「え、椋毘登(くらひと)……?」

 彼女は余りのことに放心状態となってしまう。一体何故彼は自分がここにいることを知っていたのだろう。

 椋毘登は、稚沙(ちさ)の腕を掴んでいる男を目にして、ひどく怒りを見せる。

 そして直ぐさま彼女の元にやってくると、男を稚沙から無理やり引き離し、そのまま相手を殴り飛ばした。

「く、くそ、このガキ!てめえ、良くもやってくれたな!!」

 男は椋毘登に殴り飛ばされた際に、顔から地面に叩きつけられた。そのせいで顔面には擦り傷ができている。

 椋毘登は、稚沙を庇うようにして自身に引き寄せてから、男達を睨み付ける。
 そして彼は自身の刀を鞘から引き抜き、相手の男の顔の前にその刀を突きだした。

 また稚沙の方も、男達への恐怖の余り思わず椋毘登にしがみつく。

「お、おい。何も刀を向けなくて良いだろう」

 その男は椋毘登が出す殺気に、思わず怖じ気づく。それぐらい今の椋毘登は怒りを露にしていたのだ。

 そして椋毘登は男達に向かって酷く低い声で話す。

「お前達、命がおしければ直ちにここを立ち去れ……」

 彼のその一言で、その場にいた男達は皆恐怖に陥った。このままここにいたら、恐らく皆殺されてしまうだろう。

「わ、分かった。直ぐに離れる。おい、お前達行くぞ!!」

 そういってその男は、他の男達を連れていそいそとその場を逃げるように去っていった。

 男達がいなくなったのを確認すると、椋毘登は「ふぅー」といって刀を鞘に戻した。

 一方稚沙の方も男達がいなくなり、ようやく安心した。

 椋毘登もそんな彼女を確認してから、ゆっくり自身の腕の中から、彼女を離してやった。

「本当に今回は危なかった。お前、俺が来るのがあともう少し遅かったら、先程の奴らにどこかに連れていかれていたぞ?」

 椋毘登はとても心配そうな表情を見せて、稚沙にそう話す。

「うん、心配かけてごめんなさい。椋毘登、助けてくれて本当に有り難う」

 だがどうしてここに、椋毘登が駆けつけられたのか。そして一向に姿を現さない厩戸皇子(うまやどのみこ)はどうなったのだろうか。稚沙には全くわけが分からない。

「でも、どうして私がここにいるのを、椋毘登は知っていたの?」

 それを聞いた椋毘登は少しいいにくそうにしながら、彼女に事情を説明する。

「今日俺と叔父上は、厩戸皇子と一緒に動いていたんだ。そんな時に斑鳩宮(いかるがのみや)の者から連絡がきた。厩戸皇子の妃の菩岐々美郎女(ほききみのいらつめ)が突然に体調が悪くなって倒れたってね」

「え、菩岐々美様が?」

 稚沙は凄い衝撃を受ける。今日厩戸皇子が急遽で斑鳩宮に戻ったのは、恐らくそれが原因だったのだろう。

「とにかく、厩戸皇子は相当動揺していた。話では、今日皇子はお前と落ち合う約束をしていたのだろ?」

「あ、うん……」

 稚沙もそれなら、厩戸皇子がここに来れなくなったのも理解できると思った。