稚沙(ちさ)炊屋姫(かしきやひめ)の元に戻って来てみると、彼女は外で誰かと話をしているようだ。そしてその人物は、どうやら稚沙も良く知っている人物のようである。

(あら、もう来られてたんだわ!)

 稚沙は炊屋姫とその人物を見つけるなり、すぐさま2人の元に駆け寄っていく。

 そしてそんな彼女の足音に気が付いたらしく、2人も思わず稚沙に振り返る。

厩戸皇子(うまやどのみこ)、もうお越しになられてたんですね!」

 稚沙はとても嬉しそうにしながら、2人の元へとやってきた。

 彼女が厩戸皇子と呼ぶ人物は、炊屋姫の甥にあたる大和の皇子だ。
 年齢は28歳で、皇子らしくとても質の良い服を来ており、常に凛々しい立ち振舞いをしている。

 彼はとても正義感が強く、能力的にも非常に優れていた。そして大変信仰深く、炊屋姫の亡き父親である波流岐広庭大王(はらきひろにわのおおきみ)の時代に入ってきた仏教に対し、誰よりも熱意を持って広めようとしていた。
※波流岐広庭大王:欽明天皇

 そして炊屋姫と共に今の大和の(まつりごと)に深く関わっている人物でもある。

 また稚沙はそのとても無邪気で素直な性格のためか、厩戸皇子からはわりと気に入られていた。

「やぁ、稚沙。君も相変わらず元気そうだ」

 厩戸皇子はそんな稚沙を見て、少し微笑んで彼女にそう答える。

「本当元気なのは良いのだけれど、もう少し落ち着きがあれば……」

 炊屋姫は少し肩を落として、厩戸皇子にそう呟く。

「叔母上、この元気さが彼女の良い所なのです。私は稚沙のような娘は好きですよ」

 厩戸皇子は少し愉快そうにしながらそう話して、稚沙にちらっと目で合図を送る。

 稚沙は厩戸皇子に見つめられて、思わず頬を赤くした。彼はいつもこんな感じで、稚沙に優しく接してくれる。

 大和の皇子とはいえ、傲慢な部分が一切なく、彼は諸臣(しょしん)達からの信頼も厚い。

(厩戸皇子はこういうことを全く抵抗なくいえる人だわ。だから他の娘達からも好意を持たれやすい……)

「私から見ても稚沙は本当に良い子よ。だからこそ立派な女官になって貰いたいものだわ。
 それに私は彼女の一族に色々と世話にもなってきているから」

 炊屋姫はそんな稚沙を見ながらそう話す。

「確か稚沙は平群(へぐり)額田部(ぬかたべ)筋の娘でしたね。であれば叔母上も気にかけたくなるでしょう」

 厩戸皇子も炊屋姫に同調して答えた。

 稚沙は他の豪族の娘とは少し状況が異なる。炊屋姫の幼少期、稚沙の一族が彼女の養育に携わっていた。
 その縁があった関係で、彼女は炊屋姫の元に女官として仕えることになったのだ。

 ただ彼女の場合、元々炊屋姫に対しとても憧れを抱いていた。そこで小墾田宮(おはりだのみや)への女官としての出仕は本人たっての希望で叶ったものだ。

 だからこそ、彼女は誰よりも熱心に日々の務めに励んでいたのだ。