが、中々良い案が浮かばない。

「炊屋姫様、申し訳ありません!その、少し気になってしまって、つい……」

「本当にあなたって子は!もう今日は注意する気も起きないわ。とにかくあなたは、早く自分の仕事に戻りなさい!」

 稚沙もこれ以上ここにいては、本気で炊屋姫の逆鱗に触れてしまう。であれば、潔くこの場を離れるほかない。

「わ、分かりました。急いで仕事に戻ります!」

 彼女はそういって、炊屋姫の前で深く頭を下げたのち、立ち上がってから、急いでその場を離れていった。