「アーチュウ」

 声の主は、孤児院のアーチュウだった。どうやらお使いを頼まれたのか、手に巾着を持っていた。空いた手でふたりのことを指さして、ニタついている。一体どこから見ていたのだろう。

「ナディアが男といけないことしてるー」
「アーチュウ、何言ってるの!」
「だって今、ちゅうしてたじゃん、このイケメンと」
「こんばんは、君が噂の天才アーチュウですね。ナディアから話は聞いていますよ。どこかにお使いを頼まれたのですか?」
「お、おう」
 
 イケメンに急に褒められ、たじろぐアーチュウは、まんざらでもなさそう。

「お使いを頼まれるなんて、アーチュウは院長先生からも頼りにされていてすごいんですね。ナディアもいつも君のことばかり話すものだから、私もどんな子なのか気になっていたんです。会えて光栄です、アーチュウ」
「なんだ、話のわかる良いイケメンじゃんか。おれの弟子にしてやっても良いけどな」
「アーチュウ!この方は、」

 冷や汗を浮かべるナディアを制して、リュカは続けた。

「それは身に余る光栄ですね。では、師匠、ひとつだけ私に弁解させてください。さっきは、ナディアの目に入ったごみを取っていただけなんですよ」
「そうなのか?まぁ、イケメンがそう言うなら信じてやってもいいぞ」
「さすが師匠、話が早いですね」
「あ、俺お使いの途中だったんだ。お前の相手はまた今度な!」
「お気をつけて、師匠」

 くすくすとほほ笑みながらアーチュウを見送るリュカを見て、ナディアは胸がほっこりとあたたかくなった。なんて、心の優しい人なんだろうか。公爵家の当主が嫌な顔ひとつせずに孤児院の7歳の子どもの相手をするなんて、普通出来ることじゃない。
 
「公爵さま、申し訳ございません。アーチュウが無礼を・・・」
「あんなに小さい子が家族もなく孤児院で過ごさなければならないなんて・・・、不憫でなりません」

 見上げた横顔はとても悲しそうな表情で、ナディアの胸まで締め付けられた。

「それよりナディア」
「はい」
「先ほどは、思い切り突き放されて、私はとても傷つきましたよ」
「えっ、あ、」

 そうだった、アーチュウの声で驚いたとはいえ、つき飛ばしたのは事実。リュカは、胸を抑えて心底傷ついたような顔で2人の距離をじりじりと詰め寄る。

「すみません、びっくりして・・・」

 伸びてきた手は、再びナディアの頬を包み込む。オパールグリーンの瞳は、まっすぐナディアを捉えて離さない。

「また、人に見られてしまいます・・・」
「それもそうですね。しかたありません、続きはまた今度にしましょう」

 続きがあるのかと気になりつつも、お礼を言って別れたナディアは孤児院へと足を向けた。両親に今日のことを隠すため、ここで元着ていた服に着替えて何事もなかったように帰る算段だ。背中のボタンも、頭の飾りと編み込みも、全てアリスにお願いしよう。

「院長先生、これは一体どうされたのですか?」

 孤児院へ着いて院長室に顔を出すと、部屋を埋め尽くすほど箱が積み上げられていた。

「まぁ、ナディア、良く来たわね。私も話を聞きたかった所なの」

 院長の話によると、「ナディア様は用事ができて来られなくなったためベルナール公爵さまが私を代理に遣わしました」と言って一人の男が大量の荷物と共に突然やってきたとのこと。荷物は、小麦や砂糖、塩などの食料品から布団やシーツ、服などの衣料品といった生活に必要な物資ばかりで、全てリュカが使用人に命じて用意させたものだという。また足りないものがあればいつでも知らせろと。

「これは、あなたに渡してくれっておっしゃっていたわ」

 院長が指さした隅に置かれた荷物の中には、紙やペン、インクが子どもの人数分と小説や歴史書などの古本も数十冊あった。

「もしかして、この前私がお話したことを覚えていらして・・・・」

 共に食事をしたときに、孤児院のことも聞かれて、文字を教えていることや書物が足りないことなども話したのだった。

「なんということでしょう、院長先生。私はどうお礼をしたら・・・」
「そうね、こんなにたくさんの施しをしてくださるお方はそうそういらっしゃらないわよね。何もお返しできないのがもどかしいわ」

 どうして、こんなにも良くしてくださるのだろう。ナディアが考えたところで、リュカの気持ちなど到底理解できないのだった。