厩戸皇子(うまやどのみこ)は、お前との約束をとても後悔していたよ。自身の妃を差しおいて、女官の娘と会うなんて約束をするべきではなかったと」

 それを聞いた稚沙(ちさ)は、思わず頭が真っ白になった。

(私はこんなに楽しみにしていたのに、厩戸皇子は私との約束を後悔していたの?)

「それで皇子は、小墾田宮(おはりだのみや)に来れなくなったので、このことをお前に伝えて欲しいと俺にいってきた。それで来てみれば、この有り様だったってわけさ」

 椋毘登(くらひと)は特に感情を入れずに、淡々と彼女にそう説明する。

 それを聞いた瞬間、稚沙は崩れ落ちるようにして、そのまま地面に座り込んでしまった。

 そして彼女の目からはポロポロと大粒の涙が流れてきた。

(厩戸皇子にとっては、私は所詮その程度の存在だった。彼が女官としてしか自分を見てないのは分かっていたはずなのに……)

 稚沙はこの感情をどうしたら良いのか分からず、打ちひしがれて、何も考えられなくなった。

「稚沙、大丈夫か?」

 すると椋毘登も彼女を心配して、自身もしゃがみ、彼女の側に歩みよってくる。

「私って、本当に馬鹿よね……相手にされないのは分かっていたのに。本当に情けなさすぎて……」

 その瞬間である。椋毘登が急に彼女を思いっきり抱きしめた。

(え、椋毘登?)

 稚沙は急に椋毘登に抱きしめられて、思わず固まって言葉を失う。

「稚沙、お前は悪くない。もうあんな男のことなんか、忘れろ!」

 それを聞いた瞬間に、いよいよ稚沙も限界を越えてしまった。そして彼女はその場で大声を出して泣き出してしまう。

 椋毘登はそんな彼女の頭を優しく何度も何度も撫でくれた。今の彼にはこれぐらいしか、してやれることがないと思ったのだろう。

 それからしばらくの間、稚沙は椋毘登の胸の中でひたすら泣き続けた。